御教え集16号 昭和二十七年十一月七日 ※日本の使命(昭和二十七年十二月十五日発行)

  それから此間京都に行く時に名古屋に寄って、名古屋の体育館の会場で“東方の光”について話をしたのです。それはあの時丈しか話しませんから、今度「栄光」にもっと精しく書いて出そうと思ってます。それを読ませます。

      御論文〔⇒東方の光〕【註  栄光一八二号】

      “東方の光”という事が一番肝腎なのです。私の事を“お光様”と言い出したのは静岡新聞なのです。静岡新聞が初めて“お光様”という事を書いたのです。それで私はうまい事を言うなと思ったのです。それはいくらか侮辱の様にも聞えますが、又素晴しく立派な文字になってますから、それが一般に“お光様”と言われる様になったのです。ですからあれも神様から言わせられたものです。で、今言った様に私のお腹に光の玉があって、その光が大変なものなのです。今迄西から東に、文化と言いますか何から何処向うから来たのです。之は逆であった訳です。東が霊で西が体ですから、体主霊従というのはそこから来たと言っても良いです。その為に体的文化が発達して来たという、本当の幸福な文化は出来なかったというのは逆であったからです。

    始終言う医学でもそうです。体を治すと言うのです。こっちは霊を治すのです。ですからこっちは浄霊で、医学の方は浄体と言いたいが、「浄」でなく「濁」です。ですから当然東から霊的文化が生まれなければならないのです。それで、それに対して霊的は中心ですが、やはり霊ばかりでは仕様がないので、体が肝腎なのです。そこで西から作った体の文化を、東から出た本当の、つまり中身(ナカミ)です。それに依って西の文化を、今迄悪い事に使っていたのを良い事に使う様に変えるのです。爆弾を落す飛行機を、早く旅行の出来る様にする。人間を苦しめた物を楽しむ物にするという事が、やはり東から出なければならないのです。ですからそう考えれば別に不思議もなければ、変ってもいません。処が今迄は西の文化ばかりで、それが本当の様に思うから、それと反対の東の文化が一寸分り悪(ニク)いのです。こんな事(御浄霊)をして病気が治るという事が分らないというのは、そういう様な訳です。

      それで、房州の乾坤山日本寺というのは、兎に角乾坤山というのは天地乾坤と言って宇宙を言うのです。それから日本寺というのは、日(ヒ)の本(モト)寺ですが、こういうのも神様がそういう名前を附けたというのは面白いと思います。お寺の名前で日本寺というのはありません。で、あそこから日の神様、天照大御神が出られたのです。

    それで日蓮上人は七百数十年前ですが、今年は日蓮上人の七百年祭と言っているが、あれは法華経を唱えてから七百年です。それで清澄山というのは日本寺から一、二里東の方ですが、其時が最奥天国の霊界に日が出たのです。それから段々現界に写る迄にそれ丈の年限がかかったのです。それで日本寺のある処は保田という処です。「ホダ」というのは、「ホト」という言葉が転化したのです。「ホト」というのは女の陰部です。古事記にありますが、何とか言う女の神様に、天から槍が落ちて来て「ホト」に怪我をさせたという事があります。それで東京湾というものが女の陰部になるわけです。それで東京が子宮にあたるのです。ですから体的にはそういうわけなのです。それで私は東京から生まれたというわけなのです。これは細かく話すともっと面白いのですが、大体それで分ると思います。それで富士山が臍になるのです。日本の国というのは龍の形ですが、これは国常立尊という神様が大地を造る時に龍神になって造られたその形なのです。それが日本の形になっている。で、瀬戸内海は口を開いている処です。それで山陰山陽が上の方になって、四国が顎になるわけです。それで九州を呑込んでいる形なのです。九州というのは世界の型なのです。

