二・二六事件の真相
《お伺い》今度の選挙で考えさせられました事は、投票の心得という事で、よく新聞や何かを見ますと、政策と個人の人物という事が問題になりますが、政治というものが観念でなく力という事になりますと、政党の首脳者が人格的で手腕があるという事で投票するのは如何でしょうか。
《御垂示》良いですよ。しかし決めてはいけない。政党の政策と候補者の個人の人格から意見、それを総合して一番良いというのを投票すれば良いのです。その点において日本とアメリカは違うのです。英国も違います。アングロサクソン系のああいうのは政策に重きを置くのです。ですからどっちも党派は二つしかありません。英国でも保守党と労働党です。それからアメリカも民主党と共和党です。そうしてその政策を主にしている。だから個人の人物にはあんまり重きを置いてない。日本はそこ迄行ってないのです。米国や英国も、以前は日本のようだったのです。小党分立でした。フランスは小党分立です。ドイツはどっちにもなりません。ああいったように目茶苦茶だったのです。で、米・英はそうなってます。ところがアングロサクソンという人種がその点において利口なのです。フランス、ドイツの方が民族的にいくらかレベルが低いわけです。米・英の人間は、なんと言うか、個人で言えば利口者と、そういったわけです。だからああいった二大政党をやっていくという事は、政治的に一番弊害が少ないです。日本人はそう馬鹿ではないですから、米・英のアングロサクソン位にいくのです。今迄封建政治の為に日本人のそういった良い素質を押えつけていた。そうでしょう、封建時代には日本では利口な人ができると、そういった人はやっつけられるのです。かえって中途半端な人間の方が御しやすいのです。そういう政策をとっていたのです。だから偉い人間は封建時代には出られなかったのです。それがつい終戦間際迄そうだったのです。偉いと怖がられるのです。ただ軍人は良かったのです。政治家では中野正剛なんかはやっつけられたのです。これからは日本人で偉い人がドンドン頭を持ち上げてくるのです。だから我々だって、もし敗戦にならなければ駄目です。今もって手も足も出ないです。それはそうでしょう、人間として偉い人はどうしても人が崇拝しますから、崇拝すると「天皇はどうした」と、こうなるのです。病気が治ると、「これは天皇の御稜威で治るのだから、治った御礼に二重橋に行って御礼をしろ」とこう言うのです。だから手も足も出なかったのです。これからは日本にも偉い人が出るのです。そうすると政治家も良くなります。
《お伺い》解除組が進出したようですが、日本の民主主義の行き方と逆行するという事はございませんでしょうか。
《御垂示》ありません。解除組と言っても、みんな政治家です。ところがあの時分の政治家というのは、自分が戦争を企んだのではないので、軍人に引き摺り込まれたのです。
《お伺い》頭が古いという事は。
《御垂示》ありません。今の政治家よりかえって良いです。私は解除組が出たという事は良いと思ってます。やっぱり世の中の相当の経験を得てますから、まず確かです。かえって学校を出た若いほうが危ないです。
《お伺い》久原さんとか楢橋さんとか福島さんというような人が。
《御垂示》良いです。やっぱりああいう人はどこか経験があるから、間違いがないです。そうして昔はやっぱり軍部専政ですから、本当の腕は振るえなかったのです。そこで軍部専政と、もう一つは天皇の派閥争いです。これはあんまり人は知らないが、これが大変影響している。例えば二・二六事件です。あれは一つの陰謀です。あの根本は徳川の派が今の天皇を倒し、元の徳川幕府に――形は違いますが、徳川勢力にしてしまおうというその形です。今だから言えますが、これはあんまり知らないでしょう。それで秩父宮様を頭としたのです。で、天皇を孤立させる政策だったのです。それで天皇の、宮内大臣として松平恒雄――あの人は二代将軍から出たのです。先祖は徳川です。松平家というのは、二代将軍が腰元に手をつけて――精しく言うと豆腐屋の娘ですが、そこに子供ができて、つまり二代将軍の分かれが松平家です。やっぱり徳川系です。それで松平恒雄さんが宮内大臣で、娘さんの勢津子さんが秩父宮、それから高松宮が喜久子妃。それで段々徳川の勢力を増して、天皇の方をそうやってそうして一挙にやろうとしたのが二・二六事件です。ところが神様の方では許されないのです。