医学断片集(20) 塵芥溜には虫が湧く (栄173号 昭和27年9月10日)
時々訊かれる事だが、人間の腹の中に寄生虫が湧くのは、どういう訳かという事である。ヤレ蛔虫、十二指腸虫、蟯虫など色々あるがそれに対し私はこう答える「つまり人間の腹の中へ虫が湧くのは、腹の中が塵芥溜と同じになっているからである」と言うと、誰しも頭を掻き掻き苦笑する其可笑しさである。しかし之が本当だから仕方がない。では塵芥とは何かというと、之こそ薬毒の古くなったものであって、それに対って浄霊をすると、虫は弱って出て了い治るのであるが、それは虫の湧く材料がなくなるからである。
医学断片集(21⁾薬と名の付くものは全部麻薬なり(栄光174号 昭和27年9月17日)
今日世人は麻薬というと、非常に恐ろしいもののように思っているが、実は薬と名の付くものは、全部麻薬である事の意味をかいてみるが、之は誰も知る如く初め麻薬を用いるや、頭脳は明晰となり、爽快感が起るので、段々癖になって了うので、之が中毒である。処が実は凡ゆる薬も同様であって、只麻薬と違う処は、麻薬は即座に効き目があるが、外の薬はそうはゆかないで、言はば長持がする只それだけの異いさである。風邪でも結核でも、胃病、心臓病、何でも彼では理屈は一つである。従って現代人の殆んどは、軽微な麻薬中毒に罹っているといってもいい位であるから、病気に罹り易いのである。
そうして面白い事には、近頃よくこういう話を聞く、それはアノ薬は以前は非常によく効いたが、この頃効かなくなって困って了うというのである。之は全く薬の中毒患者が増えた為であるが、それに気が付かないだけの事である。でなければまさか人の方が以前と異る体になった訳ではあるまいから、全く医学の盲点を物語っているといってよかろう。
医学断片集(22) 〇(栄光176号 昭和27年10月1日)
昔から自惚れと瘡気のない人はないとよく言われているが、之は満更意味のない事もない。何故なれば之は無論薬毒の事であって、今日どんな人でもそれのない人は、一人もないからである。而も想像のつかない程多量に有っている。一度病気に罹るや喀血、血痰、吐痰、鼻汁、汗、発熱、腫物、痔出血、白帯下、嘔吐、下痢、各種の湿疹等によって出るには出るが、其量の多い事は驚く程である。浄霊を受ける人でももうこの位出たら、大体清まったと思って安心するが、どうしてどうして迚も生易しい事では半分も出るものではない。私などは五十年前の肋膜炎と肺結核の時の薬毒や、三十数年前一年位の間、毎日使われた歯の薬等がまだ相当あるので、毎日自分で浄霊している位であるが、之も時の経つにつれて段々減り、健康になるので楽しみにはしているが、私でさえこの位だから、一般の人は推して知るべきで、この事は大いに参考になると思う。
医学断片集(23) 神経とは (栄光185号 昭和27年12月3日)
御医者さんは病原が分らない場合「其の苦痛は貴方の神経の為です」といって済ましているが、よく考えてみると之位可笑しな話はないと思う。というのは何等の原因もないのに、神経の為苦痛を感ずるとしたら、其の神経こそ病気に罹っているのだから神経を治すのが本当の医学ではないか、それを知ってか知らないでか、相も変らず言っているのだから、恐れ入った話である。このの様な理屈に合わない事を聞かされても看破る事も出来ず、有難がっているのであるから、現代人は全く可哀想なものである。
右はお医者さんにはチト耳が痛いだろうが、本当の理屈と思うからかいてみたのである。
医学断片集(24) 手当 (栄光187号 昭和27年12月17日)
昔から病気に対して、手当という言葉があるが、どうもピッタリしていない。之を文字通り解釈すると、手を当てるということであるが、手を当てるだけで病が治るとしたら、病は屁のようなものであろう。といって今日の医療の如く薬や注射、色々な物的療法をすることは勿論手当とはいえないと思う。併しこれを想像してみると、撫ぜたり擦すったりして薬を服ませ、楽にするという意味であろうが、吾々からいうとこの一時的楽にする行り方こそ、反って病気を治さない方法で、拗らす方法であり、結果は慢性にする方法でもあるから、この言葉は廃めるべきだと思うのである。

