無神論のカチカチ遂に往生す《お陰話》反対の旗頭の異名 (栄光193号 昭和28年1月28日)

 この人位無神論者の代表者ともいうべき人は珍しいと思う。処がこんな人でも長い期間何だんだと言いながら、遂に信者となり、人助けまでするようになったのだから神様の力の如何に偉大であるかがわかるであろう。しかしながらこのような人は、世の中には沢山あるから、そういう人でもこれを読んだら、くすぐったいであろう。この例によってみても、本教が将来如何に大きな宗教になるかは想像がつく筈である。というのは最初から信じなくては、御利益を頂けないという在来の宗教との格段の異いさのあることを認識して貰いたいのである。

反対の旗頭の異名

『栄光』193号、昭和28年1月28日

      J中教会 K.I(43)

 私には神という言葉が何としても響かなかった。余りにも唯物的に片寄り過ぎ神があろうがなかろうが、そんなことは自分に何ら関係のないものと浅はかに思っていた。

 痔瘻で町立O病院において切開し、院長さんの最後の言葉は「御気の毒ですが……」と見放された時は、まさに脳天を鉄槌で嫌という程打たれた時の感じでした。医師の一言は私にとっては最後の審判の言葉であり、精神的に致命的打撃だったのです。

 友達が痔瘻から結核となり、やせ細って死んで行くのをこの目ではっきり見ている私には、死に到るまでの経路が連想され、友と同じ運命を辿たどるのかと思うと自分の一生のあまりにもはかなかった朝露のごときさだめを、歎かなかった日とてなかったのです。

 自分には子供を育てる義務がある。どんなことがあっても子供が学校卒業までは死にたくない、死んではならない。せめて後十年、達者でくれたら、と、ただ後十年という執着で一杯でした。家内は現在の科学医学の進歩を説き、「悲観せず頑張って下さい」と元気をつけてくれるのですが、所詮素人の気なぐさめと、空念仏でも聞いているような気持でした。

 それからは県立病院を振出しに、東京の有名な専門病院に毎月熱心に注射に通いはじめ、院長に「大丈夫治った」と言われた時は天にも昇った心持であった。永い間家内は寝食を忘れ甲斐甲斐しく看病に万全を尽してくれるのには感謝の湧く時もあった。結果を見ると、どうも治っていない、医師に見放された病気は治るようで治らず、春が過ぎ、夏も行き、秋去り、冬が訪れたれど、悪化の一筋をたどるだけで、世相は段々緊迫し、空襲は日増に激化し、東京も段々危険になり時には地方の鍼医にも通って見たが治らず、危険をおかして東京の病院に行くと「まだ毎日のように来るように」とのことです。その後「今度は大丈夫治った」と言われ、ほっとした気持で様子を見ると、矢張り治っていない、休んだり通ったりしているうちに三年の月日は流れてしまいました。

 そのうちに東京は三月の大空襲に灰塵と化し、一歩手前に命からがら帰り、それからは行くべき病院とてなくなり、ぶらぶらしているところを、意外にも家内が、「日本観音教のお話を聞いてお願いして来ましたから明日から浄霊に来られるそうです」と本当に嬉しそうに話をしてくれます。「馬鹿な話はよしなさい。そんなことで治るような簡単な病気と思っているのか、なぜ頼んだのか、仕様のない奴だ」と大変な剣幕で怒っては見たものの、次の日になると、見知らぬ青年が来て御浄霊を始めます。不承不承御浄霊をしてもらいながら他人を怒る訳にも行かず、馬鹿なまねをする者を頼んでと、家内を大変腹立たしく思っていた。「明日また伺います」と青年は帰って行きます。家内は「どうぞまたお願いします」と見送りしています。私はしゃくにさわるが黙って見ていました。後で「あんな事で病気が治ると思うのか馬鹿者奴、常識で考えて見たら判るでないか」と家内をさんざん怒ったが、また次の日になると青年は来、前日同様のことをします。それを繰返すこと十四日、三年余り苦しんだ痔瘻に変化があったのです。

 そして来るべき変化が来たのです、それは坐ろうとした瞬間に破れたのです。その時の痛みは何ともたとえようがなく一瞬飛び上ったのです。「あっ痛い、何かねばねばする。破れたらしい見てくれ」……血膿が出ております。それが出ると気分は近年になくすっきりいたし、働いて見たくなり働く気持が起きたのは三年目です。家内は私の容体をずっと見ておりましたが、「それ見なさい、あなたは何の彼のと文句を並べるけれど、神様のお蔭で……」と喜びますが「なあに三年も病院に通ったんだ、神様なんておかしくって、その効果が現われてきたんだ、女は弱いから何かにすがる気になるんだ」と言って鼻の先で笑って、家内の話など馬耳東風と相手にもならなかった。

