*信仰は自動車の運転のように(御垂示録4号 昭和26年11月5日⑨)


《お伺い》お道に入り、結構な事だから、これを専門にやって行きたいと言って、専門にやらして頂いても、中々――二年になり三年になっても、食べて行けなくなる様な事がちょいちょいありますが、曇りが多い為で御座いましょうか。

《御垂示》曇りが多いか、何処かに信仰がはずれているか、両方ですね。やっぱり、軌道に乗ってないんですね。軌道に乗れば良くいく。

《お伺い》自分にはその資格がないのかと思うので御座います。

《御垂示》そんな事はない。人間で、資格がないと言う事は絶対ない。はずれているんです。うんと御神書を読むんですね。これはだね。病気が治りさえしていれば、縋って来る人が多くて困る位のものですよ。そうしてお蔭を頂けば、お礼をしなければならないしね。

《お伺い》地方では、メシヤ教に治して貰ったら――神様にはお金を使わず治して貰えると言う様な事を言っておりますので。

《御垂示》最初はそうですよ。しかし本当にお蔭を頂けば、そうしてはいられないですよ。そう言うのは、信仰が違っている。なぜなら、人によって、非常に発展する人と、発展しない人がある。非常に発展するのは、良く合っているんですね。発展しないのは、こう思って改善していかなければならない。そう言う場合には、時々その人が小乗信仰ですね。そう言う場合が多いです。発展しないのはね。だから、やっぱり大乗信仰でなければならない。気の小さい人は発展しない。気の大きい人は発展する。そうでしょう。気の大きいと言う事は霊が大きいので、魂が大きいと、教会もそれだけ、発展する。気が小さいと、いじけているので、教会も小さくなく。だから、メシヤ教は何んなに大きい考えを持っても良い。世界中を救うと言うが、空念仏ではないんです。実際に効果をあげているんです。

《お伺い》その場合に、神様を信用申し上げると言う事は、お任せする様になりますが、本人自身はそこ迄到達しておらず、信用できないので、無理に自分から信じてしまう様にすると言うのは。

《御垂示》いけないですね。信じても信じなくても、勝手にしろと言うのが本当です。信じて貰わなくても良いんですからね。

《お伺い》わき起ったもので。

《御垂示》そうです。どうしても、信じたくてしょうがなければ、信ずる。それで良いんです。信じて下さいなんてね。先にありましたが、私のやり方は軽々しいとか、もう少し威厳をつけた方が、有難がるだろうと言うのがあったが、私のやり方でお気に入らなければ、勝手にしたら良いでしょう。私はこれで良いと思ってやっているんだから、これが良いと思ったら信じなさいと言ったが、やっぱりそれが良いと思ってか、信ずる人がある。お信じなさいと言うと、霊的にその人が低くなる。と言って、無暗に自惚れてはいけないがね。実際に、五つは五つに、六つのものは六つにしていく。あんまり謙遜してもいけないし、あんまり威張ってもいけない。その人相応にしていく。

《お伺い》小乗的な行き方を反省致しますと、親切過ぎる位にヒントを与えていると言う事になりますが。

《御垂示》結構ですが、その場合に、堅っ苦しい戒律的はいけない。道徳的ですね。少しは良いが、あれにこだわり過ぎてはいけない。だから、言うに言われないんですね。それから、相手によって違わなければならない。誰も彼も同じではいけない。相手によって、小さく言う事もあるし、中位に言う事もあるし、大きく言う事もある。それが応身の働きですね。信仰だって、相手に理解し得る様にね。インテリはインテリらしく、普通の人は普通に、女子供は分かり易く単純な話ですね。人によって違わなければならない。その修業ですよ。だから、何でも、一番いけないのは、決めるのがいけない。こうだと、決めちゃうと、真理からはずれちゃう。そうかと言って、全然決めなくて、でたらめでもいけない。決めるべきものは決める。決めてはいけないものは決めない。事に応じて千変万化にする。それが自由無碍です。法律と言うのは、定めるから悪人が出る。これは罪になると言う事を定めちゃうから、それに触れない事は罪にならないと言う事になって、法律をくぐる事になる。お医者でも、これはこう言う療法でやる。あれはこうと定めるからいけない。つまり真理は一つです。だから決める事ができないし、決めない事はいけない。決めて、また決めない。それから、はっきり言ってもいけないし、はっきり言わなくてもいけない。つまり、訳が分からない。そこに、一つのこつを見出すので、それが最高の信仰です。だから、そこにいくと、殆んど口には言えない。覚りですね。

《お伺い》二年半位前と思いますが、『無限』と言う雑誌の記者がインタビユーの時、ブランコの事をおっしゃられましたが、大きく振れるのが一般で、小さいのが明主様で、しかし小さくても止まっているのではなく動いている。と言う。

《御垂示》そうですね。自動車の運転ですね。こっちに決めれば衝突する。こっちに決めても衝突する。どっちもいけないから、真直ぐ行く。自動車の運転は一番良く分かりますね。それが、つまり信仰の最高のものなんです。今迄の信仰はそう言う事を説いてないですね。朧気おぼろげには説いてありますがね。

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