病気が早く治るには
【お伺】私は、二十三年九月まで長年医薬の厄介になっておりました。喘息も御浄霊により楽にさせていただき、主人は二十三年十一月、私は同年十二月入信いたしました。まだ御神体はお祭りしてありません。二十四年三月ごろからふたたび御浄化をいただき、四月ごろは一時たいへん痩せましたが、五月ごろよりは午後になると熱が出て、四時五時ごろ迄は激しく頭痛発汗があります。翌日朝は気分がよいのですが、膝のあたりが震えて悪道路を馬車に揺られるように震え、約四十分ほど四回にわたって震えが来るという状態が、一日置きに来るのでありますが、なにか霊的な関係がありましょうか。また今後いかにしたらお救いがいただけましょうか御教えください。
【御垂示】震いが来るのは寒気で、つまり浄化熱で結構である。病気はすべて一日置きに良い悪いがある。光明如来様をお祭りするとよい。早く治すには信仰に入れば神様が良くして下さる。良くしてくださるのは「ない命をやるから世の人を救え」という意味であるから、ただ治っただけではいけない。多くの人を救えば、ますます早く治してくださる。神様は人間が役に立てばできるだけ良くなるようにしてくださるし、また悪くならないようにしてくださる。
先生を浄霊すること
【お伺】弟子が先生を、またはふつうの御守りの人が「大浄力」の御守りの人を浄霊しても差し支えないものでしょうか。
【御垂示】差し支えない。その人を浄霊する場合はおのずから位置が変わる。されるほうは先生でも、浄霊する場合は神様がそのように守るのであるから差し支えない。
融通がきかなくてはいけない。相手が固苦しければ此方も固く、さばけておればこっちもさばける。相手により自由に応身する。丁度玉が転がる様に、聊も角があってはいけない。所謂円転滑脱である。女には女に向く様、男なら男に合う様その相手の好む様な事を話してやる。処が世の中には自分の好きな事を相手に押つけ従わせようとする。これは応身ではないから嫌われる。又こちらから話すより相手の話を聞く方がよい。即ち話上手より聞上手になる事である。
御浄霊の際の親切
【お伺】御浄霊の際、患者に対しどの程度親切にすべきでしょか。
【御垂示】親切にすればするほどいい。程度はないが順序は大事で、神様第一でなくてはならない。しかし人によって区別するのはいけない。どこまでも公平であるべきだ。