結核は治る 感冒と肺炎 (自観叢書第1篇『結核と神霊療法』昭和24年6月25日)

 前項の如く、寒冒は実に簡易な浄化作用であるから、人間は出来るだけ寒冒にかかるべきで、之ほど有効な衛生法はない。全く天の与えた唯一の健康法である。しかるに今日迄の病理学に於ては反対の解釈である。即ち凡ゆる疾患の前奏曲が寒冒として恐れられている。したがって、人間は寒冒にかからない事を以て健康の第一義としており、万一感冒にかかるや、凡ゆる浄化停止手段を行う。その方法として解熱剤、咳止剤、消化剤、各種の注射等の外、氷冷、湿布、吸入、安静等を行い折角発生した浄化を極力停止しようとする。其主なるものが薬剤の服用又は注射等々である。

 元来薬というものは世の中に決してない。全部毒物である以上、体内に入れば衰弱を増すのは当然である。勿論其他の凡ゆる方法も悉く浄化停止手段で、衰弱促進であるから、病気即ち浄化苦は軽減する。それを治癒と思う事が誤謬の根本であって、実は病気が真に治癒されたのではない。浄化発生以前の状態に還元せしめたまでである。何よりの証拠は、感冒全治後暫く経つと必ずまた感冒にかかる、という事は保有毒素が依然としてあるからで、其為排除作用が必ず起る。処が又浄化停止を行う、復発生する、復停止するというように繰返す。而も発生毎に薬毒を入れるから毒素は漸次累加する。この増加した多量の毒素に対し一挙に大排除作用が起る。勿論普通寒冒の何倍にも当る、いわば大寒冒である、これが所謂いわゆる肺炎である。故に肺炎の症状といえば肺臓内に多量の喀痰が発現し、喘音ぜんおんが甚だしく、高熱、胸部の不快感、頭痛等、種々の苦悩症状は寒冒症状と同様でただ猛烈であるだけのちがいである。之も放任しておけば大抵は治るが、最も強烈なるものは生命の危険は免れないのである。右の如く肺炎は特に浄化猛烈である処へ、医療は浄化停止を強烈に行うから、浄化と其停止との激しい摩擦を生む。患者は非常の苦悩を伴い迅速に衰弱が加わり、死を早むる結果となるのである。

 以上によってみても肺炎の原因は全く感冒の再三の浄化停止が原因であるから、出来るだけ寒冒にかかるようにし、発病の場合自然放任をするようにすれば、肺炎という病気は人類から跡を絶つに至る事は勿論である。

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