小児麻痺(3)『アメリカを救う』昭和28年1月1日発行 ※御蔭話

吾子の小児麻痺救われ薬毒の恐ろしさを知る

岡山県  W.T (38)

       
 私は男二人女一人の三人の子持でございますが、末っ子のY(四歳)は上の二人に比べて生まれつき元気でよく肥えていました。ところが今年旧正月の二日に風邪引らしい熱を出してぐんぐん熱が昇り、仕方がないので近くの医者を呼んで診て貰いましたところ「余り熱が激しいから肺炎になるかも知れん。ペニシリンを一本注射して置けば大丈夫だ」との事で、転ばぬ先の杖と思い込んで早速うって貰いました。新薬の効果はてきめん、熱がぐんぐん下ってすやすやと眠り出しました。有難い薬が出来て病気も心配ない、肺炎なんか問題じゃないなあ、と思って安心して寝ました。

 ところが朝になって驚きました。熱は無いんですが泣く顔は物凄く、左目はぽかんと開いたまま右の目だけつむっているし、口は右へ引き吊って「へ」の字を逆さまにして曲げたような形、右半面は泣き顔で、左半面は無表情、人形そのままの顔、私は暫く見とれて考えこみました。あまりの変化に何が何だか判らなくなったのです。妻は「どうしようか、どうしょうか」と言うんですがどうする事も出来ず、矢張り医者に掛るより方法はないと朝食も食べずに医者へ行きました。医者も首をひねって「子供のこんなのは初めてです。大人の顔面神経麻痺というのと同じだ。注射を気長にやっていれば治る」と言って注射をしてくれました。二、三日通いましたが何だか心細くなったので中央病院の診断を受けに行って見ました。そして小児麻痺の病名を付けられ、毎日毎日雨の日も風の日も、やれ皮下注射だ、脊髄注射、電気治療と通いました。朝起きると子供はもう泣いております。お菓子をやっても玩具を見せても釣られなくなりました。「好いべべは着ん。お母ちゃんもべべ脱いでおんぶして……」「背中の注射せずに手々だけ注射する」と必死になって頼むようにまでなりました。そして連れて行く親も連れられて行く子も辛抱出来なくなり、あまり効果もないのに毎日注射代やら電気治療代やら金ばかりが気にかかり、遂に病院も次第に頼りなくなり、ある日医者に尋ねたところ、医者は「早い子は三周間か五週間で治る。一年も通えば治りゃせんかと思うが、必ず治るとは請合えん」と当にならない返事なので、もう仕方がないと諦めて病院通いをやめました。その当時の病状は泣いたり笑ったりすると顔の半面がゆがみ、言葉もはっきりせず、足もとぼとぼと頼りない歩き振りでした。

 ちょうどこのような時に、十数年来の胃の痛みで苦しんでいた私は、信者のMさんから御浄霊を頂き、たった一回で痛みが軽くなった不思議さに教会へお参りする事になり、その二日目(四月三十日)に子供の病状を話しました。私のは胃の痛みだから治るだろうが、小児麻痺は駄目なんだろうと思って話したんですが、案に反し「治りますよ。明日から一緒に連れてきなさい」と言われました。その時ちょうど子供は下痢をしておりましたので、下痢だけでも治して貰おうと思って毎日連れて参りました。自分の胃が日に日によくなるので、その中に子供も必ずよくなると信じられるようになりました。

 五月三日には私が入信、有難い御守様を頂き、朝は教会で晩は家で私が御浄霊させて頂きました。ところが子供の下痢は次第に激しくなり、身体は次第に痩せ細って顔色も悪くなってくる。近所の者は蔭口をたたく、度々迷いそうになるんですが、どうしても信ぜざるを得ない事実は私の身体に表われて来ます。私の胃病の苦しさは私の毎日の下痢の度に軽減して行く事実です。どうしても神様はないとは思われません。子供の便も大変な異臭がある。――着せた着物にまで臭気がうつり、三日と着せていられない。しかもその臭気が不思議と薬の臭いなのです。「治る、大丈夫治して頂ける」と信じていました。そして母と妻を信じさせるよう薬毒の恐ろしさについて話しました。