 終戦後下北地方で初めての教修があり、家内は喜んでお守様を戴きましたが、自分は益々理屈を言っては家内を困らせながらも、御浄霊は毎日頂いていた。御浄霊を戴くと体が楽になることはわかりますが、気持がいいと言ったら最後、神様のお話が出るので、なるべく神様のお話は敬遠するように心掛けていました。それから一年ぐらい御浄霊を頂き、家内の熱心さに動かされ、可哀相に自分がお守様を頂いたらどんなに喜ぶだろう、と、簡単な気持でお守様を頂きました。家内は非常に嬉しがったが、勿体ないことでございますが自分は何も感じなかったのです。

 家内の御浄霊を毎日のように見ていて馬鹿な奴だ、そんなことで病気が治るものかと思い、益々憎しみを感ずるようになってきたのでした。治って喜ぶ人を見ても「なあにまぐれ当りさ、そんなことで治ったら医者も薬もいるものか」と馬鹿にしており、自分がいつも家内にいうことは「腹痛や風邪ぐらいは浄霊を頂くが、もしも急性肺炎とか盲腸になったら早速入院するよ」といって、家内の説明には事毎に反対であり、時としては信者さんにも猛烈な反対をしたものでした。そんな気持のままでまた一年ぐらい続き、当時J中教会の本部で初めての秋季信徒大会があり、それに出席するよう家内に奨められても「それどころではない、店が多忙で行って居れるか」と、出発の朝に文句を並べながらも、不承不承秋田県のJ中教会に出発し、初めての行事に参列し、信者さん達が皆張切っているのに、自分ばかりはさっぱり関心がなく、一通りの儀式後S先生のお話や、お蔭話を劇に作ったのを見せて頂いているうちに、何かしら、こうしてはいられないと、今までかつて味わったことのない不思議な気持がぐんぐん湧いてくるのを知りました。

 このお道のよさがどうして永い歳月わからなかったのか不思議でなりませんでした。出発と帰りとの気持は自分自身別な人間になったように感じました。途中青森市の私の実家に一泊し、お道のお話をいたしましたが、私同様耳も貸してくれず、またの日をと思い御先祖様にお念じして帰りました。

 大会後は妙に気持ばかりが張切って、翌二十五年一月七日五所川原地方の雪深い奥地に布教に行かせて頂き、そこでは毎日十名から十五名ぐらいの浄霊者があり、浄霊者の一人で「田植時と田の草取りになると、毎年腹を病んで働かれないで困る」という更年の婦人を御浄霊さして頂き、一通りの御浄霊後立って頂き、明主様にお念じしつつ腹部を御浄霊せしところ、彼の婦人は突然大木を倒したごとく、ドーンと倒れました。びっくりしたのは御浄霊に来られた人達ばかりではありません、自分もあんなにびっくりしたことはありません。お客様達は一様に、「あっ」と叫んで中腰になり自分は彼の婦人が死んだかまたは気絶したと思い、自分も中腰になり顔を見ましたが、幸い死んでもいなければ気絶もしておらず、桜色の顔で目をつむって倒れているので、早速明主様にお念じ申し上げ祝詞奏上しますと、婦人はむくむくと起き上りました。その時はほっと安心しました。

 明主様有難うございますと、涙の出る思いでありました。浄霊が終るや婦人は怒ったのです。「あなたは……柔道ではない。私の体に手を掛けないからたしかに柔道でないことは認めるが忍術だ、そうでなかったらあんなに不意に倒れるはずはない。私に忍術をかけたので倒れたのだ」といってぶつぶつ怒っておりますので、お道のことを色々説明しましたが聞かばこそであります。婦人に怒られながら腹の中ではあんなに嬉しいことはありませんでした。疑い深くお道のことを素直に信じ得ない私ごとき者にまで偉大なる御力をお見せ頂き永い歳月反対して来た自分の浅間しき姿、愚かな姿を今更ながら恥ずかしく、余りの偉大な御力に想像も何も自分の小さな考えでは出来ないのでした。浄霊して初めて知らされた絶対力、自分には婦人の怒るのが心の底に楽しい天国の歌声にきこえていました。

 後で知り得たことでございますが、婦人の倒れた時憑霊が離れたこともわからせて頂き、霊の実在もわからせて頂きました。その婦人も御浄霊の偉大さがわかり入信いたし、その後青森市の私の実家でも信者の一員に加わらして頂き、御守護の賜物と感謝いたしております。

 論より証拠体験するにしかず、行動をもって初めてお道の偉大さをわからせて頂き、信じれる者の歓喜を知り得ました。

 愚者で反対者の旗頭の異名を頂戴した私が、布教第一回目の体験を拙筆ではございますが、ここに心からなる御報告をさせて頂きました。





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