今度『新宗教新聞』というのが出来て、それに何か原稿を書いて呉れというので書いたところが、間に合わないので、一号には出なかったが二号に出るでしょう。メシヤ教の記事も出てましたね。良く書いてありました。その原稿を――これは現在の宗教家に言う事なんで、参考になりますからね。
御論文「今後吾等は如何にすべきや」(新生日本への希望)
これは良く知っている事ですが、非常にはっきりしている結核問題ですが、はっきりしている御蔭話です。説明をつけて書いたんです。
「恐るべき医学迷信」【註 栄光一五七号】
こんな様な訳で、肺を取巻いている膜と膜の間に空気を入れて、肺を圧迫するんですね。だから肺が、こう(伸縮自由)なっていたのが、少ししかならなくなる。つまり肺の絶対安静ですね。それで段々萎びていくんです。あれは人間でも、手など使わずに置くと段々萎びてきます。あれと同じです。萎びて来るから空洞が小さくなる。あれで良い様に思っているが、あれを普通にすると又空洞も大きくなる。つまらない事なんですよ。だから気胸というのは、一時的に症状が減るんですね。それで治ると、こういう風に間違えちゃったんです。もう一つは、外科のお医者さんと内科のお医者さんが意見が違うんですが、外科のお医者さんは、町を歩いていても自動車事故がある。だから請負えないという事に至っては、何と言って良いか言い方がないですね。余りに馬鹿馬鹿しいです。だから、医学なんて言うのは、当たり外れなんです。だから請負えないんですね。医学の色んな――よくラジオなんかの質問に対する解答が、決してはっきり言わない。「治る筈です」とか「治る訳です」とか「治ると思います」とか「治る事になっている」とか曖昧極るんです。あんな馬鹿馬鹿しい事に命を任せるんですから、実に危ない世の中なんです。これ程危険な時代はないでしょう。何時も言ってますが、そんな様な具合でありますけれども、段々浄化が強くなりますから、いずれは二致も三致も行かなくなって、それからこっちの言う事が本当に解って来るんですから、もう一息ですよ。