 悪くなってからO先生が毎日通って下さいました。そして浄霊を受ける度に血色を盛り返し、元気を恢復する子供を見て、又先生の態度、自分を忘れた惟神の真心に家族一同異存なく信じさせて頂けました。その後近所の人が心配して「親は信仰でなおっても、子供だけは医者へ行かんと取返しのつかん事になる。おばあさんはどうしてあんな事させとく?」とか「お母ちゃんはあれ程悪い子供を見殺しにするのか」とか、何度も忠告らしい事を言われますが、動じなくなりました。一時は泣く声も出ず、坐る事も出来ず、眠っているのか死んでいるのかと鼻の穴を耳であたった事も度々でした。二日三日と生死の境を彷うように思われましたが、四日五日と経つにつれて声も次第に元気になり、顔色も日増に恢復、一カ月後には前よりも元気で、顔の引吊りも半減、言葉遣いもすっかり変って来ました。そして日増に肥えて足の動きも人並になりました。先々月血便の浄化が連続三日続きましたが、血便しながら走り廻って遊んでおりました。現在でも時々下痢の御浄化を戴きますが、その度に健康を増し、小児麻痺の症状は最近すっかり全快、言葉遣いなど大人そこのけで、御神前で御礼をして「かむながらたまちはへませ」と拝んでおります。そうした子供を見る度に、遠い昔のようにも又つい昨日か一昨日のことのようにも思われ、あまりに大きな御守護、明主様の御恩に熱いものが込上げて来て、御神体の御文字がかすんで拝せられます。

 入信以来幾多の御蔭を頂いた中から次男Yの戴いた御蔭を御報告させて頂きました。

 明主様有難う御座いました。

           (昭和二十六年十一月十八日)

小児麻痺僅か一カ月にて歩く
 ―― 浄霊の偉大さと医学の無能を知る ――

東京都   I.T (30)


 私は昭和二十四年田舎におる頃入信致した者でございます。それが二十四年八月現在の地に出て来てより田舎の方の支部とは連絡も絶え、なお東京に来て日浅く、教会の所在も分らぬままに、自然に一人信仰になって、明主様とのおつながりが次第に細くなって来ていました。

 去る四月二八日夕方、今まで元気だったHが急に熱を出して苦しみ始め、たった一夜にて無残にも右足がきかなくなって仕舞いました。生まれてより三年半、無事に大きくなって来たのに、このまま不具にして仕舞うのかと思うと夜も眠られず、子供の将来の事など考えては食事も咽喉を通らず、今はきかなくなった子供の足を見つめては心配にて、不安は不安を呼び、目の前が真暗になり、壁に突当った様な気持でした。

 これまでにも、蔑度か有難い尊い御守護を頂いておりますので、一人信仰とは言え、自分では熱心に信仰している積りでおりましたが、いざ大きな浄化を戴きますと、一人信仰の悲しさ、不安が次第に大きく頭をもたげて来て、心は乱れ、迷が起きて来ます。それでも心の一隅から「そんな迷を起してどうするか、一生懸命におすがりすれば大丈夫だ」と励ますものがありましたが、近所の人々は「それは小児麻痺かも知れないから、一時も早く医者へ連れて行った方が良い」と口を揃えて言ってくれます。そして「幸い治った人もある」と聞き、私の気持は次第に邪神のとりことなって行きました。そしてとうとう医者へ――。

 医者もやはり小児麻痺と診断して、注射をしました。ところが、何と野蛮な、そして残忍な現代医学でしょう。泣叫ぶ幼な子を大人が三人四人掛りで押えて、あの無気味な針を何の容赦もなく大根にでも刺すようにブスリー子供はもはや恐怖の頂点に達し、呼吸もとまるかと思うように泣き叫ぶのです。見るに耐えられなくなった私はとうとう脳貧血を起しそこに倒れてしまいました。かくするうちに注射も終ったらしく、恐怖未だ去らぬHが妻に抱かれて私を起しに来ました。可愛いい吾子をひどい目に合せて自分は何という馬鹿だったのか、と思った時、始めて医学では絶対に歩くようにはならぬと気付きましたが、念のため医者にたずねて見ました。

私「この注射で必ず治りますか」
医「それはハッキリ言えませんが、この子供の体質に合えば治ります」
私「合わなければ駄目だという事ですか」
医「合わなければ仕方が有りません」
私「それでは注射が子供の体質に合った場合には、一体何本位で治りますか」
医「それは今、何本で良いという事はハッキリと言えませんが、やって行く内に様子を見ていて、これ位で良いと思った頃に注射は止めます」
私「はあー、そうですか(ここで私は医学の蒙昧さと不徹底さを痛感しました)。しかし、それでは全治というわけには行かないと思われますが、その後はどうするんですか」
医「後はマッサージを根気よく続けるより仕方ありません」

