十一月十日 (京都劇場において)
京都には今度で五回目になりますが、京都の特色の仏教美術をはじめ、いろいろな所はあらかた見ました。その感想を申しますといろいろな美術品とか、そういう物は立派な物が沢山ありますが、ただ私として非常に物足りないのは庭園です。遠慮なく言えば、如何にも酷いのです。庭園らしいものはないと思われるのです。これはその時代の関係かもしれませんが、如何にも箱庭的でみすぼらしいのです。雄大さが無いのです。他の寺のいろいろな宝物や何かは実に立派な素晴しい物がありますが、庭園だけは今言ったように貧弱なのです。それでいずれは造るべき嵯峨の平安郷ですが、あそこは建物としては仏教美術館です。それを建てると共に庭園も、今までの型を破って思い切って新しい、つまり現代感覚によく合うようなものを造ろうと思ってます。やはりあらゆる文化というものは、その時代の色、つまり時代の感覚をできるだけ表現すべきが本当です。そういうわけで庭園も、兎に角京都の古い時代からのいろいろな形以外——そうかと言って西洋のガーデン風では全然合いませんから——新しい感覚を十分表現し、そうして京都のいろいろな特色を十分に発揮したものを造ろうと思って考えています。五回の収穫による考えはそういうところに来たわけです。その話はこのくらいにしておきます。
この救世教も知らるるとおり近頃になりまして大分発展すると共に、よい意味における社会の見る目が変って来ました。これは当り前の話です。大分長い間いろいろな誤解の下に苦しんでは来たのですが、兎に角幾らか理解されかかって来たような工合で、大いに喜んでいる次第です。そうしてそれについて、これからの発展すべきいろいろな面があります。アメリカ、ハワイ、日本と、この三つの面に大分面白くなるようになって来ましたが、その話を今からします。
つい五、六日前にアメリカのシカゴ・トリビューンという新聞で、大新聞の一つです。あっちのものでは、ニューヨーク・ヘラルド、ニューヨーク・タイムス、ワシントン・ポスト、それに今言ったシカゴ・トリビューンが四大新聞というようなものでしょう。そこの東洋総支配人のシモンズという人の奥さんが来たのです。これは夫婦で新聞記者なのですが、その婦人というのがなかなかなもので、やっぱり記者をするだけあって流石(サスガ)に素晴しい頭です。こっちの言う事に対する理解と、急所を掴むところなどは、今まで日本人にもちょっと見られないような鋭さです。だから話も非常にはずんで、と言ったところで通訳が間に入るのですから、やり難いのですが、それでもなかなか分るので張り合いがありました。それでその見方などは日本人と違って、面白い見方をしているのです。例えば、私の経歴をザット話をしたところが、“あなたは珍しい、釈迦やキリストは若い時から宗教的に生活していたが、あなたは五十過ぎてから宗教に入ったという事は非常に変っている”と言うのです。これは私も気がつかなかったのですが、そう言われてみると、意外なところに目をつけたものだと思いました。二、三気のついた事を話しますが、日本の天皇制はどう思うという質問があったので、私は天皇制がなくなったという事は非常によい、喜んでいる。というのは、この間の太平洋戦争にしても、結局ある一部の野心家が天皇を利用してああいう馬鹿々々しい戦争を起こしたのだから、天皇制がないとしたら、つまりああいったような戦争は起こす方法がない。そういう心配がなくなる点から言っても大変よいと思う。それについて、日本は大体戦争をする国ではないのです。日本という国にはそういう使命はないので、日本は何処までも平和的です。——美による平和です——これは日本のあらゆるものがそういう条件になつているのです。だから将来は世界の公園、世界の楽園というような国になるのが本当の日本の国柄です。それを戦争という全然違う事をやったというのは、つまり日本人が本来の国柄を間違えたというわけで、そういう意味から私は地上天国を造り美術館を造るという事をしているのです。そういう意味の事を話したのですが、非常に共鳴してました。私の考えとしては、地上天国は今は箱根、熱海で、今度は京都に造るつもりです。それから無論ハワイにも造るつもりだ。いずれは米国にも各地に造るつもりだ。兎に角世界中が今やりつつあるのは、何処の国でも公園です。