今回は、私の妻の体験したことについて話をします。妻と言っても、その当時は、まだ結婚もしていませんでしたし、付き合いもしていなかったと思います。従って、ここでは、仮にFさんとしておきます。
Fさんと母親が入信したのは、函館布教所でした。函館市に住む知り合いから何度かご浄霊をいただいて、入信したようでした。その頃の私は、新設された木古内布教所の所長をしていました。Fさんの家は、木古内の隣町の知内町でしたので、木古内布教所の所属になりましたが、知内町では初めての信者さんだったように記憶しています。
Fさんのお母さんは、大病を患って何度か手術をしたようですし、Fさんも子供頃は体が弱く、入退院を繰り返していたようです。お父さんは、サケマス船団の船頭をされていて、函館でも有名な船頭の一人のようでした。彼女は、二人姉妹の長女で、妹さんはまだ高校生でした。
普段の布教所は、木古内町在住の信者さんしか来ませんから、お昼には、家から持ってきたジャガイモを煮て、みんなで食べるというような和気あいあいとした家族的な雰囲気の布教所でした。Fさん母子は、Fさんの休日には、よく布教所に来て、いろいろとご奉仕もされて、地元の信者さん方ともすぐに仲良くなって、気が付けば古参の信者さんのようでした。
ただ、ちょっと違ったのは、信者さんからご浄霊をいただいているときに、急に体の力抜けて、その場に横になって、霊憑りになってしまうことでした。それまでは無かった現象で、入信してから時々そのようなことが起こるようになったものでした。その時のFさんは、意識ははっきりしていて、母親に対して「こんな人が見える。」と言って、服装や特徴などを伝えていたこともありました。それを聞いていた母親が「○○さんかな」というと、合っていれば頷くし、合っていないときはジッとしていたように思います。合っていないときが大変です。母親が、いろいろ思い出し考えながら、また別の人の名前を口にします。そして、私に対して、「どうしたらいいでしょうか。」というので、「もしよかったら、祖霊祭祀を申し込んで、箱根の祖霊舎にお祀りしてもらってはどうでしょう。」と答えました。申し込みには、亡くなった年月日や年齢が必要ですが、家族ならいざ知らず、親戚の場合にはそこまで知らないので、親戚に電話をして、説明して聞き取りをしながら、申し込みをするという手間がかかりました。そして、不思議と申し込みが終わると、その途端に霊が離れるということが何度もありました。
また、Fさんが何も話さないこともありました。ただ話せないだけで、意識はあったようでした。その際は、その場に居た信者さんみんなで、ご浄霊をさせていただくという状態でした。私がいる時ならまだいいのですが、私も、毎日布教所に居る訳ではないので、布教所の鍵は何人かの中心的な信者さんに預けてありましたし、祖霊祭祀の申し込みの受付もお願いしておきました。実際に、私が留守のときに、Fさんが霊憑りになって、信者さん方で対応したということが何度もありました。話が出来るときもあれば、出来ないときもあり、出来る状態で、ご先祖様が特定できたときは、祖霊祭祀を受け付けたら良くなるというケースが多かったです。そうでないときは、ひたすらご浄霊をお取り次ぎするしかなく、一時間以上かかるのが普通でした。
当時は、月初に支庁本部で月次祭が行われ、月末に布教所で感謝祭が行われていましたが、ある感謝祭の日に、全てが終わって、帰る人は帰って、残った人はお昼を食べたり、相互浄霊をしたりしていた時に、Fさんが霊憑りになりました。当然ながら、私もご浄霊を取り次がせていただきましたが、その日は、支庁本部にいく用事がありました。30分くらい経っても、なかなか良くなる気配がありませんでした。私は心の中で、「参ったなあ、このあと支庁本部に行かなければならないし、せいぜいあと20分くらいしかできない。信者さん方も慣れてはいるといっても、任せて行く訳にもいかないし、困ったもんだなあ。」と思っていました。そうしたら、15~16分後くらいに、Fさんがフーっと息を吐いて、身体を起こしました。霊が離れたので、後のことは信者さん方にお任せして、遅れずに支庁本部に行くことができました。あとから、霊はこちらの心の中まで分かって、遅れないように時間内に離れてくれたのかと思いましたが、もしそうであるなら、少し怖い感じがしました。
またある日、Fさん母子が布教所に来ました。信者さんも何人か居ましたが、相互浄霊をしていると思ったら、私を呼ぶ声がしました。奥の部屋で事務をしていましたが、「また始まったな。」と思いながら、御神前へ行くと案の定Fさんは横になっていました。私も、すぐにご浄霊をさせていただき、「あなたは、誰ですか。」と声を掛けました。Fさんは、少し間をおいて「小さな女の子が見える。」と言いました。そのあと、力が抜けているので、話し方もゆっくりになるのだと思いますが、着ている洋服の色や特徴、そして髪型などを話しました。それを聞いていた母親が、「まあー、何とかちゃんだ。」と言いました。そして、すぐさま祖霊祭祀をお願いしますと頼んできました。私は一旦ご浄霊を中断し、信者さん方にご浄霊をお任せして、祖霊祭祀の受付をさせていただきました。また親戚に電話しながらの受付でしたが、終わって再度ご浄霊をさせていただこうと行ったら、彼女はもう起き上がろうとしていました。私は、この速さは何だと思いました。
