「日本人と精神病」の項目に述べた如く、前頭内の貧霊は必ず不眠症の原因となる事は勿論で、それは右側延髄部附近に固結があり、それが血管を圧迫するからである。又狐霊が憑依する場合、前頭部を狙ふのは曩に述べた通りで、前頭内は人体を自由に支配出来得る中心機能があるからである。それを憑霊はよく知ってゐるからそこへ憑依し、自由自在に人間を操るのである。狐霊はこの人間を自由にするといふ事に非常な興味をもつばかりか、狐霊の数は日本だけでも何千万あるか判らない程で、彼等にも団体があり、その首領があり眷族も無数にある。その大きな団体としては伏見、豊川以前あった羽田、王子、笠間等で、其他中小団体は全国到る処にあり個人の家でも祀ってある事は衆知の通りである。狐霊界には稲荷の眷族と野狐との二種がある。勿論野狐は人間界の無宿者と同様であるから、彼等は稲荷に祀られたい欲求を以て常に活動してゐる。狐の中にも産土神の家来となってゐる良質のものもあるが、大部分は不良狐となってゐる。そうして狐霊は人を精神病にしたり、人に罪悪を起させる事を非常に好むもので、最も悪質なのは殺人又は自殺等を行はしむる奴さえあって、その手腕によって仲間から重んぜられ、巾が利くといふ事は、人間界で与太者やヤクザと同様である。狐霊の悪い奴になると数十人の殺人を犯した事を得々といふ事さへある。
狐霊の性格は一寸人間では想像もつかない点がある。といふのは彼等は実に饒舌で、一分の休みもなく喋舌り続けるのである。精神病者が間断なく自問自答してゐる事があるが、之は狐霊との問答で、患者の耳に断えず聴えるのである。医学では之を幻聴といふが之と同じく霊が見えるのである。よく患者が空間を見詰めて恐怖したり、泣いたり笑ったりする事があり、医学は之を幻覚といふが、之は霊界に実在するいろいろの霊や、霊の動きが見えるのである。其場合時によっては患者に狐霊が憑依し、その霊視力を利用し狐霊の仲間が霊界に在って化装するのであるから、万物の霊長たる人間も、狐霊の意のままに飜弄される訳で、実に情ない話である。以上の例として私が経験した数例をかいてみよう。
一、廿五歳の男子、時々憑依する狐霊があるらしいので、私は霊査し、次の如き問答をした。
私『貴方は誰方?』
彼「此方は此肉体の祖先で、百八十年前に死んだ武士で、○○○○といふものだ。」
私『何の為に憑りましたか?』
彼「望みがある」
私『どういふお望みですか?』
彼「俺を立派に祀って貰いたい。』
私「承知しました。では貴方の武士であった時は何といふ主君で、何代将軍時代ですか?将軍の名は何といひますか?年号は何といひますか』
--と次々突っ込んで訊くと、シドロモドロになった彼は、遂に兜をぬいで了ふ。
彼は俄然態度が変り、曰く、
「ヤッ失敗った。駄目だ。俺は穴守の眷族だ。騙そうと思って来たけれども、とうとうバレチャった。」
-といひ乍ら、早々帰って了った。狐霊にもそれぞれ名前が あって、三吉とか虎公とか、白造とかいふような簡単な名前で態度も言語もベランメー式である。数日経つと又憑依したので、私は霊査した処がやはり先祖の名を語り騙そうとしたが、私がそれからそれへと質問するので、此奴も遂に降参して了った。
彼曰く。「此間俺の友達の○○といふのが来てバレたので、今度は俺なら巧くやれると思って来たがやっぱり駄目だ。他所へ行くと大抵巧く騙すが、此肉体に憑ると不思議にバレちゃう。」といふから、
私は『お前等のような木葉狐では駄目だから、此次は穴守の親分を連れて来い。』と言ったら、
彼は「親分は来ねえよ。」-と言って帰って行った。
二、廿四歳の人妻、猛烈な精神病を私が治したが、その経過が面白い。狐が蟠居してゐた。前頭部から移動すると共に勿論覚醒状態となった。それから肩から胸部、腹部、臀部といふように、漸次下降し、最後には肛門部から脱出したのである。それまでに約半年位かかった。処が面白い事には移行しながら彼のゐる所で必ず何か喋舌ってゐる。私は時々聞いてみた。今何処にいるかと聞くと
