精神病 『アメリカを救う』昭和28年1月1日発行 ※御教えと御蔭話

 この病気の原因は不眠症からであって、不眠が長く続くと危険である。先ず不眠の原因からかいてみるが、これは前頭部の脳貧血の為であって、初め延髄部に薬毒が固結し、頭部に送血される血管を圧迫するからで、患者の延髄部を見れば必ず固結があるからよく分る。何よりも眠れるようになれは、精神病は必ず治癒に向うものである。そうしてこの病気は物質的と精神的との両原因があって、前者は右の通りであるが、後者は霊的、宗教的であるから、そのつもりで読んで貰いたい。これは長い間多くの患者を扱った経験によっても、聊かの誤はないのである。

 曩にかいた如く、人間は見えざる霊と見ゆる体との結合によって成立っており、前頭部が貧血するとその部分へ霊が憑り易くなる。そうして霊の物質化が血液であり、血液の霊化が霊であるから、血液が充実していれば、霊も充実しているから霊は憑れないが、貧血すると憑れる事になる。例えば血液の完全充実を十とすれば、貧血して九となれば一だけ憑れるし、二となり三となればその量だけ憑れると共に、それだけ活動力も増すのである。それが四となり五となる迄は先ず無事だが、五を越えると危険区域に入る。即ち憑霊は支配的となるから、人間をほしいままに操る事が出来るので、こうなったのが精神病である。

 そうして霊とは勿論動物霊で、日本では狐、狸、天狗、蛇、犬、猫、牛、馬、鳥類その他であるが、米国でのそれは私はまだ研究はしていないが、大差はないと思う。特に日本の精神病は狐霊が最も多く、狸霊がその次位である。茲で注意すべきは頭脳の貧血状態は決して一定せず、一日の中、否一分間の中でも絶えず動揺増減している。しかし普通人は平常二から三位であるが、非常に精神的衝撃を受けた場合、咄嗟に五を越す事がある。その為常軌を逸し、普段アレ程温和しい人がどうしてアンナ事をしたのか、という事があるがそれである。女性のヒステリーもこの部類である。又社会から尊敬を受けている人は、一から二位が常態であるが、こういう人でも偶々思わぬ失言をしたり、失態を演ずる事もあるが、それは何らかの動機によって、一瞬三を越すからである。

 右によってみても、脱線をしたり犯罪を犯したりするのは、五を越え憑霊の意のままになり、動物的行為をするのである。よく犯行後『自分はどうしてアノ時、アンナ気持ちになったのか』といって後悔する人があるが、それである。勿論自殺者も殺人も同様であるから、人間頭脳の貧血程恐ろしいものはないのである。近来米国に精神病が多いのは、全く薬毒の固結が脳の血管を圧迫するからで、薬さえ廃止すればこの病気の無くなるのは当然である。

気違一週間で癒え事故にもこの奇蹟

秋田県 N.Y (20)  

 私が狐に憑かれ「堂に入った気違」とまで言われ、「まだ若いのに可哀相に」と言われた程でありました。普通は脳病院に入れられてしまうところでありましたが、従兄のTさんの奨めで、馬鹿でも簡単に治る救世教で僅か一週間位で救われたのであります。気違当時のことはどんな言動をとったかは全然分りませんので、親兄弟や親戚の方々から聞いて、当時の模様をここに発表させて頂き、あの当時の私のような状態にある人々に一日も早く一人でも多く正常にかえって頂き、又救世教では奇蹟でどんな病気や災害からも救われるという事を、声を大にして叫びたいのであります。

