節分祭、立春祭が近づいてきましたね。節分祭は参拝したことがないという方も多いのでは無いでしょうか。私も今までの人生のほとんどを世界救世教で過ごしてきましたので。メシヤ教に来るまで節分祭はしたことがありませんでした。ただ、節分についての御教えは学ばせていただく機会はありました。
『文明の創造』の掲載もようやく科学篇に入り、「明日の医術」も近いうちにアップさせていただこうと思っています。そう思っているのですが、「明日の医術」を開いてみるとまた、やっぱり”罪穢”のみ教えが気になってしまい、節分が近いこともあり、ヤハリ掲載する事にしました。
”罪穢”の事がよく理解できていないので、どうしても興味を持ってしまうようです。長い年月信仰しているのに、”罪穢”についてあまり学ぶ機会がなかったように思うのです。でも、御教えにはチョコチョコ出て来ているのですから、「自分は悪いこともしたことないし、自分には”罪穢”は関係ないわ!」などと、キット偉そうに考えていたのだと思います。ただ無智だっただけなのですが・・・・汗。
というような事で、もう少しこの機会に罪穢の学びをさせてもらいたいのです。 何回もお伝えしていますが、私は世界救世教に長い間在籍しており、平成20年頃まで東方の光で美術文化活動が中心になっていましたが御用をさせて貰っていました。東方の光も今よりもまだまだ、薬を使っていない信者さんも多かったですし、浄霊の急所などもしっかり勉強させてもらい、浄化者への浄霊活動もさかんでした。
しかし、私自身、中心になって美術文化活動を大規模にしていって、信者さんを忙しくさせて行った張本人がなのですが、周りは、自然食を食べ御浄霊も良くいただかれている方が多かったのですが、必ずしも健康体という訳ではなく、少し浄化気味の中、頑張って御用をさせていただくと言う感じでした。今考えれば、それはごく当たり前の事だったと思うのですが、私にすれば、信者さんが必ずしも元気と言うわけではなく、このまま大浄化時代が来たら、自分たち信者が救う側に立てるのだろうかという危惧が強くあり、メシヤ教の事を少し聞いて、もしや、解決の糸口が掴めるかもしれないと思いメシヤ教で勉強させて貰いました
メシヤ教は大所帯ではありませんが、若い人が多く浄化者は案外少ないように思いましたが、以前所属していた教団時代からの長期浄化を引きずっている方々もいました。そんな方々の解決策はどこにあるんだろうと考えていました。よく御浄霊もいただいている方でしたら、長期浄化となると、御浄霊をいただいていれば病気も治るというわけではなさそうだし、どうすべきなのだろうかと思っていました。そんな中、以前、メシヤ講座が終わってからの質問で楳木代表が「奇跡は一回いただけば良いのだ」とおっしゃっていたことを思い出し、その辺に鍵があるのでは・・・・と、考えていました。
その事を掘り下げて考えると、2015年7月メシヤ講座三重の『文明の創造』宗教篇「善悪発生とキリスト教」のメシヤ講座で楳木代表は次のように述べられていらっしゃるのを見つけました。
『そうして神は無神論者を救う手段として採られたのが、神の実在を認識させる事であって、其の方法こそ本教浄霊である。』ということですので、結果的に病気が治ったり問題が解決していくのですが、この浄霊というのは神様の実在を知らしめるためにありますので、翻然と目覚めた者が、今の○○○で行きますとどうなるかと言うと、逆戻りしてしまうということです。
この考え方が入っていないと浄霊というのは元の施術になってしまうということになっていきますので、時代がこれだけ進んでいるにもかかわらず本日の御教えをしっかり腹に入れておかないと現状の○○○○教団が生まれてしまうということです。現在の○○○○教団を作り出してきたのは、指導者がこの御教えを拝読していないためか、拝読していても知っている程度で、時代と照らし合わせて考えて、“今我々が何をやるべきか”を考えて、そして、教団をどのようにしていくべきかと考えていないために〝このようなことが起きているのだ″と、そのように捉えていただて、もう一度メシヤ様の御教えを拝読し直していくという姿勢を○○○○教団の人たちは持っていただきたいと思います。
私達の学び目からウロコの内容より
詰まるところ、東方の光では浄霊をするための病気に対する急所などをしっかり勉強させてもらい。急所を徹底して浄霊させて貰い。また、浄霊は凝りの箇所があったとしたら、凝りの向こうの霊体に向かって光を通すようにということも再三教えられてそのつもりで浄霊させてもらってきたつもりです。結果も出るのですが、どうも根本的解決に至らないような気がしていました。だから、スッキリ元気になるまで、何年も何年も信者さん同士の浄霊交換は続くわけです。私もその一人でしたが、相互浄霊をしていると半日ぐらい直ぐつぶれてしまうのですが、そんなに浄霊しても、いつも、なぜか浄化気味という状態の方が多いのです。
私の場合ですが、霊体に向かってと言ってもどうしても表面的な体の凝りに向かって浄霊しがちになってしまうので、これではいけないけないと反省はするのですが、中々でした。
代表が言われるように、浄霊で神の実在を知っても、急所等学ぶ中で、逆に浄霊の捉え方が体的、病気直しに捉われるようになってしまって、神様を求めて向上させて貰うはずが、ますます、体的になり、神様からとうのくはめに陥っていたのかもしれません。今頃のMOAでは浄霊を頂く時に手を合わせることもしません。祈りのない浄霊?
この辺は人それぞれだと思いますが、浄霊の急所を真剣に具体的に学ぶにつれて、皮肉にも信者さん方が浄霊を病気直しと捉える傾向が強まっていったのはいなめないと思います。お恥ずかしいですが、少なくとも私の場合はそうだったように思います。
今回、HPで御教えをアップさせて貰うことで、ようやく、メシヤ様が浄化の根本に常に霊的原因をお解きいただいている事がよくわかり、この辺がしっかりと腹に入ったら、対的浄霊から一歩ステップアップすることができるかもしれないと思われ、ついつい、浄化の根本的原因である罪穢の御教えをアップしているのです。選んでではなく、浄霊のことをお話するにあたり、必ず元は霊にあるということをメシヤ様はいつもお述べになられているので、必然的に掲載することにもなってはいるのですが・・・。
皆さんはどう思われますか?
『文明の創造』の掲載も次回から実際の病状に入っていく予定です。
メシヤ様は何故現界にお生まれになられたのか?何故この世に”浄霊”をお出しになられ、「世界メシヤ教」を発会されたのか、「救い主」、であり「許し主」であられるメシヤ様が私たちに願っていらっしゃることは何かを今一度再確認させていただき、科学篇の学びに入っていきたいと思っています。
八尾屋