公園はなるほど大衆的で非常に結構だが、公園よりもう一層高いレベルのものを造らなければならない。というのは、今日娯楽機関というものは如何にも俗悪極まるもので、人間の品性を向上するようなものはない。むしろそれを見て堕落するくらいなものです。そういった悪いものがずっと多いのだから、一方で又人間の品性を高めるようなものも必要とする。それには公園以上の、もう一層高いものを世界中に造らなければならない。その見本として私は今こしらえているわけだ、と言いましたが、そういう事も非常に共鳴してました。その時は箱根の美術館を見て来て、それから熱海の地上天国に私が案内して、いろいろ見せましたが、見るもの聞くものあんまり心を打たれて言葉の出しようがないと言ってました。そういうようで、余程喫驚してました。通訳をした人は、浮世絵の研究家で、英語が相当できるのです。そうして一週間に一度アメリカの人に英語の講話をしているのです。その人は浮世絵の売買をしてますから、箱根美術館の中にもその人が持って来た物が随分あります。それで東京へ帰ってからその記者は“岡田という人は自分としては少し荷が勝ち過ぎる”と言つたそうです。それほどとは思っていなかったらしいのですが、私の言う事は、どっちかというと先方よりかなり上手(ウワテ)の方ですから、タジタジなところが沢山あったわけです。自分の主人が近々朝鮮から帰って来るから、そうしたら主人によく理解をさして、無論大いに共鳴すると思うから、アメリカに帰ったらシカゴ・トリビューンに大いに書く、紹介するというわけです。『世界平和の建設者』という題で書くから、伝えてくれという事を言ったそうですが、無論出るでしょう。それでアメリカに私を紹介するトップを切らしてもらいたいという事を大いに言っていたそうです。それから私はこういう事を言いました。兎に角世界の文明は現在物質文明と精神文明で、これを分りやすく言えばアメリカは緯の文明で日本は経の文明だ。だから経と緯を結ばなければ本当の文明は出来ない。そこで救世教は緯の文明と経の文明を結ぶ計画なのだ。だから丁度あなたが来られたのは、その第一歩と思うと言ったら喜んでいました。私等のバッジもそういう意味を現わしていると言ったのです。
バッジについて、ついでだから話しますが、バッジにこうして丸がありますが、これはこういう意味になります。これでは本当ではないのです。もう一つ貫いているのです。ですからこれを正面から見ると丸になります。そういう意味もあるのですから神道の方で非常に神秘とされている天津金木(アマツカナギ)の法というのがあります。この天津金木というのは、古い板にそういったものをこしらえたのです。この四角いものをこういう工合に組んで、そうしてもう一つこうやるのです。こういうものを御神体のように祭ってあるのです。それで天皇が毎年正月元旦にそれに対して祈願するのです。そうするとその年のいろいろな吉凶禍福、そういったものが浮かぶのです。これは又話が神秘な方面になりますが、天津金木の起こる前というのは、つまり玉座と言って、真四角なのです。その時分は畳か板か分りませんが、そういったものを作って、それは十文字の形になって、その真中に神様が坐るのです。それはつまり天照大御神様が統治された時に其処に坐るのです。そこで目をつぶって居られると、その国のいろいろな事が分るのです。それが天照大御神様がおかくれになって、その代りとして天津金木というものをかかげたのです。それが神秘な事で、神道の根本になるのです。神道家でもこの事は知らないでしょう。そういう訳ですが、バッジというのは、そればかりではありませんが、そういう意味もあるのです。そういう神秘な事はいずれ話をするとして、今日はこの話はそのくらいにしておきます。
