御教え *始終邪神との闘い/教団乗取策(御教え集12号 昭和27年7月25日)  

七月二十五日

【御教え】

 私は始終邪神と闘っているのです。だから一日といえどもなんにもなくて、せいせいするという日はありません。それからそれへと問題が起って来るのです。ですから始終闘いです。冷たい戦争と言いますが、まあ冷たい戦争です。武器を持たない戦争です。それを始終やっている。ですから今でも裁判の三つや四つしているのですが、みんな悪との闘いです。邪神の方では、とにかく私が怖いので、あらん限りの事をやっているのです。ですから昔なら、キリストみたいにはりつけにならない迄も、遠島くらいはされた訳です。その点は今は有難い御時世になってます。とにかく昔の様なひどい事はしないですから、余程楽に闘っていられるのです。宗教というものは、そういう風な運命がつきまとっているものです。かえって力のある宗教程余計そういう事をされる事があるのです。お釈迦さんだけは割合に無事だったのですが、あの人は皇太子という位があったので、社会が非常に見方を違えたのだろうと思います。お釈迦さん以外としては、殆ど迫害されない宗教家はいなかったです。だからして今迄悪い意味ばかりで考えてましたが、何か――つまり抑えつけると段々力を増すのです。無事でなんにもないと、さっぱり力は増さないのです。やっぱり神様は良い具合に――。考えてみると丁度一年置きになってます。今年なんかは極くわずかですが、でも一つの句切りになった様な、多少の影響があるでしょう。あとは一昨年――二十五年。それから一年間をおいて二十三年です。そんな様な具合に一年置きです。ですからギュウギュウ押す――押すとこっちははね返る。力が増すのです。そういう風にギュウギュウやられていながら教団の方はドンドン発展していく。今度は美術館も出来たのですから、その神様のやり方は、中々面白いと思うのです。

 「文明の創造」も書きかけてますが、それについて悪という物は必要だったという事を書いたのです。

(御論文「天国建設と悪の追放」)*以下は最終的な文明の創造の文面です。

 それから昨年の事件について、一つ言いたい事は、どうして起ったかという事は、これは教団を乗っ取ろうとする陰謀の一団があった。陰謀の一団というと大袈裟だが、陰謀者があった。これが中々智恵があって、おまけに私は疥癬で、なんにも出来なかった。それで任かせきりであった為に、その隙に乗じて教団乗取策を講じて、それには私と渋井さんをまず追い出すという事が一番の狙いであった。それで、当局を巧妙な手段で動かしたという事は、悪智恵という――凄いものがある。とうとう当局を動かして、その当時は、メシヤ教になった当時で、メシヤ教というのは大変にけしからんものだ。これを調べたら何かあるに違いない。それにとうとう乗ってしまって、それでこいつを大袈裟にやってみようと、ああいった大袈裟にやったのです。

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