宗旨変えは理屈が合えば良い
《お伺い》宗旨を変えると言う事はいけない、とお伺い致しておりましたが。
《御垂示》宗旨を変えても良いですよ――メシヤ教になればね。変えるというのは、どういうのと変えるんですか――浄土宗を日蓮宗に変えるのですか。
《お伺い》二代、三代前に、そう言う風に変わりました場合には。
《御垂示》大体はいけないんですよ。何となれば、祖先が承知しないからね。だから、却って禍がありますよ。処が、宗旨によっては――お寺がつぶれちゃったとか、お寺が遠くなったと言う場合に、止むを得ず変わる場合がありますが、原則としては――祖先が霊界が異っちゃうと、そっちに行かなければならないからね。然し、不可抗力な事があった場合は良いんです。つまり理窟がつけば良いんですよ。
墓地の石塔
《お伺い》同じ墓地に、石塔は二つありますが、遺骨を一緒に入れておりますが。
《御垂示》本当じゃないが、然し何れがどうと言う事は判らないでしょう。
《お伺い》判っております。
《御垂示》そんなら別々にした方が良い。それは一緒じゃいけませんね。
時期が早い
《お伺い》木曾川の上流の犬川に、海軍出の者で以前御用をさせて戴いた事があり、今は解らなくなった者が居ります。父親は六十位ですが、家に蛇を飼ってあり、二十数年前から、屋敷の青大将に肉を与え、その人が声をかけると出て来、毎日二百匁位の生肉を与えております。留守の時には、此処に置いておけと教えてやって置きますと、その肉が無くなっております。蛇は相当に長いのではないかと思われます。そのじいさんの言う事は蛇は色んな事を聞き別けます。その付近にイカルカ池と言うのがあり、その付近の信徒は全部中絶しております。又、キフネのカガミガ原のオカスの池と言うのがあり、その付近の信徒も殆んどおかしくなっております。そう言う池に龍神の伝説か――メシヤ教の信仰する人の邪魔するのは、何かあるのではないかと思われますが、祝詞を奏上させて戴きまして。
《御垂示》そんな必要はないですよ。時期が早いんですよ。つまり早過ぎたんです――開いたのがね。
《お伺い》池には、そう言う事が御座いますのでしょうか。
《御垂示》ありますよ。
仏壇に奏上善言讃詞について
《お伺い》御垂示録第五号に、御仏前のお参りは幽世大神と御讃歌とありますが、命日には善言讃詞と御讃歌をお奏げして良いと承りましたが、如何に。
《御垂示》それで良いですよ。
《お伺い》月の命日にも善言讃詞を。
《御垂示》良いですよ。その霊に奏げてやると言う気持ちでやるのなら良いですよ。
《お伺い》善言讃詞は神様にお奏げするので、区別しなければいけないと御教え戴いておりますが。
《御垂示》それで区別になってます。命日丈やるんだからね。
《お伺い》特別に年忌の時丈と言うのでは御座いませんのでしょうか。
《御垂示》仏壇に奏げてはいけませんよ。命日だって、臨時応変ですよ。亡くなって間もない霊とか、三十回、五十回忌迄は良いですが、それより古いのは、もう良いですよ。
《お伺い》御屏風観音様を初めて御奉斎致します時には。
《御垂示》良いですよ――初めてと言うのでね。意味があれば良いんです。
仏壇に亡くなった知り合いの事をお願いするのは?
《お伺い》知合の人が亡くなった場合に、自分の家の仏壇で幽世大神様にお願いして、供養になりますので御座いましょうか。
《御垂示》いけないですよ。意味がないですよ。何にもならないですよ。
《お伺い》何となくお奏げしたい気が致しますので。
《御垂示》だったら、そこの家に向かってやるんです。自分の家の仏壇にするのは変ですよ。ですから光明如来様に、こう言う霊を救ってやって戴きたいと言うのは良いですよ。然し、自分の家の仏様にするのは意味ないですよ。
仏壇の上座
《お伺い》仏壇の同じ段の場合は、前列と後列は、どちらが上座になるので御座いましょうか。
《御垂示》後列ですよ。
心臓神経衰弱….死霊が憑く
《お伺い》心臓神経と言われ。
《御垂示》よくありますよ。死霊が憑るんですよ。だしぬけに動悸がして来て、今にも死ぬ様になる。医師は心臓神経衰弱と言いますが、それは死霊が憑くんです。それで、暫くするとパっと治る。それは、離れるからね。
《お伺い》それに対する方法に就きまして。
《御垂示》信仰に入るんですね。
《お伺い》入って居ります。
《御垂示》死霊が迷っているんですね。ですから、側に居る者が善言讃詞を奏げてやる。神様にお願いしてね。
《お伺い》御浄霊は何処を。
《御垂示》前頭部ですね。そこに憑るんだからね。
《お伺い》仏壇の方の供養は必要御座いませんのでしょうか。
《御垂示》死んだ人が誰だか判らないんでしょう。
《お伺い》霊が出て、床の間の神は日本一の神で、拳骨を持っていて絶えずお叱りを受け、未だ居るか、早く帰れと申し、明主様の日比谷の御写真は、非常にお優しい方で、お前の様な哀れな者はない。人に生霊をかけるなんて――哀れな者はないと申され、床の間は非常に厳しいと言っておりますが、終いに離れました。
《御垂示》はっきりしていいですね。