ハワイの方は、始終栄光に出しているとおり、非常な勢いで発展しつつあります。 いよいよ本部も出来ました。この間あっちの弁護士で、法人の届けを扱った人が来ました。これは予定の通りですが、許可になりました。その報告と、又外の事で来たのでしょうが、私は会って聞いて、非常に結構だと言ったのです。法人になりますと総てがやりよくなります。丁度本部が出来て、そういったような事を神様は順序良くされているわけです。ハワイは五つの大きな島から成立っているのですが、その五つの島の重要な地点にみんな支部が出来ました。無論ハワイの新しい信者ですが、そういうような工合です。それでホノルルの本部も、兎に角五万弗で買ったそうですが、非常に安いのだそうです。この間の弁護士の話によると、丁度坪一万二、三千円くらいになっているそうです。ところが今こしらえると坪五、六万くらいかかるだろうと言ってました。だから非常に安いのです。位置も非常に高い所で、眺めも大変良い所だそうです。神様が準備してあるのですから当り前の話ですが、ハワイの発展は、そういう工合で目覚ましいものがあると思います。五万弗ですと邦貨にして千八百万円ですが、これから少し修繕しなければならないので、そういった修繕費はハワイの信者が全部出すのです。僅か半年あまりでそれだけの発展の成績をあげたという事は驚異と言ってよいくらいです。そういうような工合で、私はいずれ地上天国はハワイから始まるのではないかと思ってます。ハワイが殆んど救世教信者になるという事になると、これは大いに世界の注目を受けると共に特にアメリカが注目しますから、そうするとアメリカの発展も早くなるわけです。ですからむしろそうなってから日本の人が喫驚して、急に救世教信者になる人が非常に増えると思ってます。丁度幕末時代のキリシタン・バテレンのようなものです。というのは「救世教奇蹟集」の新聞広告を出そうと思ったところ、読売は出しましたが、朝日、毎日は出さないのです。出さないというより出せないのです。というのは、兎に角怖いらしいのです。 つまり迷っているわけでしょう。迷って決定しないのでしょう。というのはあの広告文にしても、ばかに飛躍してますから。例えてみればもうキリストが数十万人出来ているというような事がありますから、あれでは喫驚してしまいます。面白い事を言いやがる、そうかと言って読んでみると本当だ、だからやっつける事はできないが、そうかと言って信ずる事はできない、と言って一人のキリストを拝んでも昔から大騒ぎをやっているところに、キリストが何十万出来たというのは、まるで気違いだとしか思えないでしょう。だからけしからんと言って調べたところで、本当なのですから、そこで迷ってしまうのです。決定ができないのです。私は以前こういう事を聞いた事があります。アフリカの土人が何か落ちている物を見てギョッとして悲鳴をあげたので、一体何んだろうと思うと、時計が落ちていたのです。これはアフリカ探険に行った白人の話です。時計は動くので怖いと思って逃げ出してしまったのです。丁度それに似ていると言うと、甚だ相済まない事ですが、丁度「救世教奇蹟集」を新聞社の人が見た時に、今のアフリカ土人が時計を見て驚いたのと似ているかもしれません。怒るかもしれませんが、怒ったらまず研究してもらいたいと思います。そうすると怒るべきか怒るべきでないかが分るでしょう。土人が見て時計だという事が分ると結構な物だと分りますから。そういうようなわけで兎に角救世教というのはあまりに現代の文化と離れ過ぎてますから、それで反って分らせ難いのです。丁度幼稚園や小学校の生徒に大学の講義を聞かせるようなものです。中学程度ならよいのですが。もっと割引しなければと思いますが、私も今まで割引はしてます。そうかと言って本当の事を曲げてまで割引する事はできないので、本当の事はやっぱり正直に言わなければなりません。ただこうやって病気が治るという事が、とんでもない脅威です。だから信じられないというのは尤もです。そこにもっていって新宗教というものの見方がいろいろなのです。今問題になっている霊友会事件にしても、他の新宗教でも、随分顔をしかめるようなものも沢山ありますが、そういう目で救世教を見ると、あんな事を言って人を瞞しやがるが、結局一時的のもので、いずれは化の皮を剥がれ、ボロを出すだろう、と思っている人も随分あるでしょう。そういう見方をするのも無理はないでしょう。私でも仮に救世教を知らない普通の社会人とすると、新宗教などは軽蔑して、信ずるどころではないです。やっぱり今の知識人と同じに違いありません。だから無理はないのです。そこで、それはこういうものだという事を知らせるという事が非常に難かしい問題です。そうかと言って嘘ではないので本当なのですから、それを知ったらこんな結構なものはないのです。そういう者は仕合せです。あなた方は非常な幸運者です。先駆者というものは非常に難かしいもので、どうしても骨が折れるものです。
