*浄化が足りない/日蓮の曼陀羅/理由がたてば/仏壇のご讃歌(御垂示録6号 昭和26年5月1日③)

浄化が足りなかった

《お伺い》金に換える物が全然なくなり、カツギ屋になりましたが。

《御垂示》やっぱり、そう言う男はそう言う経路を経なければならない。けれど、カツギ屋なんかする事はおかしいですよ。そんな事をしなければ食っていけないと言う事は、何処か間違っている。浄化が足りなかったんですね。

日蓮の曼陀羅

《お伺い》曼陀羅はお屏風の観音様の横にでもお祀りしてよろしゅう御座いましょうか。

《御垂示》日蓮の曼陀羅――あれはいけないですね。大自在天は大きく書いてあって、天照大神は下の方に小さいさく書いてあるが――インドでお拝むのならいいだろうがね。

神様と言うのは、理由がたてばお許しがある

《お伺い》田舎の習慣で、婚礼の時は土地の産土神をお祀りする事になっていますが、その時だけ光明如来様をおはずしして、お祀りしてよろしう御座いましょうか。

《御垂示》どう言う様に言っても、それはいけないですよ――絶対にいけないですよ。そんな習慣は破っちまえばいい。

《お伺い》横にでは。

《御垂示》それならいいです。一日なら一日とお願いしてやるといい。信仰が徹底しなければ、中々できないものです。神様と言うのは、理由がたてばお許しがあります。

御垂示録6号  昭和二十六年五月一日  講話集  1590  昭和二十七年一月二十五日

《お伺い》お骨が帰って来たのですが、御神前に置かせて頂いてよろしう御座いましょうか、穢れますのでは――。

《御垂示》良いですよ。結構です。穢れるどころか、霊が喜びます。今迄は、穢れると言っているが、神様の力がないんですね。

仏壇にお奏げする御賛歌

《お伺い》仏壇にお奏げする御讃歌2に就きまして御伺い申し上げます。

《御垂示》今度こしらえました。十首ですがね。法事の時――法事と言っても、一周忌とかは、今言ったので良いが――十年、二十年とかは、そんな事をしなくてもいい。御賛歌集の中から選んでやればいい。もう救われているから、晴々しくやればいい。

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