農業の大革命  五ヶ年にして米の五割増産は確実(二)(革命的増産の自然農法解説書 昭和28年5月5日) 

 今度各地から報告された昨年度の成績をみると、時期が早い為収穫迄に到らないものもあって遺憾ではあるが、併し大体は判ったので、これについて私の感想をかいてみるが、何よりも自然農法は、今迄作物の生命と頼んで来た肥料を否定するのであるから、最初は家族をはじめ、村人等から思わざる非難攻撃を受け、嘲笑の的とされるので、実に血の涙で隠忍自重、黙々と頑張り通して来た事は、読みながら私は目頭が熱くなる位である。全く信仰ならではという感が胸に迫るが、何しろ先祖代々肥料迷信になり切っている人達からみれば、反対するのも無理はない。これについておもわれる事は、歴史上今日でも、人類に多大な貢献をなしつつある発明発見と雖も、その当初は例外なく誤解と迫害を浴び、苦心惨澹押し切って来た幾多の記録は、吾々の魂を揺り動かさずには措かないものがある。

 そんな訳でこの自然農法と雖も、一時は相当反対されるであろう事は覚悟はしていたが、何といっても実際に驚異的成果を挙げる以上、或時期迄の辛抱と思っていた。処が予期の如く、ようやく各方面の注目をくに至った事は、今度集っただけの報告をみてもよく分かる。併し最初は何といっても周囲の事情も悪いし、本人でさえ確信がてない事とて、思い切って堂々とやり始めた人は少なく、大部分はオッカナ吃驚びっくり試作的に始めたのである。而も土地にも種子たねにも肥毒が相当滲み込んでいるので、最初の年などは枯死するかと思う程の黄葉、細茎等で、これを見ては不安焦燥、只管ひたすら神様に祈るのであるが、収穫時になると案外好成績なのでホッとするとは誰もがいう言葉であって、この難境を切抜けてこそ、勝利の栄冠をち得るのである。しかし本当をいうと四、五年本栽培を続けて、五割位増産の各地からの報告を載せたかったのだが、それ迄待たれない程の目下の実状であると共に、最早もはや今迄の実績だけでも、本栽培の効果は充分判ると思うから、取り敢えずこの特集号を刊行し、早急に農業者は固より、一般人にも知らせるのである。

 右の意味に於て、この際目からも耳からも入れるべく、この特集号は各大臣、国会議員、主なる新聞社、全国の農事試験場、農会、農事関係者等に、あまねく配布すると共に、準備つき次第全国的に本部から出張講演する予定である。従って農村の信者諸君は固より、一般信者諸君に於ても、大いに宣伝し、勧告されん事を望むのである。次に最近の新聞紙上によれば、政府も思い余ったとみえ、本年度から莫大な費用を支出し、あらん限りの方策をて、一カ年三百万石増産の計画を実行するとの事である。それもいいが、今迄通り金肥人肥を使用するとすれば、他の農事改良や種々な方法を講じても三百万石増産はまず夢でしかあるまい。私の推測では旨くいって平年作か、下手へたをすると昨年の如く減産になるかも知れないとさえ想えるのである。故に何としても肥料迷信を目醒めさせ、一日も早く自然農法に切替えたいと思うのである。

 しかし幸いこの事が分かって実行するとしても、日本全国を一挙に切替える事は無論不可能であるから、慎重の上にも慎重を期し、まず一カ年一割ずつ十年計画で実行すればいい。そうすれば全然減産の心配はなく、一、二年は平年作とみて、三年も過ぎると漸次増産となり、五、六年経た頃から五割以上は、太鼓判を捺しても間違いないのである。

 ここで特に言いたい事がある。それは未信者では一寸分り難いが、元来人間の主食である米というものは、神が人間を養うが為に造られた物である以上、人口が如何に増えても必要量だけは必ず生産される筈である。処が現在の如く一カ年二千万石も不足するというのは、全く間違った農耕法、即ち人為肥料を用いるからであって、前記の如く五割以上増産になるとしたら、日本経済はどうなるであろう。借金王国の有難くない名は逆となって、国民は鼓腹撃壌こふくげきじょうという文字通りの時代が来るのは必定ひつじょうである。斯んな事をいうと余りに棚ボタ式で、反って疑念が起るかも知れないが、私は根拠のない事は言わない。実績報告中〔略〕にもある通り、自然栽培によって肥毒がなくなるに従い、稲は穂に穂が出る。即ち一本の茎から何本もの枝が出て、その枝に悉く実がるから、少なく共一茎で三百乃至五百粒は確かである。その上虫害もなく、風水害も激減するとしたら、昔から言われる豊葦原瑞穂の国の名にじない国となるであろう。以上によってみても、今後日本の人口が一億になり、二億になり、三億になっても、現在の耕地面積そのままで充分養える事は、断言してはばからないのである。

 次に今一つ言いたい事がある。それは報告中の随処に出ている浄霊の文字である。これは未信者には分かり難いだろうが、分かる分からないは別として、ザッとかいてみるが、つまり浄霊とは肥毒を消す方法である。何しろ手をかざしただけで、素晴しい効能があるのだから、唯物思想で固まった頭脳では到底分り様がない。しかしこれこそ本教の真髄であるが、ここでは略す事とし、まず土の解剖をしてみよう。本来土と言うものは、霊と体との二要素から成立っているもので、体とは土そのもので、霊とは目には見えないが土の本体である、言わば体は表で霊は裏である。処が肥料は毒素である以上、土の体を弱らせるから、それが霊へ映って曇らせる。というのは霊主体従が万物の法則であるからで、言わば浄霊とは肥毒解消法である。即ち浄霊の場合掌から一種の強力な光波が放射され、霊の曇りは払拭されるので、それが体に写って肥毒は減るのである。これが真理であってこの理を知らない科学は、半面である体だけを対象とする、つまり跛行的学問である。この様な不完全な科学と伝統的考え方の為、肥料によって土を弱らして来たのである。この原理を私は発見し、ここに自然栽培法が生まれたのであるから、これこそ真の科学であり、世界的大発見であろう。従って画期的増産の実を挙げ得るのも、何等不思議はないのである。

最後に注意すべき事がある。それは私の唱える五カ年にして五割増産というのは、普通量の人為肥料を施した田を標準としての成果であって、五年位で肥料分が全く消滅するからである。処が近年は収穫を挙げようとして、至る処の農村は硫安の如き化学肥料を多量に用いるようになったので、今日自然農法に切替えても、肥毒が全く消滅するには、それだけ暇がかかるから五年以上と見ねばなるまい。これは報告中にもある通り、自然栽培を実行しても、その成績に相当差別がある事で、これこそ肥毒の多少によるのであるが、これも直き分かる。即ち出穂しゅっすいの場合黄色を帯びている間は肥毒のある為で、肥毒がなくなるに従い、初めから青穂となる。従ってその為の浄霊であるから、五年以上経って肥毒皆無になれば、浄霊の必要もなくなる訳である。次に客土をすると、一時的成績が良くなるのは、肥毒のない土を入れるからであって、この事だけでも肥毒の害が分かりそうなものだが、分からないのは全く肥料迷信に陥っているからである。

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