こんにちは、ご存知のようにメシヤ様は昭和10年元旦に日本観音教団を発会しましたが、戦前という特殊な時代背景のなか、官憲からの何回にもおよぶ取り調べや偵察、そして留置も一回ならずではなく、「地上天国建設」という大神命を、思う様には進めることができませんでした。立教当時〜戦後のことについて概略は下記の[日々雑感]に掲載させていただきました。
終戦から昭和25年2月4日の世界救世(メシヤ)教立教、その三ヶ月後の御法難についてはまたの機会に取り上げさせていただきます。
今回、掲載させていただきました、『世界救世(メシヤ)教早わかり』の冊子は昭和25年の御法難から半年ぐらいあとに発刊されたものです。この頃の御論文をしばらく続けて掲載します。今回の掲載にあたり少し調べていましたら、『東方の光』下巻に下記の文章を見つけました。
教祖の論文は、教団発行の『栄光』紙、『地上天国』誌に掲載された。全国各地の弟子や信者は、その教えを一日千秋(いちにちせんしゅう)の思いで待ち望み、ひとたび発表されるや、その一語一語を貪るように読んで魂の糧としたのである。
この当時出版された論文の中には、その時代の一般通有(つうゆう)の科学知識や医学常識とされていたものと抵触(ていしょく)する内容が含まれていた。もちろん、これらは、教祖の持つ前人未到の天稟(てんぴん、*天から受けた才能)から説かれたものである。しかし、世情とのいたずらな摩擦を避ける意味もあり、それらの公刊は一時見合わせる方が良いという判断から、検討を重ねた上で、教祖の昇天後に、もっぱら宗教的な内容をもつ論文の中から選んだものを収録して、『天国の礎』と題して出版したのである。
『東方の光』下巻 p561〜
私が物心つくようになって、御教えと言ったら『天国の礎』ぐらいでした。『祈りの栞』からお詠は毎日奉唱させてもらっていましたが、どうして御教えが『天国の礎』ぐらいしかなかったのか今回よくわかりました。「御教えは一日少なくとも30分は読め」という御教えがあって、その御教えは良く聞かせてもらっていたので中学の頃からずっと30分は読むようにさせてもらっていたのですが、『天国の礎』の内容は素晴らしいのですが、それしかなく、それだけのみ教えから全てを理解するというのは限界があり、つい、御教えタイムは居眠りの時間になってしまいがちでした。情けないかな悲しいかなです。(汗)
私の居眠りはすごくて、独特のものがあり、霊界からの働きもあったと思うので機会がありましたらまた書きますが、でもできれば恥ずかしいので書かないで済ませたいというのが本音です。(汗)
話はそれましたが、2002年イズノメ教団から『岡田茂吉全集』が出版されました。限定版だったのか、高額だったためか、イズノメ以外にはほとんど出回っていませんでした。私もそれから随分経ってから、ありがたくも岡田茂吉全集の御教えに触れる機会が許され、一生懸命、読もうとするのですが、それでもついつい寝てしまったりで本当に自分でも情けなかったのですが、ある事をきっかけに眠らずに御教えを読ませていただけるようになりました。そして、やはりこの御教えは多くの人が知らなくてはいけない、時代背景が違うと言っても、初期の御教え程わかりやすいし、メシヤ様が誰にでも分かるようにと心を砕いてお話しして下さる御心が伝わってくるようで、同じく岡田茂吉教祖を仰ぐ教団でも、ほんの一部しか御教えが知らされていない教団もあるとも聞いていますし、御教えを望む人全てに御教えが届いて欲しいという思いでホームページを立ち上げさせていただきました。
上記引用の『東方の光』の中に"それらの公刊は一時見合わせる方が良いという判断から"とありますが、時代はドンドン変わっていますのにいつまで”見合わせて”いるのでしょうか?
昨今は、岡田茂吉教祖の御論文に、時代がようやく追いついてきている感を覚えるのは私だけでしょうか・・・?
というようなことから、御教えが、求めている方のところに届きますようにという思いで、僭越ですがHPで御教えをアップさせてもらっています。よろしくお願いいたします。
八尾屋