そして、次の日の朝のことです。Fさんが仕事に出かけようと玄関を出たときに、車庫の前に女の子と手をつないでいる女性がいて、Fさんに向かってお辞儀をしたので、Fさんもお辞儀をしたそうですが、頭を上げたらもうその親子は姿を消していたといいます。きっと、昨日の霊憑りのときの女の子と母親が、お礼の気持ちを伝えに来たのだと思いますとのことでした。そして、女の子の服装は、霊憑りの時に見た服装と同じだったとも言いました。何と不思議な出来事でしょうか。祖霊祭祀をお願いすることで、ご先祖様が救われ、その感謝の気持ちを、夢などではなく現実に姿を現して見せてくれたおかげで、布教所では、その後の祖霊祭祀の申し込みが増えていきました。
霊の世界では、ひたすら修行するしかありませんが、現界での供養次第では、救われる速さが変わるのでしょう。そして、子孫の誰に縋ればいいのかを知っていて、救いを求めて来るのだと思います。その意味では、救世主である明主様の信者に縋るのが一番の近道であるということだと思います。Fさん母子は、結果として何十人もの祖霊祭祀をしましたが、明主様が世界の中心であると御教え下さった箱根の祖霊舎にお祀りしていただくことが、どれほどの救いになるか図り知れません。申し込みを完了した瞬間に、Fさんの状態が良くなるということが、それを物語っていると思います。誤解の無いように言っておきますが、瞬間に良くなるといっても、霊が離れるだけで、虚脱感というか疲労感は残っていますので、起き上がることができても、その後しばらくはご浄霊をさせていただいていました。
また、いま教団では、祖霊舎の名称を紫微宮と改めたことによって、施設の中に入って供養を受けられないという祖霊様が大勢いるという話を聞いてもいますので、霊界も現界もあの当時とは事情が違うかも知れません。霊界が救われていかないと現界も救われていかないでしょうし、現界で救う力の強い人がいなければ、ご先祖様もご縁のある人をご案内してこられないのではないかと思ったりもしています。何かが違うというか、歯車が嚙み合っていないというか、的から外れているように感じてしまう昨今です。
ところで、Fさん母子は、お隣りさんやお向かいさんもお導きしましたが、隣りの奥さんがこれまた龍神さんに取り憑かれた方でした。それが、№12の話に出てくる「ウメてヨシ」に繋がる訳です。Fさんが子供の頃に、親から用事を頼まれてお隣りさんへ行くと、階段の隙間からこちらを睨んでいる目が見えたと言っていました。その意味では、Fさんも霊感の強い子供だったのでしょう。そうすると、隣の奥さんに取り憑いていた龍神さんは、20年以上、それよりももっと前からだと言えると思います。この奥さんの霊憑りの場合は、私が木古内に居るうちには、解決することができませんでした。
話は変わりますが、その当時はMOAが発足して間もない時でした。丁度、本部長がかわった時期でもありましたが、本部長のアイデアで、交通遺児救済募金をそれぞれの布教所でも実践し、木古内では、花見の時期に松前城公園で募金活動を行ったりもしました。それが発展して、財団法人南北海道交通遺児育英会を発足させようという流れになり、函館では駅前の施設を借りてチャリティーダンスパーティを開催しましたが、木古内では、体育館を借りて開催することにしました。趣意書を作ってお店に募金箱をお願いしたり、ほとんど広告のみのパンフレットを作成して、商店や企業からの寄付をお願いしたりもしました。極めつけは、信者さんの家のサイドボードに眠っているウイスキーや焼酎があったら寄付をお願いして、感謝祭に上がったお酒も全部吐き出して、経費を浮かせたりもしました。しかも、御神前にテーブルを置いて、寄付のあったお酒を並べておきましたので、増えていくのが目に見えました。
函館からバンドを呼んで生演奏で開催したダンスパーティーでしたが、バンドの皆さんもチャリティーなんで料金は要りませんと言いましたが、そういう訳にもいかず寸志を包んで渡しました。終了時間になってもアンコールがかかり、バンドの皆さんもノリノリで答えてくれて、大盛況でした。結果的に一晩のパーティーで100万円を超える利益を出しました。Fさんはその時24歳だったと思いますが、未信者の従兄弟数人を受け入れスタッフとして声を掛けてくれて、パーティーを華やいだものにしてくれました。
Fさんが入信して、献身的にご奉仕してくれたおかげで、平均年齢の高かった布教所も若返り、和気あいあいの雰囲気が更に明るくなりました。その後、25歳の時に結婚することになりました。それから№5で紹介したひーちゃんの事例に繋がっていく訳ですが、私が出張などで留守の時は、江良の地域を担当してくれていたMさんと二人で、夜なかでも車を走らせて、対応してくれていました。本当に、感謝しきれない献身ぶりでした。
Fさんの霊憑りですが、付き合い始めたころから極端に減り、結婚してからは一度もありません。救いを求めてこられた祖霊様に対して、真心の慰霊を尽くし切られたのだと思います。また、Fさんの場合は、救われたい祖霊様だけの霊憑りでしたので、非常に対応がしやすかったと思います。ある意味では、Fさんの祖霊様方が、明主様の救いの偉大さを、私たち凡人に教えて下さった事例だったと言っても過言ではないと思っています。その意味では、龍神や稲荷、その他の動物霊や人獣同化霊による霊憑りとは異質であったと思います。また、幼少期から病弱で霊感が強かったようですが、霊媒体質ではなかったのかも知れません。あるいは、霊媒体質だったとしても、その使命を果たし終えれば、そのような現象も起こらなくなるという事例だったかも知れません。
by Mr.Right