七月二十七日
【御教え】
お医者が病気を作るという事は始終言ってますが、これはあらゆる方面がそうなってます。そういった様な間違った事、そういう事のその根本は悪です。ですからどうしても悪というものを、つまり無くしなければならない訳です。で、この悪というものは色んな方面に現われてますが、今悪の根本を書いたのですが、世の中の色んな人間の苦しみというものはおよそその因は悪です。あんまり悪が多過ぎる為に、割合人間は気易くなる。ところが良く考えてみると、とにかく薬が色々な病気を作るという事は立派な悪です。ところがこういうものは、やっている人が善と信じて悪を行なうのですから、これが始末が悪いのです。人をやっつけたり、泥棒したり暴力を振ったりするのは、これは実際分かり切った悪ですが、こういった善と信じて行なう悪が一番恐ろしいのです。医学は善と信じて行なう悪ですし、今の役人は善の仮面を被って悪を行なう。要するに法律を悪用してやるのです。ですから法律の目的は善なのですから、つまり善を悪に利用するのです。そういう悪です。政治でも、破防法案――これは悪を善が取り締まるという訳ですが、しかしこれも大いに反対がありました。なんだというと、反対の方にも悪いのと良いのとあります。共産主義の方の活動の方は、これは悪の方であるし、また善の方は、治安維持法みたいに官憲の方で悪用して、罪なき人民を苦しめるという事があっては困るという反対です。ですから反対の方にも善悪があるのです。というのは、昔治安維持法なんかで、大いに悪に利用するという事を、人民は大いに経験させられている為にスラスラと行かなかった。そういう事は何かというと、みんな悪です。もし悪というものが無かったら世の中は簡単な良い世の中になります。やれ食い物が足りない。不景気だとか、働いても働いても食えないという事は、その根本はみんな悪です。肥料によって米が穫れないという事も、これはつまり悪を善と信じてやっている訳です。それを分からせようと思って我々は骨を折っているのです。そうして色んな――税金が高いとかなんとか言う。政府で、金の要る――歳出なんかでも、悪による歳出の方がずっと多いのです。大体、今伝染病が非常に流行る。それを防止する為に――一人赤痢が出るとかいっても、それに対する係が何人要るか分からないし、で、その為に自動車で行くとか消毒するとか、色んな事を言って大変なものです。ですから結核が増えるというと、療養所を作らなければならない。ベッドを作り、色んな施設から予防とか色んな事をする。これはなんだというと、元は悪を善と信じてやっている結果ですから、やっぱり因は悪です。そういった――警察制度とか裁判所、社会施設――そういう色んな――数えあげたら切りがないが、不幸な人間が出来る。社会事業とか未亡人問題だとか色々あります。それ相応の結果苦しみが出る。そういう――戦争の結果は、その因は悪です。人の国を占領するとか掠奪するとか、そういった悪が因で出来たものです。悪に依る人間の被害と苦しみは細かく勘定したら大変なものです。もし悪というものが半分に減り三分の一に減るとしたら、税金だってそれ相当に減ります。だから悪を無くするという事はどうしても宗教でなければならないのです。悪というのは心の問題ですから、心の問題を解決するには、これはやはり信仰より他にないのです。これは、理屈はそうだが、ただ力のないところの信仰、お説教の様なものでは――それは無いよりはましだが、とても悪の方が力が強くて、それをやっつける事は到底出来ない。だから色々な機関や組織は旨く出来ているのですが、それを悪が利用するから、どうしても悪というものを減らす――全然無くすという事より他にないのです。ところがそれに気がつきそうなものだが、案外そういう事に気がつかない。気がつかない筈です。その、気がつくべき人の中にやっぱり悪があるから、やっぱり都合が悪い。それで悪というものはしょうがないと諦めているのです。諦めているというのは何かというと、あらゆる宗教が諦めている。で、今迄はどうしても善の方が悪に敵わない。そういう事をこれから書いていこうと思って、最初の所を一寸書いておいた。
(御論文「天国建設と悪の追放」)【註 栄光一六九号】
今読んだ通り、今迄は悪が必要だったのです。ですから私が、この主なる働きと言いますか、それを長い間に神様から見せられたのです。ですから、私は若い時分からあらゆる病気をしたのです。それは数えあげたら――身体中の病気をしてます。病院にも三度入院しましたし、覚悟をして遺言迄したのが、やっぱり三度位あります。そうして最後に歯ですが、これは未だにすっかり治っていません。今もって浄霊してますが、今年で三十七年になります。三十七年前に入れた薬の、その為に頭は悪くなるし、今喋るにもはっきり喋れないのは、入れ歯の関係ですが、入れ歯を歯医者に診せると、どうしても抜かなければならないと言うのです。私は抜かないつもりで浄霊していると、段々抜かなくて済む様になってきている。もう少しすると、抜かずに入れ歯出来る様になる。ここの歯医者ですが女中に言うのです。明主様は――もうとうにお入れにならなければならないが――。かえってこの頃は具合が良いですと言うと、不思議だなと言っている。そんな様な具合で、歯がグラグラになっていた。私の歯は薬毒が入っているので、それでグラグラしたのです。その薬毒が取れるとグッと締まって治ると思っているのです。この頃はグッと締まってきてますから、もう一息です。そんな様な具合に薬毒の経験――病院に行って全身麻酔で手術した事もあります。その時分には注射は余り無かったですから、注射だけはしなかったですが、あらゆる事をみんなやりました。
