昔から神仏同根といふ言葉がある、それに就て私は解釈してみよう。
釈尊に向って一弟子が「仏法を一言で言ひ表わされたい」と御質(オタズ)ねした処、釈尊は即座に「仏法を一言にしていへば真如である」と申された。真如とは真如の月、即ち夜の光明という意味であろう。又印度は古い頃は月氏国ともいった。
或日釈尊は憂欝に堪えぬ御様子なので、弟子の一人が心配のあまり御質ねした。処が釈尊は「実は儂(ワシ)が之程苦心して説いた此仏法も、何れは滅する時が来る事が判ったので失望したのである」と申された。其後法滅尽経を、次に彌勒出現成就経を説かれたという事である。又釈尊が申されるには「吾七十二歳にして見真実となった、 故に今日迄の経文は完全ではないが、今後説く処の経文こそ真理であって、決して誤りはない」との事で、それから御説きになったのが法華経二十八品で、二十五番目が 観音普門品である。彼の日蓮上人は此事を知って、法華経こそ仏法の真髄であるとなし、熱烈なる信念を以て法華経の弘通に当られたといふ事である。
次に斯ういう面白い話がある。観世音菩薩の御本体であるが、今日迄菩薩に限り御秘仏として非常に神秘にされてゐたが、私の研究によれば、菩薩は日本の或神様であって、邪神の迫害を受け、御身に危険が迫ったので、やむなく日本を後に印度に逃避行され、印度の南方の海に近き捕陀落迦山といふ山頂に一堂宇を建てられ、南海大士又は観自在菩薩といふ御名の下に教を説かれた。華厳経に「南方に普陀落と呼ぶ山あり。観自在菩薩ゐませり。時を得て善財童子が遊行して其山の頂に上り、菩薩を訪ねて会ふ事が出来た。其地は樹木生ひ茂り、処々に流泉と湿地があり、其中心のいとも軟かき草地の上の金剛宝座に、観自在菩薩は結跏跌座され、多くの聖者達に恭敬され ながら大悲慈経を説諭されて居た」とあり、「其時の侍者として二十八部衆居り、大弁財天、大梵天王、帝釈天王、金色孔雀王、毘沙門天、阿修羅王等の外ナーラーヤナ 金剛、ワヂラバーニ金剛の兄弟二人(之は仁王尊である)等の諸天である」とあるが、善財童子とは釈尊の事であろう。
菩薩が日本人であるといふ事は、黒髪を肩に垂れさせて居らるる事と、御面(ミオモテ) は日本人型であり、御本体は一寸八分の黄金仏である点で、日本は黄金の国と昔から謂はれて居る。又王冠、首飾り、腕輪等によってみると、高貴な御方であった事が察せられる。頭巾(トキン)や白衣(ビャクエ)を纏はれて居られるのは逃避の際の御忍び姿と察せられる。然るに釈尊も阿彌陀如来(最初の御名は法蔵菩薩)も頭髪が縮れてゐるのは、印度の御出生であると惟はれる。因みに法蔵菩薩は釈尊に対面し「吾西方へ浄土を作るにより、今後御弟子の中、仏になった者から右の浄土へ寄越されたい。然らば仏達を寂光の浄土に長く安住させるであらう」と約束された。寂光とは寂しき光であるから月光に照らされた善地であらう。そうして大日如来は天照大御神、釈迦如来は稚姫君尊(ワカヒメギミノミコト)といふ女神であり(釈尊は「吾は変性女子(ヘンジョウニョシ)なり」と言はれた)、阿彌陀如来は月読尊であるというように、それぞれ神が仏に化身されて世を救はれたのであり、神典にある五男三女は八大龍王となり、釈尊から封じられたといふ伝説がある。之等は神が龍神に変じてミロクの世の来るのを待たれたので、其他それぞれの神々は大方化仏されたのである。以上の如く神が仏に化身された期間が夜の世界で、昼の世界になると同時に、また元の神格に戻らせ給うのである。
仏法の発祥地である印度に於ては、三億五千万の人口に対し、今日仏教信者は三十数万人であり而も年々減少の傾向にあるといふに到っては、仏滅は印度に於て如実に表はれて居り、全く釈尊の予言は的中した訳であるから、仏滅後彌勒の世が来る事も的中しなければならない筈であると私は信ずるのである。