宗教、芸術、文化の誠『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

      【お伺】宗教、芸術、文化の誠とはいかなるものですか。

    【御垂示】いかなるものにも善悪正邪があり、宗教でも正教と邪教がある。ぜんぜん邪教というものはないが、たいていは堕落の結果横道へ外れたり、外道に堕ちたりする。

      いままでは最初は良い目的で始めたものが、中途から邪神に利用される。すなわちその宗教が力が弱いから邪神に負けるのである。世間は新しいものを邪教視するが、新しいものには良心的なものが多く、比較的古いものに邪教が多い。古いものほど黴(かび)が生えたり破損したりなどしており、邪神に負けやすいからである。宗教によって救われるという事は、入信以前よりは幸福になるものでなくてはならぬ。例えば身体が丈夫になるとか、貧乏だったのが豊かになったとか、家庭が融和する状態になったとかいうように。                                                                                                                                                                                                                                                                               

   次に芸術にも正不正(せいふせい)がある。それは芸術によって良い感化を受け、崇高な観念が湧くとかいうようなものが誠の芸術である。ところが反対に邪念を起さしたり堕落さしたり、不快を催したりするものも多い。例えば近代絵画のごとき、特に洋画の人物などは妖怪のようである。これらは自分の主観を恣(ほしいまま)にしているからで、むしろ美術ではなく醜術というべきである。これもある時期まででまた改められることになる。いまの日本画は描くのではなく塗抹(とまつ)である。例えば書をなすったらどうなるか。それは芸術品ではなく提灯屋の書いたものと同じである。日本画は筆力とその味わいを出すところに価値があり、それが真の芸術である。故に塗抹絵は美術工芸品だと私はいう。

    次に文化の誠であるが、文化といっても非常に広いんであるが、それを人類が利用する場合それがため社会が良くなり、人類の発明や発見を利用して人殺しや世の中を悪化させるのは誠の文化ではない。かように人間の使いようによって文化は善(よ)くも悪くもなるのである。

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