御教え *お陰話/大芝居/信仰の急所(御教え集9号 昭和27年4月15日①)

4月15日

【御教え】広島、長崎の原子爆弾ですね。あれのお蔭話を書いて出させたんですが、7つばかり出てます。前にも言った通り原子爆弾の光線――あれはいわゆる熱ですが、非常に強い熱ですね。それで焼くんです。しかしこっちの御守から出る光の方が強いんです。ですから、御守を掛けている人は怖い事はないですね。これは、今度新聞に出します。なおあっちの――ハワイ、アメリカに送ってやろうと思ってます。まあ、首をかしげるだけの様なものでしょうが、それでも世界中で、誰もちょっと言った事がないですからね。何かの事がありますね。

「原爆恐るるに足らず」【註  栄光一五三号】

一つだけ記録を読ませます。

お蔭話「頭上にピカドン、御浄霊で大活躍」

これは面白く書いてあるつもりなんです。

御論文「世界的丁髷時代」【註  栄光一五五号】

これもよく言う事ですが、まだ時々小乗信仰の人があるので、それに釘をちょっとさしたものです。

御論文「人を裁く勿れ」

 これについて少し話をしますけれども、大本教のお筆先に――あそこは立て替え立て直しという事を言ってますが――「今度の立て替え立て直しは世界の大芝居であるから、悪の役も善の役も、両方あるのであるぞよ」と言うのがありますが、中々面白く言ってあるんです。ですから、色々の役があるんです。ところで、悪の役はないんです。悪に見える役はあるんです。ここが難しいところですね。人間には悪に見えるが、神様にはそうではない。人間には善に見えて神様にはそうではない――そういう場合もある。で、人間が、あの人は善だとか、悪だとか――判るものではないです。私自身がそうです。あいつは悪い奴だ――と言うが、神様に御用があるんだろうと思ってますと、あんがいな御用をするんですね。だから人間は上っ側うわっかわを見ますから、中身は判らない。上っ側で決めるんですよ。そこが危ない。神様は、中身も中の魂をも見抜かれるんですから、どうしてもしょうがない。そこで、人間は上っ側を見るから、形にとらわれるんですね。自分がやった事を、人はああいう風に見るだろう、こういう風に見るだろう、と言う。そこが大変な事です。そこで人間を相手にするな、神様を相手にしろと言うんです。人間の気に入られるというのは必要ないですね。神様の気に入られるんです。ところが、どうも人間の気に入られようとするんですね。それは、世間一般はそうなってますが、神様は違うんです。そこで、よく他の信仰なんか、お金なんか寄付すると、何千何百円とか、何の某なにのなにがしと、ふだを出しますがね。私の方は、そんな事は全然――誰がいくら出したか判らない。いくら出したと言って、偉く思わせようと言うのは通用しない。神様に見てもらおうという事はあるが、人間を対象とはしないですね。神様に見ていただく――それを対象にしますから、それが本当という訳になる。だから考え方が、神様中心――神様だけに見ていただく、お気に入っていただく――これで良いんです。そういう風に思っていると、きっと御守護が厚いんですよ。だからそれが――ちょっと今までの色々な習慣や何かもあるので、難しいんですね。その点ですね。そうすると、あいつは悪いとか、あの教会は間違っているとかいう事は、口に出さなくなる。思う事は構わないですよ。神様は想念の自由は許されている。しかし、行動に出してはいけない。大体その時の気持ちで、大いに興奮して言うが、それを我慢して言わないと、きっとああ言わなくて良かったという事がありますよ。あいつは悪いと言うが、あとになると、大抵後悔するものです。これは信仰の急所ですね。まあ――お説教になっちゃったから、このくらいにして止めます。

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