信仰

日々雑感

[日々雑感] 「信仰雑話」を掲載します。

日々の生活で基本となる御教えであり、初めて岡田茂吉教祖の御教えに触れる方にも、まず読んでいただきたい御教えなので順次掲載していきます
信仰雑話

正しき信仰 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

「疑は信の初めなり」という事があるが、之は全く至言である。私は「信仰は出来るだけ疑へ」と常に言うのである。世間種々の信仰があるが、大抵はインチキ性の多分にあるものか、そうでない迄も下の位の神仏や狐、狸、天狗、龍神等を的(マト)としたものが多く、正しい神を的とする信仰は洵に少ないのである。
御垂示録1号 

※霊界 御垂示録1号 昭和二十六年八月五日 ②

やはり霊界の邪魔なんです。一時先方が勝つが、段々神様の力が強くなると、こちらが勝つ。ミロクの世迄この戦いは続くんです。
メシヤ講座

[メシヤ講座] 曇りを作らない生活を送る。信仰をすればする程不幸になる訳。2015年10月⑤ (私達の学び目からウロコの内容より)

知っていて悪い事をすると「罪」は倍増するというふうに仰っておりますので、知っていてですね、曇りを発生するという事は、実質的には信仰しながら「罪」を作っていっている、という事になってきます。
日々雑感

[日々雑感] 『御垂示録』を第一号から順次掲載します。※当時のご面会の様子(東方の光より引用)

今まで会話式御教えを無作為に掲載していましたが、『御垂示録』を一号から順番に掲載して行きます。
第九篇  「光への道」

間違ひ信仰 (自観叢書九 昭和二十四年十二月三十日)

何でも拝みさえすればいいという事は考えものである。というのは、その人の身魂の高下と因縁によって、拝む神仏も相応しなければ反って逆の結果になるからで、大いに慎しむべきである。
ホーム

[メシヤ講座]信仰をしていく上において心情的に一番良い信仰状態とは  2015年4月① (私たちの学び目からウロコの内容より)

メシヤ様という御存在はですね、元々主神様と御一体であられます。最上階にいらっしゃるわけなんですけれども、地球上のですね、人類を救うために、地球を救うためにその部分からずーっと降りて来られたわけです・・・。その降りて来られた御存在を、ポチという表現で表してくださっております
メシヤ講座

[メシヤ講座] 戦後GHQから信仰を問われ 特選集平成24年3月分① (私達の学び目からウロコの内容より)

それまでの時代は創唱宗教の特性を日本人は知らないところがあり、神道も軍部に利用されていた面があるので、「神の加護をもらっても、教えを守らないのは神を利用することで、キリスト教から言えば、それは大きな罪を作っていることになる」という概念を持ち合わせてはいなかったかもしれません。しかし、このことが信仰姿勢で最も重要なことであることは言うまでもありません。信仰生活とは御教えの実践にあるのです
御講話など

御講話 昭和10(1935)年7月1日

いろんなことが間違いだらけなことがたくさんある。そういうことをたくさん知らせ、目をさまし、たしかな真理を行なう。あるいは本当のこと、本当の信仰、本当の生活ということの標準を示さなければならぬと思うのであります。