私は之から医学を全面的に批判解剖してみるが、其(その)前に健康と寿命に就(つい)てもかかねばならないが、現代医学が真の医術であるとすれば、病人は年々減ってゆかなければならない筈(はず)であり、それと共に寿命も漸次(ぜんじ)延びてゆかなければならない道理であるばかりか、そうなる迄に数百年で充分であるのは勿論、現在最も難問題とされている結核も伝染病も全滅するし、病気の苦しみなどは昔の夢物語になって了(しま)うであろう。処が事実は全然其反対ではないか。としたら真の医学でない事は余りにも明かである。
そうして次の人間の寿命であるが、之も造物主が人間を造った時は、寿命もハッキリ決めた事である。尤(もっと)も之に就ても私は神様から示されているが、最低百二十歳から、最高は六百歳は可能という事である。従って人間が間違った事さえしなければ、百二十歳は普通であるから、そうなったとしたら実に希望多い人生ではないか。而(しか)も只(ただ)長命だけではなく一生の間溌剌(はつらつ)たる健康で、病気の不安などは消滅するのであるから、全く此世の天国である。では右の如き間違った点は何かというと之こそ驚くべし医学の為である。といったら何人も愕然(がくぜん)とするであろうが、此百二十歳説に就て、最も分り易い譬(たと)えでかいてみるが、先ず人間の寿命を春夏秋冬の四季に分けてみるのである。すると春は一、二、三月の三月(みつき)として、一月の元旦が誕生日となり、一月は幼児から児童までで、二月が少年期で、梅の咲く頃が青年期であって、今や桜が咲かんとする頃が青年期で、それが済んで愈々(いよいよ)一人前となり、社会へ乗出す。之が花咲く頃であろう。次で四月桜の真盛りとなって、人々の浮き浮きする頃が、四十歳頃の活動の最盛期であろう。よく四十二の厄年というのは花に嵐の譬え通り、花が散るのである。次で五、六、七月は新緑から青葉の繁る夏の季節で、木の実はたわわに枝に実るが、それを過ぎて気候も下り坂になって、愈々稔りの秋となり、之から収穫が始まる。人間もそれと同じように、此頃は長い間の労苦が実を結び、仕事も一段落となり、社会的信用も出来ると共に、子や孫なども増え、人生最後の楽しい時期となる。そうして種々の経験や信用もあり、それを生かして世の為人の為出来るだけ徳を施す事になるのである。それが十年として九十歳になるから、それ以後は冬の季節となるから、静かに風月などを楽しみ、余生を送ればいいのである。然し人によっては活動を好み、死ぬ迄働くのも之亦結構である。
以上によってみても、四季と寿齢とはよく合っている。此見方が最も百二十歳説の裏付けとして好適であろう。此理によって医療が無くなるとすれば、右の如く百二十歳迄生きるのは、何等不思議はないのである。処が単に医療といっても種々の方法があるが、二十世紀以前迄は殆んど薬剤が主となっていたので、長い間に薬剤で沢山の病気を作って来たのである。何しろ薬で病気を作り、薬で治そうとするのだから、病気の増えるのも当然であると共に、寿齢の低下も同様である。此何よりの証左として、医学が進歩するとすれば病気の種類が少なくなりそうなものだが、反対に増えるのは、薬の種類が増えるのと正比例しているのである。今一つ人々の気の付かない重要事がある。それは医学で病気が治るものなら、医師も其家族の健康も、一般人より優良でなければならない筈であるのに、事実は寧(むし)ろ一般人より低下している。何よりも種々の博士中医学博士が一番短命だそうだし、又医師の家族の弱い事と、結核の多い事も世間衆知の通りである。そうして現在の死亡の原因は突発事故を除いて悉くは病気である。而も病死の場合の苦しみは大変なもので、之は今更言う必要もないが、よく余り苦しいので、一思いに殺して呉(く)れなどの悲鳴の話をよく聞くが、では此様な苦しみは何が為かというと、全く寿命が来ない内死ぬからで、中途から無理に枝を折るようなものであるからで、恰度(ちょうど)木の葉が枯れて落ち、青草が枯れて萎(しお)れる。稲が稔って穫(とり)入れるのが自然であるのに青い内に葉をむしり、青い草を引抜き、稲の稔らないのに刈込むと同様で、不自然極まるからである。というようにどうしても自然死でなくてはならない。然し近代人は弱くなっているから、自然死といっても九十歳から百歳位が止まりであろう。
以上説いた如く、神は人間に百二十歳以上の寿命を与え、病気の苦しみなどはなく、無病息災で活動するように作ってあるのを、愚かなる人間はそれを間違え、反って病苦と短命を作ったのであるから、其の無智なる、哀れと言っても云い足りない位である