『文明の創造』科学篇「口中の病など」(昭和二十七年)  

 茲(ここ)で、口中の病に関してかいてみると、先ず歯であるが、歯の強弱の原因は、全く全身の健康と正比例しているものであって、近代人の歯の弱いという事は、健康が弱っているからである。勿論其(その)原因は体内に溜っている薬毒の為ではあるが、其他として入歯の際の消毒や虫歯を治す為の薬毒の害も軽視出来ないものがある。それは虫歯の穴へセメンなど詰めて貰う場合、消毒が肝腎といって、消毒薬を使うが、之が恐るべき逆効果となるのである。というのは消毒薬は時日が経つと、必ず腐敗して黴菌が湧く、それに自然浄化が発(おこ)って外部へ排泄されようとするので、軽いのは歯茎から出ようとするだけで大した事はないが、大抵は重いから非常に痛む。之は歯根の骨に小さい穴が穿(あ)く痛みであって、穴が穿いて膿が出始めれば、ずっと楽に成る事は誰しも覚えがあろう。従って私などは歯医者でセメンを詰めて貰う場合、必ず薬を使わせないようにする。そうするといつ迄経っても痛む事など決してない。よくセメンなど詰めた歯が痛んだ時、それを除って貰うとスーッと快くなるに見て明らかである。此(この)場合歯医者は消毒不完全の為と思うが、之も医学の迷信に陥っているからである。

  従って歯磨なども薬剤の入らないもの程可(よ)い訳で、私などは近頃歯磨も塩も何も使わず、只指の腹でコスルだけである。だから歯を丈夫にしたいと思うなら、全身を健康にする事で、それには薬剤と縁を切ればいいのである。然しそうはいっても、現在歯の弱い人、虫歯のある人、老齢者などは急の間に合わないから、そういう人は精々入歯をして美しくすべきである。

  次に口内粘膜にブツブツが出来て、ものが泌みたり、喉が痛んだり、舌におできが出来たりする人があるが、之は悉服(みなの)み薬、又は含嗽(ウガイ)薬が粘膜へ浸透し、古くなって毒素となり、排除されようとする為であるから、放って置けば必ず治るのである。舌癌なども殆どそれであって何にもせず放って置けば、十中八、九は治るものである。処が医師は癌らしいものであっても、職業柄治る治らないは別として、薬を用いるより外に方法が無いとして、先ず薬物療法を行うが、之によって反って悪化させ、本当の癌になる事が多いのである。従って此事を是非知らしたいと思って茲にかいたのである。処が稀ではあるが、何としても治らないのがある。即ち之が真症舌癌である。併し、之は霊的であって、原因は其人が悪質な嘘を吐いたり、舌の先で人を傷つけたりする罪の報いであるから、そこに気がつき後改め、正しい宗教に入らなくては絶対に治らないのである。

 茲で、凡(およ)そ馬鹿々々しいのは、咳を緩和させようとして、吸入を行う事で、之は何の効果もないのである。考えてもみるがいい、咳は息道から出るものであるから、吸入薬の殆どは食道の方へいって了うから見当違いである。然し最初に述べた如く、咳は痰を出すポンプ作用であるから、出る程可(よ)いので、止めるのは如何に間違っているかが判るであろう。そうして今一つの馬鹿々々しい事は含嗽(うがい)薬で、之も口内を消毒する目的だが実は逆である。元来人間の唾液程殺菌作用のあるものはない。何よりも黴菌よりもズッと大きな或る種の虫は、唾液をかければ弱ったり、死んだりするのでも分かるであろう。だから実をいうと含嗽をしている間だけは、口内の殺菌力は薄弱である訳である。此事は眼も同様で、よく目を洗う人があるが実に滑稽(こっけい)であって、目には涙という素晴らしい消毒液があり、瞼の裏の粘膜は柔らかく理想的のものであってみれば、硼酸(ほうさん)水や布巾(ふきん)などで洗うなどは最も間違っている。

 茲で誰も気がつかないものに、顔面皮膚の悩みがある。之は顔が乾いたり、軽い痛みや、痒(かゆ)み、引張られるような感じがする婦人がよくあるが、之は薬剤入の化粧品を無闇に使うからで、其薬剤が不知不識(しらずしらず)の内に滲透(しんとう)して毒素化し、顔面の毛細血管から滲出(しんしゅつ)しようとする為で、大いに注意すべきである。

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