こんにちは、先日掲載した、「*丑寅の金神 御教え集2号 昭和二十六年九月十一日」
はお読みいただきましたでしょうか?
この青森県下北半島の大畑町は実は私の出身地です。大きくなるまで”丑寅の金神”のことは全然知らなかったですね。あれだけ信仰熱心な父は、あまりこのみ教えの事について話していなかったように思います。当時あの小さな町に映画館があったんですね。今ではちょっと考えられないですが、今のように娯楽がいろいろなかったからでしょうか、小学生の頃も映画館はあったことを覚えています。昭和26年当時、父は26歳ではなかったかと思いますが、その講演会の時、代表でお詠を奉唱させていただいたと、これも随分経ってからききました。話には聞いていましたが、父は信仰という服を着て歩いているような、熱心な信者だったのだとおもいます(笑)。
そのお陰で今の自分達があると思うと本当に感謝しかありません。(合掌)
大畑町は1万数千人(人口は変遷して減少)ぐらいの小さな漁師町ですが、かなりの数の世界救世教の専従者、先生が生まれています。まぁ、大畑町民でメシヤ教やお光さん(二つとも世界救世教の通称)をしらない人はいなかったのではないかなと思っています。高校を卒業して、東京や大阪に住みましたが、世界救世教の事を全く知らない人が多いのにびっくりしたものです。今に至っては、知ってる人がいると逆に驚いたりして...汗(笑い)
とはいっても、小中学生のころ、クラスに何人かは信者家庭の同級生がいましたが、でも、少数派ではありますので、その当時のお守りさんを首からかけていることを、チョット隠したりしていたように思います。みんなが受けるインフルエンザなどの予防接種なども受けないし、肝油などもみんなに配給されましたが、食べた事がありませんでしたし、ガムや、着色料など添加物の入った食べ物など一切たべてはいけませんでした。薬は勿論一切飲んだことがありませんでした。お米も自然農法の米でしたし、今考えると本当にありがたかったなーとつくづく思います。
ということで、懐かしい大畑町の名前が出てきたので書いてみました。
何か、今度の五月に、知り合いの方たちが、型の大畑町にわざわざいってくださるそうで、行っても何かあるのかわかりませんが、自然の景色と美味しい旬の食べ物を楽しんできていただけたらと思います。
八尾屋