 私は左官をやっておりますので毎日隣町の師匠のところへ行って仕事をしておりましたが、昭和二十五年十月の初め頃だったのです。仕事が終って家へ帰りましたが買ったばかりの私の自転車がないのに気がつき、早速駐在署へ届け出たのです。巡査は「ただ今の出来事だったら盗んだ奴はまだそこらをうろついているかも知れないから直ぐに手配して探そう」と言って電話で方々へ手配されました。ところがその自転車が師匠の家に朝おいたままになっていたとの事です。私は自転車に乗って帰り、途中O新道で泥棒に盗られたとテッキリ思い込んでおったのです。その時からすっかり頭が変になっておったのでした。この事が『北鹿新聞』にも嘲笑的記事になって載ったとの事でした。家の人は「Yのために世間の人に顔向けが出来ない」と言って気まずい数日を過したとの事です。それからは言う事なす事がトンチンカンで本当ではなかったのです。世間の人は「Yも可哀相に堂に入ったのでは中々治らないネ、まだ若いのになア」と同情してくれたそうです。家の人や親戚一同が非常に心配して方々のイタコ(巫女)やゴミソ(占師)に行って拝んでもらったそうですが、一向にラチがあかないのです。

 金のある親戚は、「こうしておってはいけないから大学病院に行ってよく診てもらい、電気をかけてもらえば治るそうだよ」とすすめてくれるのです。「金がなければ貸すから」と言ってくれるのです。「神様も神様だが、医者にも見せなければ」と言うので公立大館病院に連れて行かれました。ところが「つける薬はないから」と言われ、ていよく帰されたのです。親戚の人々の相談で、弘前の大学病院に行く事に大体話が決った時でした。従兄のTさんが、「弘前へ行く事もよいが、私達の入っている救世教は、馬鹿でも何でもよく治りますから、一度K町の支部に行って先生によく診てもらったらどうですか」とすすめて下さいました。中にはそれに反対する親戚もありましたが、「もし救世教でも治らない時は弘前へ行く事にして、K町に行ってみよう」という事になり、五、六人に連れられてK町の支部へ参りました。Tさんが前もって先生に事情を話してくれておったので早速御神前でお浄霊頂く事になったのです。S先生が大光明如来様の前で祝詞を奏げられ、霊査をして下さいました。その時私は逆立ちしてひっくりかえったそうです。又わけのわからないドドドーと言う馬鹿声を出したり、気味の悪い変な眼つきで、先生をにらんだりしたそうです。先生は私の母をかいして霊を確めたそうですが、狐と猫が邪魔しているとの事でした。方々の神様も「年功の深い狐が三匹も憑いているから、中々手強いよ。本人をつれて来て、七草よせでもして払わなければ」と言っていたそうです。先生は、「気違のほとんどは狐ですね。御浄霊で霊体のくもりがとれれば、狐もついておれないで離れますよ、そしてなおるんですよ。だから何も脳病院なんかにとじこめて苦しめる必要はないんです」と付添いの人々に教えてくれたそうです。又「馬鹿は寒中裸になっても滅多に風邪を引かないようです。どんなものを食べても腹をこわして下痢するという事もないようですね。もし下痢したり、風邪を引くようになったらしめたものですよ、まず治りますネ。Yさんも御浄霊頂いている中に下痢するようになるかも知れませんから、そうなっても心配しないで下さい。なおって来た事ですから反って喜んで下さい」と力強く教えて下さったそうです。次の日も、又その次の日も御浄霊に通いました。その度に馬鹿力を出しては暴れ、わけのわからないことをどなっては騒ぎ、先生方をはじめ付添の方々をもさんざん困らしたとの事です。ある時は余り暴れて大の男が五、六人がかりでも押え切れなかったとの事でした。その私が御浄霊三、四回目頃から大量の下痢をするようになりました。それからは何となく物事が分って来たような感じがして来るのでした。支部に御浄霊に来た翌日教修会が開かれておりましたので、兄が早速教修を受けお守様をおさずけ頂き、家へ帰っては一生懸命私を御浄霊して下さいました。御浄霊頂いてより約一週間ばかりで正気の人間にならせて頂きました。堂に入ってとても治るまいと言われた私が、救世教によってこんなにも早くお救い頂くとは全く夢のような気がして、ただただ有難涙にむせぶのみでありました。一週間目に正気に還った私が御礼参りに支部に上った時は、みんな吃驚しておりました。私の家は貧乏で、その日暮しの有様でありましたが、何とかして絶対の有難いお守様を頂きたいものと正気に還った健康体で毎日毎日仕事に励みました。御守護により間もなく教修も受けられ、絶対力のお守様をお授け頂きました。それからも数々の大きな奇蹟を頂き、本当に心配のない毎日を送らせて頂いております。本当に果報者の私です。ある時は仕事の帰りに、道具を積んでトロッコで来ましたが、途中で車が急停車して十八人乗っていた人が十七人もそれぞれ重軽傷をおいました。私だけがカスリ傷一つおわず、安全な場所にチャンと立っているではありませんか。全く自分でも不思議でたまりませんでした。又、学校の高い所の壁を塗っている時でしたが丈余もある高い足場に壁土と道具をのせて、今や塗らんとした時足場の縄が切れて足場が解体し、道具も壁土も一瞬に落ちてしまったのですが、私は二階の窓枠に無意識の中に掴まっておったのでした。又足場の真下で仕事をしていた兄も余り一瞬の出来事だったにもかかわらずその場をさけて助かったのです。気違を治して頂き、入信さして頂き、しかもその上生命にかかわるような数多の危難からこうして無事に救って頂いている私達であります。「明主様」とお念じすれば大きな奇蹟によってお救い頂ける私達救世教の信者であります。

