[メシヤ講座]伊都能売神皇様がインドに行かれたのは世界全体を地上天国にしていくための様々な経綸の一つ。 2015年1月①

2015.09.03  Thu  《宗教の役割とは・・・》(私達の学び目からウロコの内容より)

この内容というのはですね、約2600年くらい前にですね・・・、
三千年前素盞嗚尊が朝鮮半島から日本へ上陸して、そして武力を以て日本のその当時の統治者「伊都能売神皇」様に圧力をかけて、そして「伊都能売神皇」様は絶対平和主義を貫いて、そして皇位をですね、天照天皇にお譲りになって、そして密かに日本を抜けられ、インドの方へ降られました。

そして、お釈迦様がまだ悉達太子の頃にですね、この仏教の基である教えをずうっと説いて、そして仏教が生まれてきた訳なんですけども、メシヤ様はここで、どうしてその婆羅門教のことをですね、これほど細かくお書きになられたのであろうかということを考えていくと、メシヤ様は宗教の役割というのは、一つにはですね、時代苦を救うということが、最大の使命としては、役割としてはあるんだ、と・・・。

それでこの当時はですね、宇宙の真理などを難行苦行によって悟りを開こうとインドの方々はされていた、ということであります。そ
こへ、お釈迦様がですね、お経を唱えるだけで悟りを開いていくという・・・中々修行というのは、針の山の上にですね、座ったりするというのは、常人では中々出来ないことであります。

で、年末年始の頃は、様々な荒行がテレビで映し出されますけれども、炎が燃える中を裸足で歩いていくとかですね、そういう場面も映されますけれども、それは誰でも出来ることではないので、これが所謂、小乗信仰の出発になっております。誰でもやれないので、少ない方々がそういうところで真理を開いていくという、そういう出発であろうかと思いますけれども、しかし、それでは万民が救われるという事にならないので、まずは2600年前にお釈迦様を通してインドの方々に「仏教」というものを教えていったということで
あります。

 ですから、主神様の御経綸上ですね、人間的に日本人としては、素盞嗚尊が日本に押しかけて来て、そしてその当時のですね、天皇である伊都能売神皇様は絶対平和主義を貫いたので、戦わずして皇位を譲られて、インドの方へ降られて行っております。

この一事はですね、日本人としては悔しい面もありますし、何故そんなことが起きるんだろうかということではありますけれども、これは主神様の経綸上、そういう措置を取られたという事でありますし、源平合戦もどういう意図があるかということを、後々でね・・・源氏と平家の戦いは何故起こしたのかというと、平家が負けてですね、文化的には秀でていた平家の人達が、落人として全国へ散らばって行って、そしてその地方にですね、京の文化を根付かせていったんです。ですから、日本全体に文化が行き渡るために源平合戦は行われたんだ、と・・・。

平家の文化がずうっと全国に広がったんだ、と、メシヤ様が教えて下さっておりますけれども、世界全体を地上天国にしていくための様々な経綸の一つが、この『仏教の起源』に表れているんではないかなと思います。

 そこでですね、この2600年前のインドの方々を救う手立てが、こういうことであったんですけれども、メシヤ様がご在世中、どういうふうに果たされたかというと、その頃一番日本人を苦しめていたのが結核でありました。だから結核についての御論文を様々な角度からずうっとお説きいただいて、当時の人達を救うということをされております。
2015年1月メシヤ講座岡山

2015年1月の御教えは『文明の創造』宗教篇「仏教の起源」317ページです

<学び>
2600年前に伊都能売神皇様は、素盞嗚尊が攻めてきたからといって、何故インドまで降られたのか?
ただ、御経綸だからとしか受け止めていませんでしたが、そこには主神様の深い
世界に地上天国を建設していくための経綸があったことを学ばせて頂きました。
自分たちの身の上にも不条理と思われることが起こったとしても、それは主神様の深い御経綸の中で起こってくることだという捕らえ方をさせてもらわなくてはいけないと、心にとどめておかなくてはと思いました。

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