大光明世界の建設 東京が中心(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

 前項に述べた日本が中心である。という事に就て、疑う人があるかも知れない、それは

 第一  日本は世界の極東になるではないかと、それに就て説明してみる。

 譬(たと)えてみれば、富士山の頂をみればいい、飛行機に乗って、富士山の上から見下せば、頂は真中になっている⦿の形である、然し横からみれば、頂は端になっている。裾野を西とすれば、頂は極東になっている理である。

 今日迄の、凡ゆる宗教は、西方に生れている。仏教も、基督(キリスト)教も、回々(フイフイ)教も、儒教も、道教も婆羅門(バラモン)教も、猶太(ユダヤ)教も、又日本国内に於ても、その通りである。天理教も、金光教も、大本教も、人の道も、仏立講(ぶつりゅうこう) も、生長の家も皆そうである。恰度(ちょうど)文化と同じ様にである。

 西から、いろいろの種類の宗教や文化が東の中心へ集中されたのは、富士山の裾野から頂へ、沢山の人が登って来るような訳であった。求心的であった、そうして、その集ったものを綜合し、コントロールして、完全無欠の文化として、遠心的に、全地球へ向って、放射するのである。

 太陽神で被在(あらせ)らるる、天照皇大御神の御直系たる、日本天皇を中心として、八紘に放射する、御稜威の御光を表徴したのが、十六の菊花である。八紘を霊と体に倍加すれば十六紘である。

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