この間文部省の宗務課長補佐と朝日、毎日とその他の新聞記者が六、七人来ていろんな質問がありました。その時に、私の方は宗教ではないのだ、宗教では世の中は救えないのだ、宗教以上のものだ、それで名称がないから、やむを得ず宗教としているのだ。何故宗教以上のものかというと、今までの宗教は何百何千年とかかっている。ところがつまり病貧争絶無の地上天国は私が生きている内に少なくとも基礎だけは造るつもりだ。だから今までの宗教とは全然違うと言ったところが、目をキョロキョロしてました。これはなかなか分り難いのは無理はないです。その点が非常に難かしいのです。しかしこうやって病気が治るというのは、こっちで言えば武器です。そういった非常に簡明な分らせ方です。非常に難かしい事が、又一方非常に簡単に分らせやすいという事もあるわけですからして、神様はなかなかうまくこしらえられたわけです。
次には自然栽培ですが、これもだんだん進んで来まして、今年は初年度から素晴し い成績をあげられる技術が進みました。これは最近度々言うとおり、日本の水田の表 面というものが肥毒のために壁のようになっているのです。だからそれを深掘りによ って壁をつき破って純粋の土を浮かび上らせるという訳で、つまり天地返しをする と、初年度から余計の収穫をあげられるという事を中京方面で発見と言いますか、始 めたわけです。それであの辺が非常に注目をあびて、普及会員になる人が、それこそ 物凄いほどできるのです。これがだんだん拡がったら大変な事になるでしょう。兎に 角今年は結局五千三百四十七万石というのですから、去年より一千二百万石ぐらい少 ないのです。そこでそういった不作というのは神様がいいチャンスを作られたとしか 思われないのです。そういうようで、日本における今一番厄介な問題が救世教によっ て解決されるとしたら、みんな手を合わして拝まないわけにはゆかないと思います。 これだけでも大変な救いです。それこそ日本始まって以来、これほど大きな救いはあ りません。それについて最近聞くところによると、なるほど肥毒が固まってコチコチ になっているそうです。肥毒の固まらない所とか気候や土質の関係もありますが、ご く酷い所になるとコチコチになって層になっているそうです。だからそういう所に稲 を作ったところで出来るわけがないのです。今年の凶作の原因には冷害や風水害があ りますが、それよりも肥毒の壁を作ったという事でしょう。そういう肥毒を稲が吸う からして虫がわくのです。又それに対する消毒薬から又虫がわくというわけで、一生 懸命に凶作の因を作っているようなものです。今日は何から何まで“超愚”です。超 愚だらけになっているのです。ですからこれは科学が根本ですが、科学は一方におい ては人間を助けながら又一方に酷い目に遭わしているのです。一方で撫でて、一方で 拳骨で叩いているようなものです。この科学の良い所ばかりを見て惚れてしまったの ですから、この迷信を打破するのが大仕事なわけです。
兎に角アメリカの方もこれからだんだん分らざるを得ないようになりますし、そう なるとハワイは、全島がまず地上天国の先駆になるのではないかと思ってます。特に ハワイは、他の条件はみんなよいです。食糧難というのはないので、食って余るくら いなものです。それから人民の思想のよい事で、非常に素直で明かるいのです。それ はそのはずです。結局生活が楽だからです。日本人が今ねじけて犯罪とか苦しい事が いろいろ多いのは結局物が足りないからで、生活が苦しいというのが原因です。ただ ハワイで困っているのは病人が多い事です。ですから救世教がこの病人の解決をすれ ば、ハワイは割合に簡単に地上天国になるわけです。ですからハワイは、兎に角メシ ヤ島になるでしょう。そこであとは日本ですが、つまり日本の米の問題です。これが 解決されると、医学の問題も、救世教が肥毒を発見してこういう素晴しい日本を救う べきところを見れば、やっぱり薬はいけない、浄霊で病気が治るという事が一度に信 用される事になります。ですから自然農法の成果が病気治しの方面にも非常によい影 響が伴なうと思うので、大変喜ばしいと思っております。