時代と宗教(未発表 昭和23年4月)

 私は宗教なるものも時代と密接な関係のある事を知るのである。彼のマルチン・ルーテルが宗教改革を行った理由として、当時のキリスト教があまりにも形式に流れ、封建的色彩が濃厚であった事にもその原因があるであろう。私は今日のあらゆる宗教を検討する時、その内容においても形式においても余りにも旧套墨守とうぼくしゅ的、時代錯誤的たる事実の多い事である。

 一例を挙ぐれば、宗教行事や冠婚葬祭等に当って数時間否半日一日を要する事さえあるのである。また在家の居士の朝夕の読経や祝詞を奏し祈願をなす場合長時間を要したり、故人の法要や、本山本部に参拝する時、多額の費用と数日の時を費やす等々、全く現代社会人の苦痛の種であろう。しかも霊的知識を与えられない現代人として、その内容的意義を知らず、ただ伝統と気安め以外の何物でもないのである。

 今日世に知られたるあらゆる宗教が、数百年または数千年以前発生したるものであるから、またやむを得ないであろう。の二千六百年以前、インドにおいて発生した仏教が、当時のインド民衆の社会生活を対象として成ったのであるから、すこぶる浩瀚こうかんなる経文、長時間の瞑想、坐禅等々の修行によって覚者となるというに到っては、今日の日本の社会生活に即して適応しない事は言うまでもないのである。しかも経文の原文は梵語であり、それを漢訳して渡来したのであるから、その意味が現代日本人に理解し得べくもないのである。巷間こうかん「経文は不可解であるから有難いのである」――という言葉さえ流布さるるに到っては全く驚くの外はない。

 この意味において、私が作った善言讃詞は観音経の深意をエキスとし、日本的に祝詞の形式を採って数分間で読了なし得るようにしたのである。そうして霊界の実相や、事物と霊との関係等を徹底的に解明し、神仏や祖霊に対する信仰の意義、想念の持方等を充分認識すべく教ゆるのであるから、神仏諸霊の満足と歓びをもって迎えらるる事は必定である。従って、観音会こそ今後の時代をリードすべき新宗教といっても過言ではないと思うのである

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