「胸の此辺にいます」と指さす。何かしゃべっているか-と聞くと、
「ハイ、コレコレの事を喋舌ってゐます。」といふが、
喋舌る事柄は、愚にもつかない事ばかりである。そうして初めの内ははっきり判るが時日の経つに従ひ言語は漸次小さくなり、終に肛門から離脱する頃は、殆んど聞えるか、聞えない位であった。処が不思議な事は、狐霊の言葉は発声地が体内であるから、外部からの普通の声とは違ふ。内部から内耳へ伝達する訳で、いはば無声の声である。之等も将来霊科学的に研究すれば、有益な発見を得るであらう。
狐霊の最も好むのは患者を驚かす事で、例えば
「今大火事があるから早く逃げろ。」
といふので患者は、裸足で飛び出す事がある。又大地震があるとか、誰かが殺しに来るとかいって、患者を逃走させるかと思えば、
「コレコレの所に、天国があって美しい花が咲き、立派な御殿があり、実によい処だから俺が連れて行ってやる。けれども彼世にあるのだから、死ななくてはいけない。」
といって連れて行き、川へ投身させたり縊死させたりするような事もよくあるのである。右の婦人もそういふ事が度々あった。一時は三人の男がつききりで警護したのであった。
三、石川某といふ彫刻師があった。彼は、精神病の一歩手前の症状で、どういふ事かといふと、家で飯を食はふとするや、幻聴がある。
「石川お前が今食ふ飯には毒が入ってゐるから危ないぞ。」
との声に、彼は箸を捨て、外へ飛出し、藁麦屋へ入る。又食はうとすると、同様の事をいはれるので亦、寿司屋へ入るといふように、
一日中、諸所方々を巡り歩いて、空腹のまま帰宅するといふ訳であった。
夜は夜で、彼が二階に寝てゐると、家の前を話しながら通ってゆくらしい。数人の声が聞える。その声は、
「石川は悪い奴だから、今夜殺っつけて了ふ。」
といふの で驚いた彼は、終夜びくびくし乍らマンヂリともしないといふのである。
私は、「雨戸が閉って、而も二階で往来を通る人の言葉がはっきり聞える筈がない ではないか。又本当に君を殺すとしたら、ヒソヒソ話なら兎に角、大声で話し合ふ訳がないではないか。それはみんな、狐が君をからかふのだ。又食物に毒が入ってゐるといふのも。狐がからかふのだ。町の飲食店で、毒を入れたらどうなる。殺人罪でジキに捕まるではないか。そんな馬鹿々々しい事は、あり得べからざる事だ。又人間の姿が見えないのに、声だけ聞へるといふ、そんな馬鹿な事がある得る筈がない。みんな狐が騙すのだから、今後人間がゐなくて、言葉が聞える時は全部狐の仕業と思えばいい。狐は暴露したと思ふと詰らないから止すものだ。」
といってやった処、それから間もなく平常通りになったと言って喜んで礼に来た。
四、自動車の運転手、廿七八才の男の精神病を私は治したが、正気に帰ってから病中の事を色々聞いた処、彼のいふには、屋根へ上りたくなり、電柱や立木をスラスラ登り屋根の上を、彼方此方駈けるように歩き、瓦をめくっては往来へ投げつける、といふ訳で家族の者は随分困ったそうである。彼の言うには、
「屋根へ上る時も、瓦の上を駈ける時も、少しも怖くない。といふのは、蹠の裏が吸つく。」
といふである。これで判った事だが、すべて、獣でも虫でも、蹠の裏が触るるや、吸引作用が起り、真空になるので、密着する訳である。逆さになって天井裏を自由に這ふ 虫なども、そういふ訳である。
五、十七才の娘、猛烈な精神病で時々素っ裸になり、ズロース一つで暴れるので、その際三人位の男子がやっと抑えつける程で、そういふ時、私が霊の放射をすると、おとなしくなる。之も一年位で全治し、数年後結婚し、子供まで出来た程、常態に 復したのである。
右の外、狐霊の憑依例は、多数あるが、右の五例だけで、凡その認識はつくであらう。そうしてよく狐霊が言ふには、法華経の読経を聞くのが一番好きだといふ。何故かと聞くと、神通力が増すからだとの事である。それに引き反へ天津祝詞を聞くのは一番嫌だといふ。それは苦しいからだといふが、之は誤りではない。何故なれば、日蓮宗の行者は狐を使ふものであり天津祝詞を聞くと狐霊は苦しみ萎縮するからでる。