メシヤ言霊
“メシヤの言霊に就て御伺ひ申し上げます。
“メシヤというのはヘブライ語ですから一寸日本語には解し難い。意味は救世主、救ひ主といふ事です。キリスト教の人はキリストが救ひ主だと信じてゐるが、本当は贖罪主であって救世主とは大変違ふのです。万民の罪を贖った人、罪の代表になり生命を「ギセイ」にして初めて許された人ですが、救世主の方は許されるのではなく許す方です。まあ時機の進むにつれて話しますよ。
四つの門 (御光話録 昭和二十三年九月八日)
“宮中賢所に昔からあるものゝ裏にヘブライ語で「我は有て在るもの也」と書かれてあるさうですが、何かこの裏には偉大な歴史が秘められてゐるのでせうか。
“ほー面白いですね、初めて聞きました。偉大なといふ程でもないが、或る事が秘められてゐるでせう。大体皇室の先祖はユダヤに関係がある、が、余りはっきり言はない方がいゝでせう。皇室は十六の菊の紋ですが、ユダヤの都の四つの門の中の「開かずの門」の上にはやはり十六の菊の紋が刻まれてあり、その門はキリストの再臨まで開けてはならぬと伝へられてます。
ヨハネ (御光話録 昭和二十三年九月八日)
“大本の霊界物語に「国常立命はヨハネ也」とありますが――
“国常立命がヨハネではなくヨハネの働きをするのです。「靴の紐を解くにも値せず」と言ってキリストもヨハネも謙遜し合ってゐる。ヨハネは霊的には火でキリストは水です。
“ヨハネが水の洗礼を致しましたのは何故でせうか。
“ヨハネもキリストも水ですが霊的には火です。言霊ではヨは横、水で、ハは火、ネは根本、大体は水で水の中の火です。――聖書は旧新約共に本当の事は書かれてない。或程度までは本当だがその先は未だ発表の時ではない。
仏教でもそうですが、遠慮なく仏教を批判したら問題にならない。旧約のモーゼも偉いが逃げる時海を干して渡ったとあるのなんか嘘です。
“キリストは本当は日本へ逃げて来たとの説もありますが。
“えゝ青森の方へ逃げて来たといふのですが一学者が唱へただけです。
四つの門 (御光話録 昭和二十三年九月十八日)
“今迄の霊的治療は固めでせうか又は洗ふのでせうか。
“之は両方の力です。つまり水系の人は先方の病気を背負うのです。私の方は火で焼くのです。御木徳一の徳光教なんかは全く背負う方です。だから月一回御振替といって神様に背負って貰ってゐたのです。
結局水の系統の方法は本当に溶かすのより御振替をするのです。曇をとってやるのです。然し毒素は曇だから或意味では毒素を溶かすとも言へる。
“キリストのは何でせうか。
“あれは霊で以てついてる邪霊をとってやったのです。だから中風なんかも非常に早く治ったのです。御木徳一の先生の金田徳光といふ人は非常に偉い人でしたが当時の官憲から大変な圧迫をうけたのです。今でも大阪の方に徳光教が相当ある様です。信仰療法で他人の病気を引うけるのは今迄いろいろなのが沢山ありましたが、段々霊界が昼になると出来なくなるのです。天理教もさうです。人の病気を引うける方の一番の親玉はキリストで、とも角全人類の罪を贖うといふ訳ですからね。
“大先生は罪を御許しになると考へさせて頂いて宜しいでせうか。
“本当はさうなんですがね。今迄そんな事がその筋に知れたら大変だったのです。
イスラム教(御光話録 昭和二十三年九月二十八日)
“イスラム教の霊統とその唯一神アラーに就て――
“イスラムはマホメット教の事で印度ではイスラム教といふ。イスラエルの事で根本はキリスト教と一つです。アラーは最高神でキリスト教ならエホバ、日本では天之御中主大神になる。――神は土地によって神格を落す事があります。アラーはアラビヤ地方で称へる名だが、あの辺は文化が低いから低い神格で救をされたと云へる。
“片手にコーラン片手に剣を持った事は――
“今までは時機でなかったので神様も充分な力を発揮出来なかった。夜の世界では月の光だけだから、そこで仕方なく剣をとって神の名の下に四方を征服したのです。
“神が格を落されたため邪神に乗ぜられたといふ風に考へる事は――
“えゝさう考へてもよい。
新旧約聖書の違い(御光話録 昭和二十三年九月二十八日)
“旧約聖書はどの様な意義をもつのでせうか。
“大体宗教は新旧二つになってゐる。新約は経で旧約は緯です。旧約聖書は予言書で
寓意的に書いてあるのです。だから旧約は解釈することが出来ない。旧約の時代はあ
れでよかったのです。もう今はそれ程の価値はない。之によって救はれる事は難しい
ですね。――既成宗教は段々時代と遠ざかってゐる。現代生活や思想とかけはなれす
ぎてゐる。現代を指導する程に進歩したものはこの教団だと私は思ってゐるのですが
ね。だから若い人が多く入ってゐるのです。
マリヤ観音(御光話録 昭和二十三年九月二十八日 )
“観音様はマリヤだとも言はれますが――
“マリヤ観音といってマリヤを観音に擬へるが、之は全然出鱈目でなくても本当とも言へない。――然しまあマリヤ観音と言ってもいゝでせう。