 以上のような事を聞いて、現代医学の無能をはっきりと知りました。この上は明主様にお縋りしなくてはならない。何とかして教会を見つけたいと思いましたところ、何という有難い事でしょう。念ずれば通ずとは正にこのことと思います。図らずも東京新聞紙上に「救世教一家に告ぐ」の記事があるのを見ました。それには丁寧にも新聞記者は番地まで調べて書いてありました。そしてそこが私達の望む教会、即ちS中教会の会長先生のお宅でありました。早速妻がその記事を切り抜き、それを頼りに訪ねて行きました。途中二度程人に聞いただけで、何の苦労もなく見つかりました。

 十カ月振りで拝ませて頂いた御神体、広野で母に会いし子供のように、ただ嬉しさに胸は一パイになって、暫くは、大光明如来の御字を、身動きもせず、くい入るように見つめておりました。この感激、この嬉しさ、ただただ涙が頼を伝わるのみです。信者ならでは到底味わえぬ喜びです。会長先生を始め教会の皆様に初の御挨拶をしましたがお道にある人はどこの人も同じです。明るい柔かい気持の方ばかりでした。初対面でありながら、さながら十年の知己の様な親しさを感じました。

 早速先生に見て頂きましたところ、先生はいとも簡単に、「安心しなさい、救われますよ。十回位御浄霊をすれば歩くようになります」とはっきりと言われました。ああ、何という力強いそして自信のある言葉でしょう。現代人より絶対信頼されているところの医者でさえ、「治る」とははっきり言えなかったものを……

 神に仕える人にしてこそかく言えるものと御神威にただただ頭の下る思いでした。「これで救われる」「もう大丈夫だ」と安心を致し、総てを神にお任せしました。時に五月六日、麻痺してより八日目、これまでは良くなるところか注射をして余計悪くなり、ちょっと動かしても痛い痛いと泣くようになり、小便をする事さえ出来ぬ状態でした。それが一回の御浄霊でその夜は痛いと言わなくなり、大変楽に休ませて頂きました。二回目には坐る様になり、三回目には立っているようになり、自分でも「立った、立った」と言って喜び、親諸共喜びの涙でした。四回目には窓に掴まって歩き始めました。「この分では十回にならず共歩くよ」と妻と共に喜びました。五回にて今度は窓につかまる事をやめ、三歩四歩と歩を運ぶようになりました。ああ良かったなあと思うと共に家の中が明るくなり、ちょうど赤ちゃんが歩き始めた時のように、親も子も歩く事に夢中になって喜びました。七回目にはもう家の中をぐるぐると歩き廻り「H歩けるよ」と言って喜ぶようになりました。八、九回と回を重ねる毎に足取りはしっかりとして来て、先生の言われるごとく、十回目を終了した時は、少しびっこを引く程度にて、外で友達と一緒になって電車ゴッコや鬼ゴッコと、終日遊ぶようになりました。

 何という偉大な御力でしょう。一回目より二回目とぐんぐん変って来て、この間大体一日おき位に通い、僅か一カ月足らずにて、こんなに元気に初夏の日を一ぱい浴びて額に汗を流して遊び戯れるようになったのです。

 振返って見るとき、一カ月前のあの暗かった私達一家も、今はこうして親子共に明るく楽しく過させて頂けるようになりました。これもひとえに明主様のおかげであります。更に会長先生始め教会の皆様方の御尽力にも、深く御礼申し上げます。

 この上は、一人でも多くの人にこの絶大なる福音をおしらせし、大御恵の万分の一にもお報い致したいと思います。

 感謝の余り拙文をも省みずここに御報告させて頂きました。
 明主様、有難うございました。
         (昭和二十七年六月二十七日)

絶対不治の全身小児麻痺短時日に癒えゆこの奇蹟

大分県  E.F (35)

 二、三日前からKがひどい風邪を引き、早速医師に診て戴くと百日咳との事です。「子供が小さいから余程注意なさい」と言って下さり、毎日注射してもらい、薬も服用させました。割合に早く治りましたが、今度は時々高熱を出してはそのためひどい痙攣を起し、びっくりして医者を呼び、注射や下剤や浣腸等種々手当をしました。

