御教え集33号 昭和二十九年四月七日※“世界を救う聖者が八人目に出る”

    もう一つ面白い、ちょっとした何があるのですが、この間ハワイで英語教修をした時に、聞き手が四十人ばかりあって、その時に外人は十人ばかりだそうですが、その中で最近信者になった、アメリカの人で、ちょっと面白い事を言ったのを書いてありますから、読ませます。樋口さんの報告の中にある一節です。

    (ハワイ通信  十八)【註  栄光二五七号】

    今の「世界を救う聖者が八人目に出る」という事は、伝説にあるのです。仏教の方では釈迦が八人目だという事になっているのですが、それは仏教に都合のよいように作ったものです。釈迦は「八」という事はないのです。釈迦は「七」で、七人目なのです。というのは五六七のミロクとして、釈迦が七のミロクになるのです。釈迦は何処までも「七」の数字で支配される人です。だからつまり「地」は「七」ですからして、地のミロクです。私は伊都能売ですから「八」になるのです。伊都能売というのは、数で言うと「五」「三」ですから「八」になるのです。そして「八」という数字は富士山になるわけです。ですから「八」という数字を書くと、富士山の形になります。それで私は大和民族の宗家になるのですが、大和民族というのは、今の駿河の附近が発祥地なのです(本当は富士山の上なのですが)富士山の麓なのです。だから昔は富士山が本当の神様の山として、あそこの上に今でも木の花咲爺姫が祀ってありますが、そういった意味で、私は富士山と非常に因縁があるのです。それで静岡の裁判であっちの留置所に入った時に大きな神秘な事があったという事も、そういう因縁なのです。そうしてあの時も話したとおり、夢で、私が富士山に乗っかって景色を見るという話もしましたが、その時が私が生まれた、第二の誕生です。そこで、出てから「散花結実」という事を言いましたが、花が散って実を結ぶで、散花結実という事は種が宿ったという事です。それから私の力とかいろんな、そういう事が違ってしまったわけです。それからが本当に開けたわけです。ですからあの時に救世教というものはすっかり壊れてしまったわけです。もうこれで駄目だというくらいに見えたのですが、それが花が散るという形です。それはその当時よく話しましたが、そういうようなわけで、今の八人目という事も合っているのです。

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