御教え *仏滅となり仏達を救う(御教え集21号 昭和28年4月16日②)

 京都の平安郷に美術館を造り、殿堂も造りますが、そこで仏滅となり仏達を救い、救うという事は浄めるのです。仏の働きというのは神様の働きと違い、非常に間違った事もやったのです。しかしこれは間違った事をやらないわけにはゆかない点も大いにあったのです。そのために非常に穢れているので、それを浄めなければならないのです。浄めて初めて神様の資格になるわけです。それで平安郷でそういった仏様をみんな浄めるのです。そうして神様に戻るわけです。そういう意味があるのです。それで今度お寺をずっと廻ったという事は、主なるそういった仏様に、いよいよ君達は救われるという警告をすると言いますか、そういう意味になるのです。ですから神様の経綸というものはいろいろな事の、二つも三つもの経綸になるのです。そうしてそういった仏の霊が救われて神様になって、そうしてその仏像や仏画はカラッポになりますから、そこで美術品として美術館に並べて見せるという事になるのです。そうでないと中に魂が宿っている時にそうされると、仏様は非常に苦しいのです。つまり美術品扱いをされるという事は非常な侮辱をされるわけです。ですから嘘なわけです。よく仏像を集めたり家に置いたりすると、何か災いがあると言って恐れる人があります。その一つとして大阪の白鶴美術館ですが、今度私は行きましたが、あそこは非常に良い物があるが、仏に関した物が一つもないのです。あれだけ良い物を集めたのですから、仏に関した物があっても良さそうなものですが、一つもないのです。聞いてみると、仏には絶対に手を出さないという理由なのだそうです。そういうためもあるでしょうが、あそこの主人公は非常に長生きして、九十二で亡くなってます。だからそういう考え方も間違ってはいなかったのです。

そういった仏像という物は、良い仏像ほど良い仏様が憑っているわけです。そこで私が去年手に入れた観音様ですが、今度も奈良の木彫の良い仏像を見ましたが、それは法隆寺にあるのよりずっと上です。ですからこれは持主が放すわけはないのです。その仏像を置いてある所の二階が土蔵になっていて、そこで踏まれる形になるので、苦しくてしょうがないというのです。それは木彫では世界一でしょう。木は白檀で虫がつかないのです。天平時代にできたのですから、千二、三百年たっているが、一つもきづついた所がなく実にきれいです。都合によったら今度出しますが、今度出なかったら、いずれ熱海の時の美術館に出します。それは実に大したものです。というのはそういう仏像には良い仏様の霊がついているから、早く私の所に来たくてしょうがないので、親父さんを動かしたのです。それは前から知っている人でなく、初めて知った人です。ところがどうしても私の所に売りたいというのです。自分は時々見なければ気が収まらないが、美術館なら見たい時に見せて貰えるからと言ってました。ずいぶん高い値段でしたが、実際の価値から言うと安いです。そういうようで結局仏様は私の方に来たくてしょうがないから、順繰りにそういう物が来るのです。まだ申し込みがずいぶんありますが、私の方でも金の方がなかなかそうはゆかないから延ばしているのです。今度の京都行きの意味はそういう訳なのです。

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