文明の創造

御教え編集(八尾屋)

『文明の創造』発刊について(その4)

下記の昭和28年6月15日地上天国祭の御講話以降、岡田茂吉師は『文明の創造』について、ご面会で一切ふれることはなくなったようです
御教え編集(八尾屋)

『文明の創造』発刊について御講話に求める(その3)【み教え集】

御教え集に掲載されている『文明の創造』についてお話された内容を掲載します。
御教え集4号

*自然栽培(御教え集4号 昭和26年11月8日⑪)

霊界が変わって来たからです。ちょうど、段々薬で固められなくなる様なもので、肥料の働きが逆になって来ますからね。これも、今に精しく説きますが、逆になって来ますから――肥料の効果は反対になるから、益々できなくなる
御教え集5号 

御教え 御聖誕祭/ミロクの世(御教え集5号 昭和26年年12月23日②) (再掲)  

聖書にある「天国の福音を普く述べ伝えらるべし」と言うのは、之なんですね。「然る後末期到る」と言うんですね。そうして、浄化力が強くなる。浄化力が強くなつて、一番現われるのは病気ですね。人類が、病気が起つて、どんどん死んじやうんです
御教え集3号 

*天国建設と邪神 御教え集3号 昭和二十六年十月一日⑤

邪神が全然悪いものではない。やっぱり、今迄は必要だった。と言うのは邪神がそう言う具合にしないと、物質文化はこう言う風には発達しなかった。発達させるには邪神がそうしなければならない
日々雑感

【日々雑感】機関紙の変遷と何故『文明の創造』は発刊されなかったのか?

ヤ様は『文明の創造』を何回かお書き直しになられています。そして27年の暮れぐらいまでには翻訳して次の年には世界に頒布される予定でいらしたようですが
御教え集

*『文明の創造』/自然農法/戦争 御教え集2号 昭和二十六年九月二十三日 秋季大祭

、仏教は日本でできた。日本人が仏教をつくった。日本に広めるのは具合が悪い事があったので、神様はインドに行かれて、仏教を始めたんです。それで、化身――化仏と言う訳ですね。化仏と言うのは、日本の神様が インドに行って仏になったから化仏と言うので、それが本当です。
地上天国

真文明とは何ぞや  (地上天国三十一号  昭和二十六年十二月二十五日) 

此目的とする処は、現在迄の文明は根本的誤謬の文明であって、真の文明ではない事を知らせんが為である。というその何よりの証拠は、何程文明が進歩したといっても、文明の最後の目標である処の人類の幸福なるものは、些かの実現性も見られないからである。
御教え集

*『文明の創造』、男女合権論(御教え集2号 昭和26年9月8日)

「見真実」と言うのは、一人の専売ではなくて、皆な「見真実」になれば、悪い――間違った事はなくなる。これも時節です、今迄はそう言う事ができないがね。今迄は悪が実際に必要だったんです。悪がなければ物質文化は発達しないんです。
御教え編集(八尾屋)

『文明の創造』発刊について御講話に求める(その2)「地上天国を作る」より 

今までの文明は本当の文明ではない、と、本当の文明はこういうものだということを、医学、政治だとか、教育、芸術、凡ゆる方面に渉って、そして真の文明世界のやり方ですね、それを書く
御教え編集(八尾屋)

『文明の創造』発刊について御講話に求める(その1)【御垂示録】

医学というのは人間の生命を握るのですから、医学に全部生命を握られているのです。それを私が離そうとしているのです。九分九厘を一厘で引繰返そうとするのです。
御教え集2号

*人類破滅の前に(御教え集2号 昭和26年9月1日 (再掲)

そうするより外に物質文化は発達する事が出来なかつた。今からは、それが続いて行くと人類破滅の結果になる。だから、ここ迄来たので正神は止めて、本当の経綸をされるんです。
御教え集

御教え集1号 昭和二十六年八月十八日 *神様( 昭和二十六年九月二十日)

「宗教篇」と言うのは神様をかいてある。こんな事は今迄やった人はないですからね。今迄の人は神様と言うと、頭から怖がって、罰があたるとか言って——恐怖心がありますからやりませんでしたが、これを大いにやろうと言うのは、神様を科学的にかいたんです。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 明の世界(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

