古来、三尊の弥陀と謂い、三弥勒と言い三位一体と言う言葉がある。之は、仏的に謂えば観音、阿弥陀、釈迦の三尊者であって判り易く説明する上に、諸種の事物に当て嵌めて、左の如く、分類してみる。
五、日本、日、火、璽(し) 、十、自由、無碍、真、合一、観世音
六、西洋、月、水、剣、 緯、 女、 悪、美、 体、阿弥陀
七、東洋、地、土、鏡、 経、 男、 善、善、 霊、 釈迦
此一々の解説は、本会発行の月刊雑誌『光明世界』に詳説してあるから、茲(ここ)には、一、二の説明丈に止めておくが、観音は、日本の弥勒であるから、直(すぐ)な毛髪を有せられ、釈迦及び阿弥陀は、外国系であるから、毛髪が縮れているのである。観音は、宝玉を鏤(ちりば) めたる王冠と、胸飾り、腕輪等によってみても、その高位に被在(あらせ) らるる事を証している。又、三十三相具有せられたる、崇(け)高い御容姿に見ても其御神格の如何に尊貴で被在(あらせ)られるかは、想察し得らるるのである。御本体は、黄金の一寸八分の無垢であるのは、之又、黄金色の人種、我日本人を表徴されているのである。阿弥陀及び釈迦は、装飾無く、裸体に白布を纒(まと)われ御像(ごぞう)の取材は、木彫に金箔又は、金銅や鍍金(メッキ) 作りにして大なるものは唐(から)銅作りであるに見ても、其御神格は、想像さるるのである。
阿弥陀は、法蔵菩薩となって、一度現身(うつそみ)を現わし、釈尊に対して、西方浄土を誓約されたのは有名な噺(はなし)である。故に、法身の弥勒が阿弥陀で、報身の弥勒が釈迦で、応身の弥勒が観音ある。