栄光

大経綸

浄霊は科学療法なり-2 (栄光二百四十七号 昭和二十九年二月十日)

前(サキ)にかいた処の太陽の精なるものは、勿論太陽の霊であるのは言うまでもないが、では何故今日まで地球上それが現われなかったかというと、これには大なる神秘 的理由がある事であって、それを詳しく書いてみよう。
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感じの良い人 (栄光257号 昭和29年4月21日)

凡そ感じが良いという言葉程、感じの良い響きを与えるものはあるまい。処がよく 考えてみると、処世上これが案外重要である事である。それは個人の運命は固より、社会上至大な関係があるのである。例えば誰しも感じのいい人に接すると、その人も感じが良くなり、次から次へと拡がってゆくとしたら、心地よい社会が出来るのは勿論である
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優しさと奥床しさ (栄光七十五号 昭和二十五年十月二十五日)

凡そ現代の人間を観る時、最も欠除してゐるものは、優しさと奥床しさであらう。 先づ茲では本教を主としてかいてみるが、例えば自分の信仰がどれ程進み、身魂がどの位磨けたかを知るには一の標準があって、これは左程難しい事ではない、何よりも人と争う事を好まなくなり、優しさが湧き奥床しさが現はれる、斯ういう心と態度 になるこそ磨けたとみてよく、此点最も信仰の価値を見出すのである

薬剤は科学?(栄光二百五十四号 昭和二十九年三月三十一日)      

驚いてはいけない、薬が効くのと病気の治るのとは似て否なるもので、根本的に異っている事である。という訳は薬が効くというのは苦痛が一時治まるだけの事であって、病気そのものが治るのではない。