日と月の文明が、一致結合して茲(ここ)に明の文明が生れる。之が大光明世界である。之が真文明である。この文明を造らんが為めのーー主神の経綸が世界の歴史であったのである。長い長い世界の歴史に意義あらしめて活かすそれが観音運動である。
対談

明主様と読売新聞社科学部次長 為郷恒淳氏との御対談 現代人の悩みは何 (栄光百七十九号 昭和二十七年十月二十二日)

宗教には余り興味がありませんよ。宗教家が斯んな事を言うのは可笑しいが、と言って科学でも仕様がないのです。特に現代の青年層などが学校で科学を習って社会に出ると結局科学では駄目だという事が分って、矢張り理屈通りに行きませんので、もっと深い大きな何かを欲しいと言う希望は必ず起るのです。では宗教をと言った処でどうも今迄の宗教と言うものは、あまりに現実離れがして、行る気になれないという感じが……非常に多いと思います
日々雑感

[日々雑感] 「九分九厘と一厘」のみ教えと『文明の創造』

”御教え集13号 昭和二十七年八月二十六日 ※九分九厘と一厘”の御教えや、そこでメシヤ様がご紹介下さっている御教えを読ませて頂く事で、より深く、御心を理解させていただけるのではと思い
対談

明主様 フランスのパリ・マッチ誌主筆 レモン・カルティユ氏夫妻と御対談 その2(栄光164号 昭和二十七年七月九日)

特に面白いと思ったのは、ロジ・カルティユ夫人が明主様に「『世の苦しみを治す手』という題で出し度いから御手を写真とらせて戴き度い」と咄嗟に申し出た時である。全く奇抜な題ではあるとその機智に感心した。之に対して明主様は「あゝ、いいよ」と心易く横向いて手を翳されるとピカッとフラッシュが光る
日々雑感

[日々雑感] 「キリスト教と善悪」掲載にあたって

『文明の創造』の掲載を一応終えました。 基本的にメシヤ教の楳木代表編集の『文明の創造』に基づいて掲載しました
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[メシヤ講座]いよいよの時、誠だけでは役割を果たすことができない。叡智をいただけるように学ぶ。21015年6月⑧(目からウロコより)

『いよいよの時、初めて諸々、浄まった者それぞれに因縁通りに諸々の御用を申しつける。神格をいただける者もいる。その人によって御用は変わる。』というふうに仰っておられます。いよいよの時は、こういう形で神界から私達に使命が下ってくるわけなのですけれども
メシヤ講座

[メシヤ講座] 信仰をする意味 2014年9月② (私達の学び目からウロコの内容より)

この『文明の創造』をですね、丸暗記するぐらい拝読していけば、自ずと人を救っていけれるということです。そしてそれを習得した時に、自ずと救ってほしい先祖が働き始めて、大勢の人に出会うことができて、浄霊しつつ、御教えを話してあげればその人は救われていくわけです。
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[メシヤ講座]「薬毒論」を広めることが人類の救いの第一義   2012年11月①

今月拝読をさせていただいたところはですね、今まで罪とかそういうものが発生すると、そこに霊的には曇りが出来てきて、そして、それを浄化するということが病気なんだということを細かくメシヤ様が御説明してくださっていましたが、今回はその根元が薬毒なんだということで御解説をしてくださってます。
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[メシヤ講座] 救世(メシヤ)教の聖書でもあり、世界の宝典として・・・ 特選集平成24年3月分② (私達の学び目からウロコの内容より)

『神の言葉』を人間に判り易いように構成し、信仰形態を整えてゆき、本来の御神業を進める拠り所を提示しなくてはならないと心得ております。『天国篇』が未完である理由も、『夜の時代』の精神の癖を取り除き『昼の時代』に相応しい在り方を見い出すのは弟子達に託されている、とも受け止められます。それが取りも直さず信仰形態の形成なのです。
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≪メシヤ講座『地上天国祭』挨拶≫ 概念の変更と意識改革を促す 御論文『文明の創造』 メシヤ教代表 楳木和麿

『私に対して真理を開示されたのであるから、之によってある程度悪を制約し、善主悪従の文明世界樹立の時となったのである。』と書かれている訳ですので、神様のことを細かく書いてはおられませんけど、主神様と御自分の関係ということをこのように開示して下さっておられます。ですから、ここの項は物凄く有難い。