それからこれは『文明の創造』の中の「人間と寿命」というのですが、寿命というのは人間が年をとったら菜食にすればよい。薬を飲まないから薬の気が無くなる。そうしてまず八十過ぎくらいから菜食にすると、百以上は必ず生きるのです。昨日も、官休庵というお茶の宗匠で、今十二指腸潰瘍といって青い顔をして、酒が好きな人ですが酒を一滴も飲まず、煙草ものまないで、食物も制限していたから、原因は薬だという事を言ってやった。それで私の経験を話してやった。私は四十迄はほとんど薬詰めであったが、薬の害を知ってから今年で三十六年ですが、一滴も薬というものを飲まない。それでもまだ薬毒はありますから始終自分で浄霊してます。その為に年々丈夫になってます。今七十ですが、暇があれば庭で木の枝を切ったり、色んな事をやってます。重労働ではないが軽労働と重労働の間位の事をやってます。それで皆はくたびれたくたびれたと言ってますが、私は別にくたびれたという事はないのです。どういうわけかというと、やっぱり薬毒が無くなったせいです。だから人間は薬毒が無くなれば非常に丈夫になるのです。今でも私は足が早いのです。若い者と歩く時は、私は加減しているのです。若い者が追いつかないのです。どうした、年の加減だろうと言ってますが、あべこべなのです。それでまた薬毒が無くなると頭が良くなります。頭が良くなるから、仕事が沢山出来ます。それについて『文明の創造』の「健康と寿命」という一節を今読ませます。
御論文『文明の創造 』「健康と寿命」
それから⦿の文化、主神とか主と言いますが、丸にチョンを打って、我々は「ス」と読んでますが、これはあらゆるものを簡単に表わしているのです。それを今一寸読ませます。
御論文「⦿(ス)の文化」【註 栄光一七三号】
それから『文明の創造』の中の一つで「九分九厘と一厘」という事を書いたので、それを読ませます。
御論文「九分九厘と一厘」
これについて知らなければならない事は、今迄の宗教で悪を肯定する宗教はないのです。全部悪を憎み――憎むのは当然ですが、悪だから悪いけれども――そうして攻撃――敵のように宗教自体が言っていたのです。また悪の方では宗教を悪く言って、そうして神は無い――それは今でも盛んに言ってますが、神があると言う奴は迷信だと、そんなようにして両方を闘わせたのです。というのは今迄の宗教の開祖というのは善の方の神様です。善だけの神様と、今のような悪の方の――邪魔するサタンと対立していた。ところが両方を造られたのは、真ん中にいる主神なのです。そこで主神の見方から言うと違って来るのです。そこで私の今の、悪が必要であった。医学という、要するに薬というものは人間を弱らすもので、人間を弱らせなければ文化というものは出来なかった。というように説いてあるのは、主神から出る教えです。要するに善悪の根本を説いているのです。そこで分からなければならない。今迄のは善だけの教えです。そこで悪を説かなければならない。悪というのは主神が作ったのです。主神はこういう必要があって悪を作ったのだ、こういうわけで許したのだ。善と悪とを対立させた事、そういう事を『文明の創造』の最初に説くのです。しかし悪は文化の進歩にある程度まで必要であって、天国、要するに地上天国に必要である程度の文化を作る迄の必要であって、それ以上はいけない。だから悪の期限が来たという事も説いてあります。それで悪というものは必要であったという事と、悪の期限が来たという事で、始めて根本が分かるわけです。だから医学というのは人間を弱らせる為に必要であったというように説けば、ちょっと医者の方では怒る事も出来ないのです。しかし今日ではもういけないのです。もう弱らせる事は止める時期が来た。だから止せと、こういう意味です。ですからこれを知っていれば、どんな質問が出ても困る事はないです。その意味を話すれば良い。今迄は結構だ、結構だがもうしかし人間を弱らせる方法は済んだ。と、そう言えばちょっと文句は言えない。それを説いてあります。最初は拳固を握っても、読んでいるうちに段々溜息に変わります。




