日置昌一氏との御対談(栄光 百八十六号 昭和二十七年十二月十日 その2)

ビフテキ食べてかいた画

  近藤氏 : 美術は主に古美術ですか、それとも近代美術の方ですか。

  明主様 : 両方やってますが、現代美術はいけないです。それでつい古美術の方になるのです。

  日置氏 : どうも精神的なものがないですからね。手先の技術ですからね。

  明主様 : 現代の画家の画は筆に力がないのです。それは現代の美術家の普段の生活が違っているのです。力というものは食物が大いに影響するのです。ビフテキを食べたり牛乳を飲んだりしていては、力は出ないのです。それで仕方がないので塗抹絵になるのです。今のはそれです。

  近藤氏:  外国の古い絵などは如何ですか。

  明主様:  油絵にも良いものがあります。イタリアあたりには素晴しいものがありますが、私の持論は外国の絵は芸術ではなく、芸術と工芸品の中間のものだと言うのです。遠慮なく言えば高級家具です。それで日本画とか東洋画は本当に楽しむものです。そうして季節によって換えるというふうに、本当に芸術を楽しむというものです。西洋のは年中同じもので、中には一生涯一つのものを掛けている人もあるそうです。

  日置氏:  宗達あたりの、あの雄大さというのは、芸術と言うより精神力ですね。ああいうのは現代の画にはないですね。特にお宅では宮本武蔵の「達磨」と牧谿(モッケイ)の「かわせみ」をお持ちとの事ですが、あれは名品ですね。

  明主様:  宋時代のは殆ど坊さんですから、坊さんというのは、山に入って菜っ葉に麦飯を食って行をした。それが画くのですから断然違うのです。要するに菜食して精進せねば駄目です。

  日置氏:  画くのでなく気魄ですね。

  明主様 : そうです。宮本武蔵も剣を筆に変えたものです。宮本武蔵の絵には私は頭が下がりますよ。

  日置氏 : 今の人のは生前は値段は高いが、死ぬと下ってしまうのが多いですね。

  明主様 : いや、生きているうちに下っているのがあります。横山大観のは、私は二、三年前までの物は買いますが、今のは駄目です。アル中だからでしょうね。

  恋愛は限界がむつかしい   

  日置氏: では最後に一つ教主様の恋愛観を承ってみたいと思いますが、…どうかその事について。

  近藤氏 : :熱海では色んなサンプルが一ぱいありましょうから、そんな事からでも。

  明主様:  しかし今では爺さんですからね。とにかく恋愛は非常に良いです。あれは神が人間に与えられた大慈悲と言いますか、恩恵と言いますか、そんなものです。ただ恋愛もある程度に制限すれば結構ですが、その限界を突破するから悲劇が起るのです。ですから、限度を外さない様にすれば、恋愛は大いにやるべしです(大笑され乍ら)。しかし現界で止められるのは本当の恋愛ではないかも知れません(一同大笑)。

  日置氏:  確かにそうですね。

  明主様:  私は若い頃恋愛の極致と言いますか、情死の相談までにいったことがありますが、その時に情死する者はこういう心境だなと思った別の私があったのです。オレは経験した、これでいいというので、私の理性が力強く解決してしまったのです。その時私は「自分は偉い」と思ったのです。普通人ではできない。オレにして初めてできるのだと思ったのです。

  日置氏:  では徹底的に失恋でなく得恋ですね。

  明主様:  それまでは、心中する奴は馬鹿だなと思っていたのですが、これはオレは今まで考え違いしていた。馬鹿とは言えない。確かにこれから進めば危険だということが分ったのです。つまり恋愛哲学を極めましたね。

      日置氏、近藤氏  では長い間いろいろと大変有難うございました。

                                                                                                                             

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