[メシヤ講座]「神意の発動」を担う決心について 2016年11月⑨ (私たちの学び目からウロコの内容より)

楳木代表

それから、Tさんのご主人がお世話の真っただ中にいますけれどね、それでどういうふうにして取り組んでいくかということなのです。理屈は分かっているのだけれども、なかなか医者との交渉が難しい。

参加者

交渉もあるし、交渉はするとしても、それを止めてちゃんと・・・、睡眠薬一つにしても結構難しい、と。今は通していますけどね。全部止めたいと思っているんですけども、そうなってくると、降圧剤とかも結構出ているんですよね。それとサラサラにする薬とか、結局それで病気になっているから止めたいんだけども、後、心臓の薬とか・・・。

楳木代表

まぁ、今、製薬会社は、あえてサプリメントではなくて、「医薬品として提供することに決めました!」というコマーシャルがあるでしょ?軟骨成分を・・・、知らない?

参加者

あ~。

楳木代表

そういうコマーシャルをやっている製薬会社があります。それには「軟骨には血管がないので、だから再生能力がないのです。だからあえて我々は、サプリメントではなくて、栄養補助食品ではなくて、医薬品としてこれを出しているのです。」という説明をしているわけ。ということは、その世界の連中は、全部分かっているということです。血液が行き渡らなければ人間の体はうまくいかない、というのが分かっているのです。降圧剤を入れてしまうと血液が行き渡らないわけ。

参加者

そうなんですよ。

楳木代表

だから、それを医者に投げかけていかないと、その点を。

参加者

そうなんです。結局、神経細胞が伸びていかないといけないので、“すごい御守護をいただいて、いろんな所が伸びて、今があるんだ”と思うんですけども、その血圧を高くして良い血液がいくことで、初めて神経細胞もよく伸びると思うんです。リハビリの方もすっごくよくやってくれてると思うんだけども、リハビリっていうのは、やっぱり足をついたりすることによって神経が頭にいって、それがまた戻ってくると。切れた神経が伸びて繋がるってことになるように、もう、寝てたのからバァッと起こして一生懸命やってくれてる。筋肉とかついてきたらまた出来てくる。そういうのを信じてリハビリやってるんだけども、リハビリの方からは、医師に薬のことは言えないらしいんですよね。私もここで薬を減らせたら、どんだけリハビリが進むかということを実証していきたいぐらいなんですけどね。

楳木代表

だから、そこをですね。もう一歩智慧を出して。「私は念書を書くので、何カ月間薬を飲ませないでリハビリをやって、そのデーターを取ってくれ。」とか。

参加者

そうですね。

楳木代表

それで、今の医者達も人間が生まれてから死ぬまでの中で、最終的には脳細胞は、脳の神経細胞というのはノーベル賞を受賞した人で十分の一しか使ってないということが分かっているわけなので、脳化学というのはそこまで進んでいるわけ。リハビリは何のためにするかというと、損傷を受けた脳が動かないので、そこが動かないと、手が動かない、足が動かないとかあるので、リハビリすることによって、残っている脳が代わりに動けるためにリハビリするわけ。

参加者

そうですね。

楳木代表

そうでしょ!そうした場合、「この脳が動けるためにはどうしたらいいか?」ということを医者と交渉しないといけないわけなので・・・。

参加者

そうなんですよね。

楳木代表

その話し方が大事だ、と。

参加者

いや、でも親戚の看護婦さんにも、友達の看護婦さんにも言われたんですけどね、「今の現代の医学で、その細胞とかね、新しくドンドン伸びるってなっているから大丈夫じゃないの?」って言われるけども、私もそう思っているんだけども、医学の現場では、今までした経験が絶対で、西洋医学でも主人の場合だったら出来ない、意識とかは戻ってきているんでね。リハビリもそのことを期待してやっているのに、お医者さんが・・・。もう一つ前の病院に行った時は、全部そういうのを説明して、浄霊のことも話したんですけど、今のリハビリの方には言ってないんですよね。今度カンファレンスがあるんで、全体の話があるので・・・。

楳木代表

だから医者というのは、薬を使うというのは、自分の責任が及ばないために薬を使っているわけなので、「責任を一切負わせません。」と。「そういう念書を書きますので、リハビリに薬を使わないで、リハビリに集中してください。」と。リハビリの中では6ヶ月の壁というのがもう分かっているわけなのです。

参加者

そうみたいですね。

楳木代表

6ヶ月の壁が分かっているということは、自分達の神経細胞の仕組みというのは、おおよそもう全部掌握しているわけなので、「その神経細胞のそれを大いに使っていく上でのリハビリをやってもらいたい。」と、こういう会話をしていって下さい。

参加者

そう思ってやってくれてはって、理学療法士の、日本での第一人者は、ちゃんと神経の勉強も医学的にちゃんと取ってはって、よく知ってはると思うんですけども、理学療法士の方は、「薬のことは全然言えないんです。」と。

