御垂示録

御垂示録1号 

※御神体・お写真等 御垂示録1号 昭和二十六年八月八日 ①

《御垂示》 御神体です。それから病気とか、色んなお蔭を戴く時は御写真を先にする。やつぱり時期によつてそうするんです。今の時期は光明如来様が御神体として最高としてする。
御垂示録1号 

※幼児,鳥目,胃癌,松,子宮筋腫 御垂示録1号 昭和二十六年八月五日 ④

鳥目には二種類ある。前世で鳥であつたのが生れ変つたものと、鳥の霊が憑依したものとある。鳥の生れ変りは、目だけが未だ鳥の性質が残つているんです。途中から鳥目になつたものの方が治り易い。
御垂示録1号 

※先祖供養、御神体奉斎 御垂示録1号 昭和二十六年八月五日 ③  

天理教でお祭りしなさい。死んでも、霊界ではその宗教の団体に居るんです。それ以前の禅宗の先祖は仏教で祭るんです。或時期になると、霊界も全てメシヤ教になる。
御垂示録1号 

※霊界 御垂示録1号 昭和二十六年八月五日 ②

やはり霊界の邪魔なんです。一時先方が勝つが、段々神様の力が強くなると、こちらが勝つ。ミロクの世迄この戦いは続くんです。
御垂示録1号 

※無肥料栽培 御垂示録1号 昭和二十六年八月五日 ①

肥料は体内に入ると毒素になる。日本の場合は糞小便の肥料が体内に入ると、薬毒程ではないが、やはり毒になる。
御垂示録1号 

*然毒と薬毒、聖地『御垂示録1号』 昭和二十六年八月一日 ③

《御垂示》 然毒は一代位では駄目です。数代ですね。天然痘は、古いのは極くかゆいんです。 新しいのは、かゆいのと痛いのです。
御垂示録1号 

*法は順序、お守り、御神体御垂示録1号 昭和二十六年八月一日②

あなたの個人の方が上になる。そう言う、順序が狂つている。それが、一つの法なんですね。だから、何んでも神様の方を先にしなければならない。主と従が、何んでもある。神様の事は何んでも主にして貰いたい。
御垂示録1号 

*「序 文」,美術品 御垂示録1号 昭和二十六年8月

本冊子は、特別御面会に於ける、明主様の御教を集録せるものであります。
ホーム

御垂示録23号 昭和二十八年八月一日 ※仏壇に祀る霊

無縁になってしまっているのは、一々救うとしたら大変です。昔からとなると何億、何十億とあります。それを祀るとしても、みんなは来れないかもしれません。だから良いとか悪いというよりも、そういう必要はありません。
御垂示録4号

*一番大きい事は世界人類を助けると言う事 御垂示録4号 昭和26年11月1日

小乗でスースーいくのは危ぶないんです。大乗と言うと――何うかと言うと、仮にこの人を助けると言う場合に、人間の力は限度があるから、両方助ける事が出来ない。較べてみて、どつちが大きいか考える。一番大きい事は世界人類を助けると言う事です。それで良くなれば、決して間違いはない。
大経綸

御垂示録15号 昭和二十七年十一月一日 ※エルサレムの開かずの門

将来救世主が現われる、其時にそれを御迎えするという準備です。其為に四つの門を拵えたのです。それで三つの門丈は開けられるが、一つの門丈は“開かずの門”と言って開けられなかった。今でもありますが、それで一番不思議に思う事は“開かずの門”の上に十六の菊が附いている。
ホーム

垂示録13号 昭和二十七年九月一日

大体犬は座敷に上るという事は嘘です。法に外れているのです。犬というのは、土間に居るのですから、土間に置く可きです。然も神様をお祀りしてある処に四足を入れるという事は大変な御無礼です。信者というものは気がゆるんでいるのです。神様に対する尊敬心を忘れているか、ゆる んでいるかしているのです。だから隙があるわけです。
御垂示録30号

*原子爆弾と浄霊 御教え集30号  昭和29年1月3日 

私は原子爆弾は殺人光線、霊の方の火素は活人光線と名をつけたのです。片方は殺す光線で、こっちは生かす光線で、反対なわけです。それが丁度同じ頃に地球上に現われたという事は非常に意味があるわけです
ホーム

御垂示録29号 昭和二十九年三月一日 ※不純水素

“火素の放射によって毒粒子が焼ける。浄霊は物質でないから霊を焼く”とあり、一月三日の御教えに“不純水素というのは、水素中の毒粒子、薬毒が固まったもの”とあり、又他の御論文によりますと“火 素によって全滅し、漿液中に吸収される”とあります。この漿液、毒粒子、不純水素というのは、霊的なものでございましょうか、体的なものでございましょう か
ホーム

御垂示録15号  昭和二十七年十一月一日 

どっちでも良いです。というのは、どっちか余計やる処がありますから、同じという事はない。その方を先にやれば良い。それから額の熱ですが、触ってみて暖かかったら、何処かに浄化があります。それから前(頸部淋巴腺)から触るのです。そうすると一番良く分ります。それから離れてやるのです。