それはいつか日本の歴史を書きましたが、素盞嗚尊の系統ですから、それで天皇の方の系統は天照大御神の傍系になるのです。盤古神王のほうです。だからこの方は平和的な方です。それから素盞嗚尊の方は戦争が好きなのです。武力政策が好きなのです。で、日本の武家時代はみんなその系統です。そこでその争いが日本歴史です。つまり神武天皇の系統と出雲朝の大国主命の系統とが相争って、それが続いてきたのです。それで最後が徳川家です。それが天孫系にやられたので、それを再び取り返そうとしてやったその現われが二・二六事件です。それで軍部にもその二派があった。海軍は天皇を支持し、陸軍は秩父宮様を立てた。だからもし今度の戦争がなかったらこの争いは続いているのです。そこで戦争をするのに秩父宮様が怒ると面倒ですから、秩父宮様を抑えた。病気と称し――本当は病気ではないのです。それに軍人の方にも二派あり、二・二六事件で失敗してますから、あんまりそれが威張れないので、他のほうがすっかりやって、秩父宮様を押して戦争が始まった。これが太平洋戦争の秘史です。隠れた歴史です。しかしその根本は神様なのです。
《お伺い》それは霊的の意味は分かりませんので。
《御垂示》分からないです。その奥にはまた神様が正神と邪神を闘わしている色々な意味があるのです。
大本教 聖師様(出口 王仁三郎)
《お伺い》朝鮮問題につきまして、神様の御見解をお伺い申し上げたいのでございますが、中共やソ連の意向は私達には分かりませんが、国連軍は休戦したいようです。そこで困難な事は捕虜の交換問題ですが、中共に帰りたくないと言うのは帰さない方が。
《御垂示》そんな事は屁みたいな事です。つまり米国の方は民主主義ですから、どうしても民主主義の意味で捕虜の自由に任せるでしょう。それを中共では止めるでしょう。そうすると米国は引っ込むわけにいかない。アメリカの民主主義は中共の為に阻まれるから、体面に関わるのです。ところが中共の方は言う事を聞くと停戦になる。そして戦争を止めるでしょう。そこでどうしてもアメリカを消耗させなければならない。それで屁みたいな事でああいったように延ばしているのです。
《お伺い》民主主義と言っても、日々ああいった犠牲を払っているので、それを活かすという。
《御垂示》いや、負けるのです。
《お伺い》捕虜を返すというのがいけない事なのでしょうか。
《御垂示》いけないという事でなく――数万の事だから大した事はないが、そこで本人の意志を政府が押えつけるという事は、全く民主主義に対する大変な脅威ですから、アメリカとしてはしょうがないのです。
《お伺い》あれ以上は妥協のつけようがないのでございますか。
《御垂示》すぐつきますが、つければ中共の政府を承認しなければならない。今もって承認しない所に良い所があるのです。そこにいっては英国は腹の底では承認したくないが、承認したのは、支那の権益が非常に影響するのです。そうでなければ香港なんか直ぐにやられてしまいます。というのは、こういう政策というものは英国に力がないからです。やっぱり今迄は弱肉強食時代ですから。
《お伺い》しかし民主主義をやり抜こうという事は、立派な事でございますので。
《御垂示》立派です。
《お伺い》最後は御守護をいただけますのでございますか。
《御垂示》それはそうです。民主主義の方が正ですから御守護をいただけます。その代わり一時は苦しむ事はあります。しかし結局勝つ事になります。勝たなければ世の中は崩壊してしまいます。正義はどんな事をしても蹂躪されないから、世界というのはいいのです。もし正義がちょっとでも勝たなければ、世界というものは崩壊してしまいます。大変なものです。だからキリストだって、正しいから自分の身が亡びてまで、やっぱり世界を何するだけの力を現わしたのです。だから人間は正義が――これは形だけではありません。正義というものを打ち通そうという信念だけが、人間の値打ちです。それの強い程人間の価値があるのです。それが無くして、御都合主義や打算主義の人間は形だけです。骨のない人間です。今はほとんどそういう人間ばかりと言っても良いでしょう。そこで人間の骨です。先に私の大本教時代に、短刀を持って来た奴がありますが、私はその時分に「おひねり」と「御守」を出していた。それを止めろと言うのです。それが大本教全体の問題になったのです。それはそうでしょう。聖師様でさえ、オレには出来ない。三代様――子供です。今度三代教主になりましたが、その人だけは「御守」と「おひねり」が出来るのです。それはお筆先にあるのです。