楳木代表

だから、言えないから家族が言うのだ、と。

参加者

そうそう。私らが言ったら聞き入れてくれるみたいなんですよ。

楳木代表

だから、その時に必要なのが念書なのだ、と。「もしこれでうちの主人になんかあったとしても、先生方には一切責任を負わせません、追及しません。病院に対しても追及しません。だから、リハビリをこの方々の意向によってやってください。」というふうなことを言って、今日の覚りの世界とは全く違うような話なのだけれども、『最後の審判』は、医学から始めるわけなので、そこで「自分がやってみた結果はどうか?」ということが大事になってくるのです。そうして「医学革命が実行される」というのがそういうことなので交渉してみてください。

私も家族がどうしても、親戚の意向である手術をしないといけないというふうになった時には、私は、「一カ月間浄霊して、結果が必ず違うはずだからビデオを撮ってくれ。」と。その部分を、医者に交渉してビデオを撮ってもらったことがあるので、医者は患者や患者の家族がきちんと申し入れすれば、医者はそれを受けないといけない。そういうお仕事なので。

参加者

そう、そんだけ言うんだったら「分かりました。」って、普通止めてくれてはったんですけどね。

楳木代表

ここで今、「覚り」というのを勉強しているので、「メシヤ様の教えに基づいて、自分の意志をきちんと整えて、交渉していなかった。」というような反省をここで言ってもらいたい。

参加者

交渉していなかった・・・。そうですね。

楳木代表

そうしていかないと、自分達が身についた「覚り」というところに上がっていけないのね。

参加者

今度カンファレンスがあるんですよ。一か月に一度なんですけども、理学療法士の方とかお医者さんとか、その時に“きちっと、もっと根本的なことを脳の細胞が伸びる様にということを話そうかなぁ”と思ったりもするんですけど、“いや~なんかどうなんだろうかなぁ”と思ったり。

楳木代表

とにかく、「すでにタイで99%復活することがないと言うところを私たちはこうして御守護いただいて・・・」、まぁ御守護と言っても分からんだろうから、「改善してきたので、その延長線でいきたい。」と。

参加者

奇蹟をいただいてね、主人の友達のお医者さんが「奇蹟だ!奇蹟だ!」って言ってはるんだけども、改善していきたい・・・。そうなんですよね。

楳木代表

是非、この『最後の審判』は医学から審判を執り行っていくということなんで、しかも『主神(ヱホバ)の神意の発動は』と仰っているので、“『神意の発動』を受けて自分は交渉していくんだ”というそういう気持ちで取り組んでいっていただきたいと思います。

参加者

そうですね、『神意の発動』・・・。

楳木代表

『神意の発動』があるわけなので・・・、“『神意の発動』を受けて医者との交渉をするのだ”というふうに、自分の心の置き所をきちんとしてですね、そういう取り組みに励んでいただければ・・・。

参加者

『神意の発動』が弱いってことですよね。

楳木代表

『神意の発動』と思ってない。

参加者

はい。

楳木代表

“御教えを拝読した”というふうに思っている。

参加者

そうですね。小さいところばっかりにこだわってね、もっと大きいところを言わないと伝わらない、根本的なことをまずきちんと伝えていかないとですね。

楳木代表

そういうふうにしていただきたいと思います。

私達は、主神様が地球に想いを寄せていただいている、その「御意図」に基づいてですね、今、「覚りの道」を歩もうとしております。「覚りの道」を歩むと、「覚り」ということだけの言葉に流されていくとですね、「主神様の御意図」というのをどうしても心の中の全面に占めることができないような状態になっているので、そこをなんとか進めてもらいたいために、月次祭の時には必ず『世界救世(メシヤ)教教義』を拝読するというふうに決めているわけ。もうこれを20年近くずーとメシヤ教は拝読しているのは、「『神意の発動』というのをどのように受け止めるか?」ということが私達の中に無いことにはですね、地上天国建設ということをずっと進めていくということにはなりませんので・・・。
2016年11月メシヤ講座大阪

今月のみ教えは;『主神様とメシヤ様』47ページ「『人間と病気』「文明の創造」では127ページです。


<学び>
私事であり、大変お恥ずかしい限りです。
医療にほとんどかかった事がなく、経験不足で、ただただ、医療現場の威圧感におされ、キチンとした知識もなく睡眠薬を止めて貰って、その結果が芳しくなく、”奥さんのせいで主人が苦しんでいる”見たいな雰囲気を強く感じていました。
医学の知識が乏しい私は薬を全部やめても大丈夫なのだろうか?念書を書くといっても家族を説得できるだろうか?と
目の前に立ちはだかる医学の壁が、気が遠くなるほど高く厚く思えていました。
医療現場からは、これ以上減らせる薬はないとキッパリ言われ、鉄壁のようにも思えた医療の壁でしたが
その後、セカンドオピニオンをお願いし、「家族が責任を持ちます。」ということで、簡単に崩れるのですが、この頃は途方にくれ、無駄に時間を遅らせてしまいました。
私の思いの弱さが、判断を遅らせてしまい、主人には申し訳なかったと思っています。
『神意の発動』と云う思いが弱い。確かにそのとおりだと思います。
自分が出来ないならできないなりに、言い訳ばかり並べないで、まずは神様にお詫びしなければならなかったのです。

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