そうして今度は薬毒の害を知って、更に神様は司法制度――警察や裁判所、そういう悪を段々見せられた。豚箱やそういう事も散々経験しました。それから刑務所に行って、そういう方面の悪は実に良く分かった。しかし、こういう悪は私は割に少ない方で、一番酷い目に遭ったのはキリストです。キリストなんかは、まるで――あの時代はそうなっていたか知らないが、ユダの讒言によって、あの時の王様がキリストを陰謀の親方と思って、そうして磔にしたのです。日本の宗教家でも沢山あります。ですから私が何百年前にこういう事をやれば、遠島は無論です。八丈ケ島辺りに――。で、明治近くなってから、天理教の教祖は警察や牢屋に入ったのが十六回です。懲役――そんな様なものが四回ありました。一番長かったのが確か半年だったと思う。その時分には信仰の自由はないし、めちゃくちゃです。今ではこれで余程良いです。以前ですと、まだ罪の決まらない内に美術館なんて、とてもそんな事は出来ない。そんな様な具合で、神様は色んな経験をさせられた。去年も刑務所に行った時に、直ぐ隣が、塀一つですが、懲役人が鍬を持って労役をやってましたが、懲役とはそんなものかと、神様はここまで見せられるのかと、つくづく見せられました。そんな様な具合で、色んな見学をさせられました。で、結局において悪です。その悪の内で一番深刻なのは薬です。ところがどういう訳で薬というものが出来、服ます様になったのかというと、この薬を服ませたのは観音様です。観音様が薬師如来になって薬を服む様にしたのです。というのは人間が原始時代には非常に――獣みたいな人間だった。獣と闘うのですから獰猛だった。人間の進化の最初は、獣との闘いです。それを防禦する為の闘いが最初で、これで人間は余程智恵というものが出て来た。神様がこしらえられた最初の人間はボーッとしたものですが、段々智恵を磨くのです。そうして地上天国を造るのです。それにはどうしても悪を作って善と闘わすという手段をとったのです。獣との闘いが済んだら、今度は人間との闘いです。これは歴史にもありますが、野蛮人同志の闘いです。よく映画にもありますが、我々も何千年何万年前はそうだったのです。それにはどうしても悪人というものを作らなければならない。善人だったらそうはしないから、文化も発達しないし智恵も発達しないのです。それからもう一つは、争闘させて或る程度人間の智恵が出来ると、今度は人間を弱らせなければならない。弱らせると非常に智恵が発達するのです。というのは人間が健康ですと、どこに行くのにも駈け出しても歩いても平気ですから、交通なんてあまり関心を持たない。人間が弱って来ると、とてもやり切れない、楽をして遠くに行くという様になる。それから今読んだ様に、戦争を作るというのはどうしても野心家――どんなに悪い事をしても、どんなに多勢の人間を殺しても、そこを掌握するという様な野心です。だからしてそれをこっちが防ぐ為に大いに智恵を振って、そういう方法をとらなければならない。そこで色々な立派な発明も出来るし、智恵もドンドン進むのです。その結果原子爆弾の様な――それは発明としたら、今でも一番素晴しいものです。ですからそういった英雄という者も必要なのです。で、人間がそれではあんまり可哀想だし、それではかえって悪の世界になるから、それで宗教というものをこしらえた。それで、それをそれではいかんと因果応報の理由なんか説いて、或る程度悪の膨大を制限する――そういう人が宗教家というのです。ここまで人智が発達し、ここまで色んな物質文化が発達すると、これ以上になると今度はあぶなくなる。人類の破壞になりますから、ここらで止めて、今迄の物質文化を良い方に使う。そうして神様の最後の目的である理想世界――地上天国を造るというその時期になったのです。そこで今迄の色んな間違った事を分からせ、そうしてそれを無くさなければならない。ですから病気は薬毒だ、間違っていると言ったところで、こうして(御浄霊)治す。それを見せなければ人間は信じませんから、こういう治す力を私に与えて、医学や薬の誤りを知らせるという意味で、それが根本の意味です。それからもう一つは、今言う悪というものは、これからその説明をやるのですが。これは心に働いている悪というのは簡単です。これは信者は良く知ってますから、そう精しく説明する必要はないが、つまり人間に憑依している副守護神――動物霊がやるのだから、そこで悪を制限するには動物霊を弱める。動物霊を弱めるには霊の曇りの多い少い――曇りが多ければ、動物霊は根本的の悪のものですから悪をさせる。動物霊を或る程度抑えるには光です。光とは魂の光です。それには曇りを取らなければならない。だから悪の因というのは、結局霊の病気になる。つまり体の病気が毒血で、霊の病気が曇りです。ですから曇りをとるという事になる。浄霊するという事は、肉体の病気ばかりでなくて、霊の病気も一緒に取ってくれる。浄める訳です。ですから浄霊という。霊が浄まると副守護神が弱りますから――副守護神ばかりでなく、臨時に憑く霊もありますから、憑いても弱るから、その霊は悪い事をしない。そういう事になる。そういう風に人間が曇りが取れて動物霊の力が弱ると、悪人が無くなったという事になる。そうすると今でもミロクの世になってしまう。それが根本です。理屈からいっても良く分かるのです。決して難しい事でもなんでもない。では、そんな簡単な理屈がどうして分からないかというと、その人の霊が曇っているからです。副守護神が邪魔するからです。これは御蔭話によく書いてあるが、よく解っているのだ。分かっていながらどうしても信仰に入れないというのがよくある。分かっているというのは、その人の本霊が分かっている。ところが、分かっていてなんだかんだささやく様に思わせる。それが副守護神です。だからそういう点で、始終浄霊していると良く分かる。そういう様な意味をこれから段々普通の人にも分かる様に書いていくつもりです。ですから結局肉体の病気と心の病気と両方治す。そうすると、心の病気を治すと、悪が無くなるから世の中が良くなるに決っている。そう難しい事はない。分かってみれば簡単なのです。話はその位にして。


