*日蓮上人/蓮の花/名前(御垂示録14号 昭和27年10月1日③)

散花結実、日蓮上人は狐になっていた

《お伺い》本日の幹部会で話が出ましたが、最近力が強くなってまいり、その御力をいただき奇跡があるのに、教修がどちらかと言えば低調でございますが、何か霊的の関係があるものか、或いは資格者が御経綸に添わない為でございましようか。

《御垂示》そうではないのです。神様の方ではそれで良いのです。先に散花結実さんかけつじつと言ったでしょう。る迄は暇がかかります。花の方は早いでしょう。ツボミができるとパッと出来るのです。実の方は、昨日と今日は同じようなものです。そんなようなもので、つまり実の生る形だからそれで良いのです。見ていてご覧なさい、今に素晴しくなります。

《お伺い》御教えをいただきました通り、確かに日蓮宗の霊友会関係の大きくなり方は大変なもので、先日、孝道教団の落成式に通りいましたが、二万五千人位の人出だそうでして、飛行機を飛ばしたり、稚児の衣装代も大変だそうです。よくも二年か三年であれだけ増えたものと感心致しました。

《御垂示》信者が増えたと言うが、霊友会の信者が集まったのです。

《お伺い》しかし急に増えたそうでございます。

《御垂示》立正交成会とか他の日蓮宗は、それが集まっているのです。新規に出来るのも少しはありますが、大した事はないです。あれはみんな霊友会の信者が散ってしまったのです。それを母体として大きくなったのです。池上本門寺とか身延山、中山本門――みんな寝ぼけているのですが、どうしてもそういう所にいかなければ、しっかり出来ませんから、それが大変なものです。で、あれは日本では仏教は桜の花です。インドは蓮の花です。日本では桜の花ですから、桜の花が咲くようにパッといくのです。

《お伺い》あれだけの組織を持っているという事は。

《御垂示》いま日蓮宗があれだけやっているのは、日蓮上人がやっているわけではない。神様がやっているのです。メシヤ教の神様がやっているのです。むしろ日蓮上人は申し訳なかった、助けてくれと言っているのです。

《お伺い》日蓮宗が橘の紋を使っているのは特別の意味がありますのでしょうか。

《御垂示》ない事もないでしょう。大体日蓮宗は狐がやっているのですが、その奥は龍です。それで「タチバナ」の「タツ」という言霊は、龍ですから、龍の花という事です。ですから立正安国論というのは「立」は「龍」です。ですから立正交成会とか、「立」という字を非常に使うものです。私は何時か書いた事がありますが、「主」という字の中の「十」をくずして、こう(II)すると「立」という字になるのです。ですから「十」が神の形ですから、陀の形はホトケといって、ほどいてそれを龍神が世の中を支配するのです。つまり神をいて、神はほどけて、そうして龍が天下を掌握するというわけです。そうして「正」――これは一をとどめるという事ですが、龍が一を止める、安国というのは、暗闇の世界ですから、立正安国というのは大変なものです。やはり悪龍の仕組なのです。で、日蓮上人は狐になっていたのです。この間多賀さんの奥さんに日蓮上人の他の坊さん――日蓮上人の弟子か何かが狐になって困っているから人間にして貰いたいと、そんな願いを出してましたが、日蓮上人も一時狐になってましたが、その部下が狐になっていて、それが沢山いる。で、日蓮上人はもう救われましたが、高頭さんの信者さんかに、この間お詫びしてくれと言ってます。だから仏教の方の教祖なんかも、しばらく地獄で苦しんでいたのです。地獄に行ってないのは弘法大師くらいです。あとは殆ど地獄に行っている。これから私がみんな救ってやりますから、それからメシヤ教の為に活動します。みんな神様がやっているのだから――神様がやっているという事は、やはり時です。時期が来れば素晴しい事になる。けれどもさっき言った通り、人間が思うようにいかないという事は、思うようにいっているのです、「思うよう」が違うのです。そうでしょう、この八月で五年でしょう。五年でこの位発展したのは恐らくありません。新宗教といっても、断然メシヤ教が王様です。他のものは知れたものです。孝道会とかで、色んな派手な事をやってますが、こっちがやればもっと素晴しい事をやりますが、ただやらないだけです。やればもっと気の利いた事をやります。稚児を出したり飛行機を飛ばしたり、そんな事は一日か二日でお終いでしょう。それよりかメシヤ教はこうして美術館を造ったりするのです。ですからそれは思う以上に発展しているのです。思うようにいかないのではない。思う以上にいっているのです。ところが人間という奴は、思う事が少し桁外れに思いたがるのです。

蓮の花

《お伺い》蓮の花につきまして、目の悪い人で、非常に悪くなったので行者に見て貰ったところが、下水が蓮の畑に流れているからだと言われたそうです。ただ今は御浄霊に参っております。

《御垂示》そんな事はありません。そんな馬鹿馬鹿しい事はない。蓮は、泥の中から清い――と言われてますから、ちょうど良いではありませんか。綺麗な所から咲きやしません。そこを清くしてしまったら、折角の蓮だって張り合いがありません。行者なんかはくだらない事を言ってますから。

良い名前というのは当てにならない

《お伺い》名前をつけます時は何を基準と致しましたら宜しいでしょうか。

《御垂示》それについて私は、言霊の事が大体見当がつくように書こうと思ってます。それで心得て置く事は、良い名前をつけますが、良い名前というのは曲物です。ナマけるのです。名に負けるのです。それがかえっていけない。

《お伺い》明主様から今度いただきます迄は何を基準に致しましたら良いでしょうか。

《御垂示》苗字を基準にするのです。苗字に合っていなければならない。それでどれが合うかという事は――分からないでしょう。そういう事を大体見当がつくように、これから書く事にします。割に早く書けます。というのは、よく選名、選名と言って、うるさくてしようがないから、教師なんかがそういった事が分かるようにしておけば、私が楽で良いです。それから一番良いのは、苗字と名前が、読んで気持の良いのがいいです。それから良い名前、良い名前と言って、あんまり良い名前もいけません。

《お伺い》つけましてから、姓名判断で気に致し、苦労している者が多いようでございます。

《御垂示》それは多いです。昔私の小学校時代に、谷山龍飛といって良い名前ですが、死にました。十二、三位で死にました。私はその時、良い名前というのは当てにならないなとちょっと思いました。

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