既成宗教の救い『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

【お伺】過去の宗教でなぜ霊は救われなかったのですか。

    【御垂示】ぜんぜん救われなかったのでなく、救われ方が微弱であった。というのは過去の宗教には力が薄かったからで、それは夜の世界のためであった。夜は月の光だからである。しかし暗(やみ)の中にいる人間が月光に浴したのでありがたいと思っていた。ところが今度の私の救いは太陽の光で、太陽は月の六十倍の力がある。そのくらいの違いがあると思ってよい。いままでの教えは月の光だからはっきりしない。今度の『信仰雑話』ははっきりしている。これを読んでも判るように、ごくわずかの言葉で浩瀚(こうかん)な経文と同じことが判る。だからいままでは霊界へ行っても寂光(じゃっこう)の浄土に救われた。寂光とは月の光である。太陽の光なら陽光(ようこう)である。

     

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