『自観叢書』第3篇 「霊界叢談」 を掲載しています。 ▶️

大光明世界の実相(五) 自由無礙 (光明世界五号 昭和十一年一月二十五日)

私はいつも、自動車に乗ってる時に、よく思ふんですが、観音行は恰度、自動車の運転の如うなものである。途を真直に行くにはハンドルを絶えず、右とか左とか動かしてをる。そこが非常に面白い所で、真直と決めれば、必ず障害物に突当ります。それと同じで今迄は物を決めたがったので、それで失敗するのであります。例を政治家に採って見ませう。政友会は、積極政策で行き、民政党は消極政策であるといひますが、そういふ風に決めるからいけないんであります。之が決めない様になれば、政治もうまく行くんであります。政治もそういふ風に、お互ひに決めなくなれば、政友会とか民政党とかいふ、党派も無くなって、一つになるんであります。何れは政治もそうなりませう。社会は生きてゐる。凡ゆる物は生きて動いてゐるんでありますから、生物に対して、決めてかゝるから、違って来るんであります。
例えば、剣術を使ふにしても、主義で決めたら大変です。打って来る時に、突きを防ぐ主義でやるとすれば、打たれるのは当(アタ)り前であります。斯ういふ風に決めると、言ふ事が違ふんであります。今迄種々(シュジュ)ありました。募債主義とか、非募債主義とか、或は、金輸出解禁とか、禁止とか、最初から主義を立てるから違ふんで、主義を立てると、その物は死んで了ふんであります。要するに政治は、積極にも非ず、消極にも非ず時と場合に依って応変するのがよいのであります。何事でもそうなのであります。今日は、積極、明日は消極といふ風でもよく、或は此月は積極、来月は消極でゆくといふ風でもよいのであります。時(トキ)処(トコロ) 位(クライ) に応じて千変万化するのが、本当なのであります。観音行は何事も決めないで、自由自在なのであります。観音様の事を、一名無礙光如来といふのは、そういふ訳であります。将来の政治は、そういふ行り方でなくてはならない。すべて決めてかゝるといふ処に、間違ひがあるんで、その点から言っても、今迄の行り方は間違ってゐたんであります、モーゼの十戒とか、仏教の五戒とかいふのは、非常な間違ひであります。五戒とか十戒とか決めると、それ以外は何をやってもいゝ事になって了ふんで、戒律のないといふのが真理であります。たゞ一つの教に帰依すればいゝので、それによって自然に戒律が守れるんであります。それが観音の行り方で、観音様は一の位一の数であります。
一といふ数は、数の元であり、拡げれば、無限の多い数にもなる。一にして無数であり無数にして一であり、随而、如何なる数も、一なら割れるんであります。二以上になるとそうは行かない、限られて了ふ、観音様は一つであり、無数であるが故に、自由無礙なのであります。今迄の宗教は孰れもが二以上の数ツマリ枝であります。枝は限られてゐるので、全世界の宗教を帰一する事が出来ないのであります。それ故今迄は根本である一を隠して居った。二迄しか出てゐなかったんであります。この一こそ、最高の教で、絶対の救ひであります。言葉では言へぬ、力、之が即ち、真理であります。
話は一寸違ひますが、総理大臣、即ち政治の主脳者が、観音力を与へられたならば、米の不作などゝ言ふ事はない。必ず豊作になり各地に、風水害などいふものは、全然起らないのであり、貿易なんかも能く調和がとれるんであります。

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