五三中教会長 多賀秀三

明主様日々の御守護有難く御礼申し上げ奉ります。八月の地方出張中二十三日に
大峰山役の行者本霊より、いよいよ法滅尽の時迫りましたる事聞きました。二十九日夜家内と共に地方より帰宅致しましたが、何か家内に霊が憑るらしく思われましたが、翌日にと思い、三十日早速審神させて頂きましたが、私の感度が悪く、仏霊なる事は判りましたけれど名前がどうしても判からず、二度共霊が目的果さず、こちらも完全に審神出来ず離脱して終いました。三十日夜行にて本部に出発致すはずのところ中止して、三十一日朝より改めて審神させて頂きましたところ、左記の方々出られましたので、御報告申し上げさせて頂きます。なお左記の方々は全部日月地大御神様の御許しを受けて来られましたのだそうです。
八月三十一日午前九時半、弘法大師憑霊されて、
弘「今日までの罪穢、なお主神に対する、知らず識らずに犯せし数多くの御不礼を重ねしことの御許し賜わりたく、幸にして御許し頂けますなれば、神界に移らせて頂けますよう、特に御願申し上げ奉ります。しかして永遠に主神の貴き御教えに仕え賜りたく、重ねて御願申し上げます。」
右を涙ながらに語られ、よろしく御取次願いたしとの事、明主様に謹んで御取次させて頂きます。
続いて臨済宗祖、臨済義玄氏憑霊されて、御取次方を依頼されました。涙を流しながら一言一言左記の通り申しのべられました。
義「明主様私謹んで申し上げ奉ります。今日まで仏に仕え、あまたの教えを数多く弘めしなれど、いよいよ仏の滅する時至り、今までの教えのあやまちを私は悟らせて頂きましたなれば、今日この期を限りとして、主神の大御許し頂けますなれば、何卒私を神界にめされまして、永遠に御仕えさせ頂き、貴き御教え頂けまするよう伏して御願い申し上げ奉ります。」
と大光明如来様と御写真に参拝されて帰られました。
次に真宗の法然出られ簡単に、仏界が無くなるために神界に転属願いを依頼に来られました。帰られる時は参拝せずに帰りました。聞いて見ましたら法然はまだメシヤ教の事は良く解っておられぬとの事でした。
次は京都三十三間堂中央の大佛像より出られました。(御名前は解りませんでした)
明主様に御祝辞として左記申しのべられました。
「仏の滅する時いよいよ迫り、後いくばくもなく、まず以って明主様には御目出度き仕義に御座りまする。右謹んで御祝辞申し上げさせて頂きます」
と申されました。(なお憑依者の感想として離脱される時神界に行かれたように思われました)
続いて法相宗開祖、玄奘氏出られました。
玄「永き夜の帳いよいよ消えうせる時、刻々迫り、明主の君におかされましては、まず以って御喜び申し上げ奉ります。下って私儀今日まで知らず識らずに犯せし罪、数多く有る事と存じますが、主神の御目でながめられ御役に立つものなれば、大御許し下され。神界の一員に御加えさせ給い、貴き御教えのもとに永遠に御仕えさせ頂きたく、
ここに謹んで御祝辞と共に御願いに上らせて頂きました。」
御参拝の後喜んで帰られました。
次は京都知恩院開山、源空氏出られました。
源「仏の滅するこの期に接しまして愚僧と致しましては感無量に御座います。従って今日まで知らずに犯しましたる、主神に対しての御不礼の段平に御許し下されたく、なお今後はよろしく御配慮賜わらん事をここに謹んで御願い申し上げ奉ります。」
いかにも感無量の体にて後の言葉が仲々続きませんでした。最後に御参拝して帰られました。
次に曹洞宗永平寺開山道元禅師出られ
道「今日いよいよ仏の滅する時迫り、我が末寺より主神の御導きに邁進せんとする者が出し事は、せめてもの喜びに存じおります。今日まで種々の御教え伝え聞きしが、未だに仏の教え脱し切れずに、今日に至りし事何とも申訳御座無く、主神に御許し乞う者で御座ります。もし幸にして御慈悲の籠れる御言霊恵み頂けますなれば、ふつつかなる者なれども、主神の貴き御教えに永遠に仕えさせ賜わらん事を伏して御願い申し上げ奉りまする。」
以上にて九月一日の特別御面会に出発の用意も御座居ますので、一時打切らさせて頂きました。霊の帰られる時は法然以外の方は皆大光明如来様、御写真に参拝して帰られ 参拝の形式もそれぞれ宗派に依って仏の形式で御参りされました。皆さんに九月一日明主様に御取次致しますと申し上げましたが、中でも弘法大師は特に喜ばれ、間に合ってよかったよかったとさも嬉しそうでした。右謹んで御取次させて頂きます。宜しく御配慮賜わらん事をひとえに御願い申し上げ奉りまする。
審神者 多賀秀三
憑霊者 多賀光子

