御教え*日本美術(御教え集4号 昭和26年11月1日③)

【御教え】今度京都に行ったのは、大体主な目的は、美術館について色々参考になる点がありますから。それで京都に行った訳ですからね。で、京都に大徳寺だとか東福寺だとか行って見ましたが、多少参考になりましたが、何しろああ言う所は、仏教芸術ですからね。仏教芸術と言うより、お寺芸術ですからね。お経だとかね。東福寺なんかは、宋時代に偉いお坊さんが書いたお経ですが、これは美術館向きにはならないですね。それから、東福寺は兆殿司(ちょうでんす)があそこの寺にいて書いた、兆殿司のものが大部分でしたが、かなり上手(うま)いけれども、大した事はない。今度すっかり分かりましたがね。それから大徳寺の本尊ですね。その宝物を何していたが――真珠庵と言う――そう言うものが一番ある寺です。末寺ですが、それを見ましたが、大したものはないですね。大徳寺なんか、ちょっといかがわしいものが多いです。やっぱり、本物は傷(いた)んだりするから、しまってあるだろうと思う。だから、出してあるのは、いかがわしいのがチョイチョイあるんです。ちょっと普通に見ては分かりませんがね。例えて見れば、巨勢金岡(こせのかなおか)の画いた観音さんがあるが、私の所にもあるが、私の所のは本物です。同じ様な絵ですが、私の方が古いですからね。大徳寺の方は、時代が新しいです。同じ様には画いてありますが、品格と味がないです。そんな様なものです。その他にも二、三ありました。それで良いんだろうと思いますね。そう、良い物を始終一般に見せると言うのは、傷んだりしますからね。面白い事には、本尊ですが――坊さんが、お釈迦さんだと言うんです。これは観音さんだと言っても、いいやお釈迦さんだと言う。禅宗ですからお釈迦さんは祀らないのが本当です。禅宗は達磨ですから反対になるんです。達磨と観音さんは祀っても良いんですが、お釈迦さんは祀らないんです。あそこは観音さんを祀ってあるので、なるほどと思いました。京都の博物館は、支那陶器のちょっと良いものがありました。絵も二、三私が見たいと思うものがありました。それから大阪の博物館も、また行ったんですが、銅器の良いものが出てました。館長になっている人が、色々説明してくれましたが、大いに得る所があった訳ですね。そんな訳で、大体京都における美術的なものは今度で大体分かった訳です。今度私が造る美術館についても、参考にはなりました。ところで近頃、古い美術ですが、非常に世の中の人が関心を持ち始め、流行みたいになって来ましたが――何処に行ってそう言う美術なんて見ても――仮に、京都にしても、仏教的な仏画だとか、立派なものがありますが、あれじゃ一般人が見ても興味がない訳ですね。お釈迦さん、観音さん、文珠菩薩。藤原時代だとか、天平だとか言っても、よほど研究してないと分からないです。美的に、ああ美しいなと言うのは、分からないと思います。感心しないです。ところが、日本では古美術です。古美術と言うと、京都ではお寺ですね。ああ言う所になっている。しかし、私が造る美術館はそう言う意味ではない。京都を歩いても、光琳とか宗達とか殆んどお目にかかる事はできないですね。京都で盛んに活躍した芸術家ですからね。そう言うものは殆んど京都にないせいもあるでしょうが。殆んど見る事ができない。仏画以外としては、狩野派ですね。探慶、雅信(ただのぶ)だとかです。そう言う人達の絵は、余り価値がない。と言うのは、狩野派の絵と言うのは支那人から習ったんですからね。支那の宋、元時代のものをお手本として習ったんですから、支那以上のものは出てないんです。処が、琳派ですね。光琳と言うのは、もちろん支那にもないし日本独特のものですね。こう言うものを、大いに見せなければならない。それから陶器と言っても博物館にも立派な素晴らしいものがありますが、全部支那のです。日本だって素晴らしいのがあります。仁清、乾山と言うのは、それはもう支那に決して負けない様なものですね。あとは、尾張の瀬戸の系統ですね。黄瀬戸とか、織部とか――そう言うので、中々良いものがある。

 そう言った日本でできた日本美術の良いものは、殆んど目に触れる事がないですね。僅に東京の博物館にあるだけだそうですね。そう言う良い物を、今度できた美術館に並べる心算りですがね。そう言う良い物は、何処にあるかと言う事は、殆んど決っている様なものですね。だから、それを上手く聞き出して、承諾を得れば良い訳です。それも、うまくやりつつあるから、日本の何処にもない様な美術品を並べられると思います。随分問題になると思いますがね。

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