遺言にあるのです。だから聖師様でも、オレでも出来ないと言っていたのです。ところが私はそれを作っていたのですから問題になったのです。一信者の岡田さんに許す事はないと問題になって、短刀を持って「止すか、もし止さなければやっつける。返事をしろ」と言うので、私は「止す事は出来ない」と言ったのです。そうすると奴さんが、にらみつけていたのです。私は危ない。すると急にアアイタタタタとのた打つのです。どうしたと言うと、腹が痛くてしようがないと言う。危機一発です。それで治してやるからと横に寝せて、治してやったのです。そうすると丸っきり人間が変わってしまったのです。今度は私に、自分と聖師様の所に行って「御守」と「おひねり」を作って良いかという事を聖師様の前で伺ってみようと言うので、明くる朝二人で亀岡に行き、聖師様の所に行って、岡田さんはこうこうだ、それはお許しになって良いのでしようかと言ったのです。ところが聖師様という人のその時の返事が面白いのです。私は何んと言うかと思っていたのですが、「それは信者としては出来ない。ワシでさえ出来ないで、三代にやらしたのだが、けれどもあんまり目立たないようにやってくれれば良いだろう。目立つようにするとワシが皆にせめられて困るが、これから皆が欲しがるならやっても良いが、目立たないようにやってくれ」と言ったのです。だから奴さんもハッとしてしまったのです。聖師様という人は、私がただ者でないという事は分かっているのです。だから私が行くと必ず送ってくるのです。信者を送るという事はないのですから、送ると言うと面倒臭いから――近侍の者が四、五人は居ますから――「今散歩に行こうと思っていたところだから」とか「私はちょっとどこかしこに用事があって、今行こうと思っていたから」とか、そう言って送ってくれたものです。
釈迦(大本教教祖様)と阿弥陀(聖師様)が観音(明主様)を生む
教祖様は「イズ」で聖師様は「ミズ」で、私が伊都能売という事になる
《お伺い》深町君が非常に零落れて、群馬県で今特別の薬を出しているそうです。
《御垂示》そうですか。
《お伺い》大本教に入っていた時、やっぱり理屈屋で変な事を考えて居りました時分ですが、大祭の時に聖師様に虎と熊が憑ったところが、二日間動かないで床縛りになった事がございました。私は神様だと思っておりましたが、神様がそんな馬鹿な事があるかと思っておりましたので。
《御垂示》そうそう私が治してやったのです。口が利けないので、これはいかんと霊で何したら、二時間ばかりで口が利けるようになったのです。それで随分困った事がありました。面会に行って治してやったのです。大本教というのは、やっぱり私を出す為に現われた宗教なのです。つまり教祖様という人は、仏教的に言えば釈迦です。聖師様という人は阿弥陀です。それで釈迦と阿弥陀が観音を生むのですから、私は子になるわけです。ですから私は大本教から生まれたわけです。それで、父と母になるわけです。これは神秘なものです。だから教祖様は「イズ」で聖師様は「ミズ」で、私が伊都能売という事になるのです。「イズ」と「ミズ」の両方の性格を総合密合させたものです。それが私になる。教祖様や聖師様にしても、他の事は偉かったが力が無かったのです。病気を治すという事でも、力がなかった。何故かと言うと、力というのは霊と体が密着して力が出るのです。経と緯が組んで力が出るのです。それが私です。「チ」は霊で、「カラ」は体だから、霊体が一致して「力」が生ずるのです。つまり伊都能売というのは力です。だから力を持っているというのは今迄世界に出なかったのです。その力が世界的に広がっていけば良いのです。ですから観音というものはそれになるわけです。観音力というのは、ちょうど男と女、火と水、経と緯、それが一致したものです。そこで観音力といって、阿弥陀力とか釈迦力とかキリスト力なんて有りやしないのです。又、力というものは制限がないのです。無限のものです。だからこの頃キリストと同じような奇跡を信者が行うが、そうすると力という点ではキリストは私の弟子位しか無かったのです。ところが力においては、日本中の立派な坊さんでも信者の足下にも追いつきません。弘法大師でも法然上人でもその点においては、こう(御浄霊)やって病気を治す事は出来なかったのです。ところが信者が何千万何百万になっても、私が書いたものを懐に入れていれば出来るのですから、そうすれば私の力というものは無限と言っても良いのです。

