昭和九年十月十一日午後二時頃、全く未知の人、東光男なる名刺を持って面会を求められた。余はその姓名を見るや興味を覚へ、早速面会に及び其来意を訊ねたるに、同氏曰く、「自分は予(カネ)てより霊感に依って観音力所有者を探しゐたり、而(シカ)も本年は自宅より東方に方(アタ)って見当るとの霊感ありて其の地点は麹町区に思へてならず漸く尋ね得たり」との事。夫(ソレ)を聞いて「貴下の尋ぬるは余に違ひなし」と語り「余の肉体を通じて観世音菩薩が観音力を現はさるる時となりたり」と、語れば氏も大いに喜び、其場に於て撮影を求められたり。
余も快諾し応神堂二階九尺の床の間に正座し、撮影されたるに、不可思議にも口絵に在る如き大霊光迸出(ヘイシュツ)し、其の上段に白雲に端座さるゝ如く千手観音の聖像現はれたり。撮影の際はマグネシュウムの発光を用ひたる故、其の一秒の何分の一かの一瞬間に為されたる霊光と聖像にして、如何に観音力の偉大不可思議力なるかは想像を超越せりと謂ふべし。恐らく今日迄の世界霊写真史上空前の事蹟なるべく、随而之を全世界の心霊及写真科学界に提供すべく目下準備中にあり。而して科学者は如何に之を説明するや、其解釈は絶対不可能の事なるべく、之に関し神秘なる事あれば、其の前後の経路を左に後の為め記し置くべし。
余は一度は千手観音の使命を遂行すべき事を数年前より啓示されゐたり。然るに昨年九月の半頃、千手観音の画像を描くべしと示されたるを以て早速下絵を作り、翌十月五日より幅五尺縦六尺と云ふ、尨大なる紙本に筆を執り始めたり。是より先、赤坂田町に住せらる某氏夫人が永の重病や其他に就て非常な利益を戴かれ、それが為頗る熱心なる観音会信者となられ御自宅に観音様の部屋を設けるべく、三階に新しく一間を増築せられたり。
然るに今、千手観音の大画幅を描筆するとなれば応神堂にては来客繁くして到底不可能なる故、如何せんかと煩ひ居りしが、恰(アタカ) も好し、前記夫人より右新築座敷に於て描くべく申出でられ大いに幸ひとして右の部屋に於て描き始めたり。それが約三分の一位描きし時、右の霊写真の事あり。然るに余は霊写真に関係なく描き続けんとしたるに間もなく其の家の主人公が描きかけの千手観音像を過って破損せられたり。其時又霊示あり。写真に現はれたる通りの千手観音を描くべし、其為に主人公の手を以て描きかけの画像を破損させたるなりと、故に霊写真に現はしたる通りに描くべしとの事なるを以て、急遽(イソギ) 下絵を作りて一週間にて描き上げたり。
茲に於て最初の画像に比ぶれば重大なる異点あり、前のは半裸体なりしも今度は衣を纒はされ居り、熱帯印度と異り日本なれば衣を纒はされる事当然なるべく、次は前のは雲の上なるも今度は岩上に座(イ)ませり。之も雲の上にては天上なる故、適当ならず現界を救はせらるる以上、下津磐根に座するを至当なりとす。又前のは御頭(オツムリ)を主としての円光なりしを今度は全体を包む大円光となれり。之もそれが実相に叶ふべきなり。而して東方の光の経綸の第一歩となりし此の写真の撮影者の東光男なる姓名と思ひ比べて寔(マコト)に神秘幽幻なりと謂ふべきなり。