結核は感染しない (結核信仰療法 昭和27年12月1日)

 結核が医療によって作られる経緯は、前項迄に詳しくいたが、其原因は結核菌感染によるとは医学の定説となっているが、私の見解によればこの説こそ大変な誤りである。それは彼のパスツールの伝染説を医学は採用したからであろうが、私は其反対に自然発生である事を断言するのである。今それを詳しくかいてみるが、最初感冒の際、喀痰を肺臓内に固めた結果、時日を経るに従い、結核菌は痰中に自然に湧くのである。というのは如何なるものでも、不潔物には必ず微生虫が発生するのは物質の原則である。としたら痰は不潔物であり、而も体温という好条件も加わる以上腐敗もし、微生虫の湧くのは当然である。

 処が医学の感染説であるが、この考え方は肺胞に菌が付着して繁殖し、空洞うろを作ったり、病竃びょうそうを作ると思っているのであろうが、若しそれが本当とすれば、無菌結核は何が原因であるかという事である。だがこの答えは簡単である。即ち無菌結核とは前記の如く、肺臓内に固めた痰に菌が湧く程、時日が経っていないからである。と言うだけで分るであろう。それは兎に角として、結核菌は果して感染するものであるか否かは、理屈よりも事実で示す方が確実であろう。即ち私の多年の実験によっても明らかな如く、私は二十数年前結核非感染の原理を知ってから、まず私自身を試験台とした。それは重症結核患者である一婦人の唾を、口移しにして試したのである。それから二十数年を経た今日、他の病気はしたが、結核的のものはした事がない。又私の家庭内には其頃当歳とうさいから十五、六歳迄の私の実子六人居たが、いつも二、三人の結核患者の女性を私は治療してやりながら、女中として同居させていた。其数今日迄で十数人に及んで二十年以上になるが、其間治って帰宅した者と、新規の者とが交替しつつ、現在でも二、三人は居るが、今日迄結核処か病気で寝る者すら一人もないのである。勿論最初から消毒などは一切せず、家族同様に扱っているのであって、右の六人の子供の内四人は既に結婚して、孫も数人出来ており、全部素晴しい健康である。又私の非感染説は、数十万の信徒にも教えており、信者は絶対に信じ其通り実行しているが、結核の治った話は数限りなく聞くが、感染した話など一人も聞いた事がない。としたら之以上確かな証拠はあるまい。故に万一今後一人でも感染する者があるとしたら、それこそ信ずべからざる一大奇蹟である。

 しかし医学が結核感染説を唱え出した事にも理由はある。例えば一家庭内で一人が結核で死亡したとする。其為後に残っている誰もは極度に結核を怖れると共に、医師の注意もあり、感染しないよう出来るだけ用心をする。それには何より風邪を引かないようにする事だが、万一風邪を引いた場合、早速医師に診て貰う。医師も亦結核死亡者のあった家は、疑いを有っているので特に注意し、入念に治療する。処が医療は結核製造法であるから、結局本物に仕立上げて了うので、其状態をみればどうしても感染としか思えないのである。処がそれを裏書する一事がある。というのは注意をする人程感染し易く、そうでない人程感染しない例で、之なども医師は常に経験する処であろう。其他の原因としては、結核で死んだ霊が兄弟や夫や妻などに憑依して、原因となる事も少なくないが、之は唯物思想の人には信じ難いから、この説明ははぶく事とする。

 右のような訳で、医学は菌のみに囚われ、菌の感染を防止すると共に、殺菌方法が完成さえすれば、それで解決すると思う末梢的考え方で、之こそ根本に触れていない以上、治らないのは当然である。次に之を詳説してみよう。そもそも菌と雖も偶然降って湧いたものではなく、湧くべき条件と、湧くべき物質があってこそ湧くのであるから、其点が明らかにならない限り、病気の本体は分る筈がないのである。という訳で現代医学の菌に対する解釈は、菌其物だけに囚われ、菌の発生源に迄さかのぼっていないのであるから、幼稚極まるものであって、この様な学問程度で人間生命の神秘を探ろうなどとは無理であって、之では結核問題の解決など前途遼遠と言わねばならない。それが為幾億万の生霊が、無期限にいたずらなる犠牲となるのであるから、実に由々しき大事件である。処が私は神示によってこの真相を知った以上、一日も早く天下万民に知らせ、結核から解放させるべく、この著を以て警鐘の第一声とするのである。

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