 Kも病気をするまでは丸々と太り、順調に進んでいましたのにちょっとした事から取り返しのつかぬ身体になりましたのです。度々痙攣が起るのですっかり体力も落ちていつも顔色は青白く、見るからに病身に見えるのです。それでも案外に足が早く立ち、誕生一カ年後には二、三歩歩くようになり、口も利けるようになっていました。五歩十歩と歩きます後姿を見ていると、右足を少し引ずって歩くようでありましたが、別に気にも止めませんでした。一カ月程しても矢張り同じ歩き方です。年寄りもなく子供を育てる事もはじめてですし、他所様の子供の歩き振りとは違うのにあわてて地方の医者に診て頂きましたら「カルシウム分が不足です」とか、又「その内良くなりますよ」と言って下さるので気にかかるままに家事に追われていました。

 三歳になりましたが前にも増して足取りが悪く、頭も少し振って歩くようになりましたので、直ぐに別府温研で診察して戴きましたら「貴女方が血族結婚だからいけないのです。諦めるより外にいたしかたがないでしょう」と言われて全く生きる希望を失い、それでも勇気を振い翌日は亀川国立病院へ行き、小児科でレントゲンを撮り脊柱注射、温泉療法、マッサージをすれば良くなりますとの診察でした。早速通い始めましたが、脊柱に注射すれば熱を出し、その度にひどい痙攣を起していました。約八カ月程通いましたがやめる時は全く歩けなくなりました。智能もなくなり、元気で歩いていた面影は少しもなく、主人の所持品、私の衣類をすっかり金にして医者に通ったのですが、最後には全く人目にもかけられない不具者となりました。諦めようとしても諦め切れず、何とかして治そうと努めましたが、その後はよく泣き、ちょっとした事にも熱を出し痙攣を起して全く腫れ物に触る思いでした。「医者をやめて丸三年、もうどうなってもいい、お前はそんな身体で生きていなくてもいいから死ね、父ちゃんの所へ行け」と腹立ちまぎれに言った事も度々でした。何かにつけて腹立たしく恨めしい日々を送るうち二十六年一月一日よりKも朝から夜寝るまで泣き続けましたが、機嫌も良くなりました時は以前にも増してみにくい身体になりました。これが御先祖のお知らせと言うのでしょうか、十一日裏の叔母さんが来て「今家に手を翳して病気をなおす人が来ているから、貴女もKちゃんを連れておいで」と言って下さいました。又かと思いましたがKを連れて行って見ますと、何と十八、九の青年の方でS先生と言われ、「十二月に御奉仕から帰って来ましたのですよ」と言ってKの顔に手をかざしながら、種々と御先祖のお話をして下さいまして、約四十分位で終りますと、お茶菓子に出されたリンゴをKが平気で手に取って口へ持って行くのです。今までこんな事は一度もないのに全く奇蹟です。ただ一度の御浄霊でこんな不思議があるものかと驚いて仕舞いました。翌日H町にお参りさせて頂き、T先生よりお道のお話をして頂き「死んだ人も生前の罪穢によって死後もその苦しみを霊界においてつぐなうのですよ」とのお話に、今ここに目の辺りに見て、何かしら涙が込み上げて来ると共に驚き入るのでした。それから毎日お参詣しては御浄霊をして頂く内に、Kも御浄化を頂き始めたのです。先生から「矢張り入れた物は出さねばなりません。そしてきれいになるのですよ」と言われ、お参りしていました。一週間目に三重のU先生にお目に掛り、お道のお話を聞かせていただき、私の胸に何かしらハッと応えるものがありました。一日もはやくお守様を戴きたくなりまして早速お願いして一月二十九日、M支部にてU先生より拝受致しました。その時の喜びは何とも言えず、言いしれぬ涙が込み上げて来るのでした。余り外出の好きな方でなかった私が、お道に入ってより時々お参りするのが何よりの楽しみとなりました。

 村のO様から「喘息だから御浄霊をして下さい」と言われて、何も分らぬままに光明如来様に御守護お願いし一生懸命に手をかざさせて戴きました。中学校に行く子供さんも通学が出来ず、お母さんもおふとんを巻いてじっとより掛って夜を明かす事六十日間という、その苦しみも一度の御浄霊で楽にさせて頂いたと喜んで頂きました時は、思わずその嬉しさ有難さに、「御明主様有難う御座いました」と御礼申し上げるのでした。