    北海道から千島の方が尾になって、日本海が背中になって大平洋が腹になっている。これからそういう神秘がいろいろありますから分って来ます。丁度出雲が鼻になるのです。それで素盞嗚尊が朝鮮から出雲に渡来してあそこで日本を統治されたという事は、あそこが鼻になるのです。それで鼻が素盞嗚尊になるのです。ですから色々な事にそういう事が現われて来ます。始めという事を「ハナ」とよく言います。それから越後の方は「コシの国」で腰というわけです。そこで越後の新発田は肛門になるのです。それであそこは後ですが、前の方は東京になる。そうすると女ばかりですが、やはり男と女と両方になる。将来は伊都能売になる。それで伊豆半島が男の道具になる。そんなわけで色んな神秘は中々面白いのです。で、日本はつまり霊的の根本になるわけです。ですから富士山なんかは日本の臍ばかりでなく世界の臍になるのです。富士山が丁度地軸の大黒柱みたいな中心なのです。ですからあれは只形の良いというばかりでなく、そういった様な重大な意味があるのです。ですから世界中の今迄の文化は西で出来た文化ですが、それが日本に来た。それは目茶苦茶に出来たものですが、それを日本ですっかり整理して本当の良いものにして、それを又西の方に、さっき「濁水が押寄せて来たのを綺麗にして押返す」という事がありましたが、そういう意味です。そうして色んな悪の目的に作ったものを、今度はすっかり清いものにして世界中に押戻すわけです。それがメシヤ教の仕事なのです。とてつもない大きなものです。そういう様なわけで、私は先に大本教に居た時分に、或る所で講演した時に斯ういう話をした事があります。其時分にフォードの自動車会社が方々に支社を作って、車は車、エンジンはエンジン、ボデイはボデイと専門的に拵える工場を持って、そこから本社の方に送って本社の方で組立てて完全な自動車として売出すという組織になってますが、日本は丁度そういったフォード会社と同じ様なもので、方々で出来た文化を組立てて本当に使い道になる様にして、そうして人間がその御蔭を蒙るという様に考えれば良く分る。ですから日本には支那文化も西洋文化も、各国の文化がみんな入っている。それをみんな組立てて本当のものにして世界中の人間の役に立てるというように考えると一番良く分る、と言って講演した事がありますが、それが日本の使命なのです。

      それから日本は太陽の国ですからして、太陽の光は白です。白ですが、普通太陽の光は七色と言って、道具があって廻転すると白になりますが、あれと同じです。日本の天皇の「皇」という「すべる」という字は、白の王と書いてありますが、あれが日本を「すべる」という意味なのですが、字も実によく出来ているのです。「皇」の字は白の王としてありますが、白というのは「ノ」の字が天から天降ったという形です。そうして日ですから、つまり「ス」が天から下った。それで王というのは日月地 (ジツゲツチ)を貫くというのですから、あの字一字でもそれ丈の意味が含まれている。そこに各国のそれぞれの色がありますからその色を日本で綜合した綜合文化、そうして白にする。だから今迄思想でも宗教でも何でも、その国の特有の色があるのです。処が日本はそういう色を綜合して、白にして、それがつまり本当のミロクの代の文化になるわけです。そういう根本を知って居れば、日本という国は如何に尊い大した国かという事が分りますが、それを知らないから例の劣等感という、外国の方が上だ、どうも日本人の方が劣っている様に思いたがるのです。それは根本を知らないからで、その根本を私は段々知らせ様と思ってます。処が講和前は、日本の優秀性なんかを言うと、アメリカがにらみますから言うことは出来ない。そうかと言って天皇制時代にはそういう事は言えない。うっかり言うと大変な事になります。漸く今日はそういう事が言える様になったのです。斯ういう時節というものもやっぱり神様が拵えたのです。日本人がそういう事を段々知ると、劣等感は無くなりますし、自尊心が起って来ます。日本人は立派な使命を持っている、日本が世界を救うのだ、という気持丈でも、日本人は汚ない事や悪い事は余程出来悪(ニク)くなります。やっぱり劣等感なんかがある為に、悪い事や何かをする。つまり政治家などが汚ない闇的な事を好んでするという事は、やはり自分を安っぽいものに思っているのです。ですから人間は自惚(ウヌボ)れてはいけないが、自分の尊い事と大きな使命を持っている事を知るという事が一番立派な人間になるのです。ですから今度の選挙も、アメリカは公明選挙という事は言いません。公明選挙と言う事は言う必要がないからです。別に、民主党の方では大分買収したという話は聞いた事は全然ないでしよう。処が日本は今年が今迄の選挙違反では一番多かった。処が今年は公明選挙と言っているが、反って公明選挙という事は言わない方が良い。というのは逆効果になっている。

    というのは日本人というのは、今言う自信がない、自尊心がないのです。その点が一番なわけです。そうかと言って先の戦争の時の軍部などは大いに自尊心はあったのです。その自尊心が違っていたのです。人を殺す方の自尊心だったのです。悪い意味の自尊心です。これを良い意味の自尊心に変えるわけです。ですからメシヤ教は大いにそういった自尊心を知らせたいと思っているのです。そういう色んな事も、これから段々本当の事が言えます。ですからあらゆるものを良く外国と較べてみると、日本という国が如何に尊い国かという事が段々分って来ます。

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