
美術館出来るまで(栄光160号 昭和27年6月11日)
私は下賎げせんから出た点で、之も彌勒下生みろくげしょうの意味と思えば肯ける筈である。又今一つ言いたい事は太子は釈尊に帰依して、仏教弘道に当られたのであるが、私は釈尊を私より下にみている、というのは釈尊は二千六百年以前、已に今度の私の救世の大業に対する準備的役割をされたからである。以上によって私と太子との関係も、美術に力を注いでいる事も大体分ったであろうが、今一つの重要な事は、主神すしんの御目的である病貧争絶無の地上天国ともなれば芸術至上の世界となるからである。