 Kは次から次と御浄化を頂き元気にならせて頂いています内、七月初めに主人の母が腎臓の御浄化で倒れ、医者も見放した重態でした。早速お願いしながら手をかざしますと、玉のような汗を出して意識を取戻しました。夜はR先生に来て頂き、共に御浄霊をさせて戴きました。約一週間で起き上れるようになりました。家人達は「効いたのは医者か御浄霊か分らない」等と勿体ない事を申しましたが、早速C中教会に御礼のお参りをさせて戴きました。お話を聞いています内に、私には大きな御使命があることを分らせて頂き、家の人達に一日も早くこの有難いお道を分らせて戴ける日をただ一つの楽しみに念願しています。又昨年九月には、酷いルース台風に見舞われ、大分川沿岸に面した私の家も見る間にどろ海となりました。一心に明主様、光明如来様に御守護をお願いしています内、水も引き水となりましたが、そのため田畑三反歩は全く砂河原となりました。私はこの惨状を見せつけられ、ああこれでH家の大きな曇りを取って戴いたのだ、これによって浄まらせて戴くのだと思いつきました時は、有難さに涙が一杯でした。

 「井戸水を消毒せよ」と役場の方からカルキが配布されましたが、家では私が井戸の中に向い善言讃詞を二回奏げて十分ばかり御浄霊を致し、その後四、五日続いて浄霊しました。僅か一日貰い水をしただけで後はずっと家の水を使えるように澄ませて戴きましたが、家の人達はこのお道に反対ですのでいかなる御守護を頂いても奇蹟と思いませんでした。こうして数多くの御守護を戴いて来ました私にも、この台風が温い春の訪れとなりました。いつまでもお世話になっている事も心苦しく、どこか御奉仕に上り、思い切って御用をさせて頂きたいと常々思っていました。十二月初めにN出張所へお参り致しました。いつにも変らぬ優しい奥様にお浄めをして頂きながら「ただ今M支部にも女の御奉仕が必要ですが、Eさんが行かれるとほんとに良いのですが」と聞きまして急に心が動き、子供を連れて充分の御用が出来るかどうかわかりませんがT先生にお取次をして頂きまして、十四日例祭の前日M支部に御奉仕に上る身の光栄に浴し、慈母にまさる支部長先生又Y先生の特別御指導を戴いております。

 急にお光の強いため、Kも私も御浄化を戴き始めました。御奉仕に上る二日前、Kがひどいやけどを右手にしたのです。きっと御先祖がついて来たかったのでしょう。直ぐ御霊紙を張りまして毎日御浄霊をして頂く内に化膿して二十日間ばかり膿が出ました。一月にはKもお守様を戴きましたが、ぬれ紙をはぐごとく元気になって行きます。真冬の事とて火鉢にかじり付いておれば中々起きる事も出来ません。言葉も何を言っているのか親の私でなければ聞き分けきれない状態でしたが、毎日御浄化を頂き、あれ程死人のごとく硬直していた身体がだんだんとやわらかくなりました。いつもこたつを入れて御神殿に寝ていましたKが、僅か五カ月余りでもうちょっとの事で独り立ちが出来るようになりました。

 口も早くなりましてどんな事でも言えるようになりました。以前は睡眠時間もほんの少しでありましたのがただ今では十時間位の睡眠をとるようになり、食事もうんと戴くようになり、その間子供ではありますがよくよだれなど出しいつも下から下り物が出ています。御奉仕に上りまして五カ月、変り行くKを見ますと、嬉しさ有難さに一生懸命に御用させて頂き、白紙となって手をかざさせて頂いています私にしましては、全く大きな収穫です。過去七年間苦しんで来たいばらの道を、僅か一年有余で解決させて戴きまして、毎日の御守護に感謝の明け暮れでございます。

 世の悩めるお母様方、救世教は邪教ではありません。迷信邪教に迷える人々を救う真の救済宗教であります。私の拙い文では充分書き表わせないのが残念ですが、皆様方の幾分の参考ともなればと思いまして、筆をとった次第です。

 ただありがたさに大慈大悲の明主様に御礼申し上げます。   
      
 御明主様有難うございました。
        (昭和二十七六月一日) 

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