 この御恩は明主様の地上天国建設の御手伝させて頂く事によってお報いさして頂きたいと思っております。
               (昭和二十七年五月十五日)


発狂の息子全快

福岡県  A.T (48)
        


 謹んで明主様の御前に感謝の御報告をさせて戴きます。
 私の家は、私共夫婦と養子の三人暮しにて仲睦まじく暮しておりました。ところが昭和二十四年二月頃より息子(養子十七歳)の様子が少し変だと思いながらも、二カ月程たってのある日、私は温泉に行っておりました。すると養子の里から「息子が精神異常だから早く帰って来てくれ」と電報が来ました。驚いて急ぎ家にかえりますと、常とは全く異っており、男の事故乱暴をしますので病院へ入院させる事に親族会議で決めました。その診断の結果は「精神分裂症」とかで、「一カ月入院すれば正気になり、二カ月位で退院になるでしよう」との事でしたが、二カ月過ぎても、三カ月過ぎても常人に還らないばかりか、却って体は衰弱して参り、四カ月もたちますと衰弱激しく、生命さえ危篤となりました。それで又親族の者と相談しまして退院させ、牢を作って入れておりました。ちょうどその時です。知合のM様達が見舞に来られて、「私共が信仰している救世教に御縋り申し上げるより外に道が無い」と熱心にすすめられますので、私と妻と二人早速御教修をお受けさせて戴き、御守様を拝受させて戴きました。そうして早速息子に御浄霊の御取次をさせて戴きますと、急激に変って行きまして、十五日位で牢より出しても良い状態にまでなりました。この時の嬉しさ、僅か三日間の御教修を受けただけの私達がこれ程までの御力を戴けますとは想像だにしませんでした。全く何と御礼申し上げてよいか言葉もございません。それから一カ月位致しますと、悪い事もしなくなり、言う事を良く聞くようになりました。十一月頃より、農家の事とて稲刈に忙しくなって来ましたので、一緒に田に連れてゆきますとよく手伝もするのです。そうして現在までに随分変らせて戴き、ただ今では普通人と大差ない程に御救い賜わりましたので御座います。ただ時折当時の注射の薬毒のため、少しずつ御浄化を賜わる程度で、御蔭様で不治の狂人、廃人同様の人間一人を完全に神様は御救い下されたのでございます。
 明主様、有難うございました。ただただ感謝感激で一杯で御座います。この上は地上天国御建設に拙い者ではございますが、天国の福音を世の皆様にお伝えさせて戴く念願でございます。有難うございました。御礼申し上げさせて戴きます。
               (昭和二十七年一月一日)

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