御教え *一芸に達する(御教え集11号 昭和27年6月7日④) 

 それから五、六日前に宮本武蔵の絵を買いましたがね。それは何故買ったというと、道具屋に行ったところが脇に掛けてあったんです。見ると実に良く書いてあるんです。これは誰だというと、宮本武蔵というんです。絵の中に「二天にてん」と書いてあるんですがね。達磨だるまさんの絵ですがね。宋時代の絵に負けないですね。私は是非欲しいからと買って来ましたがね。恐らく、今の古径こけい靭彦ゆきひこなんか足元につかないです。技術なんかですね。今度美術館に出しますから、見れば分かります。そこで考えさせられるのは、不断このほう(剣術)は始終やってましたが、筆の方はそれ程、そう研究した訳じゃないからね。それはどういう訳かというと、一芸に達した人は他の方もそうなる。譬えてみれば色んな何があるとしますが、一つ飛抜けて上の方に行きますと、他のものもそれについていくんです。結局は同じなんですからね。だから、武道の奥儀おうぎに達すれば、絵の方もそこに行っちゃうんです――少し経てばね。結局それによって魂を向上させれば良い訳ですね。これが一番はっきりしているのは、私ですが、私はなにも植木屋の手伝いした訳でもないし、大工の――庭でも、今度の建築でも全部私がやったんですが、一つそこにいくと、何でもそこのレベルにいきますからね。今度美術館をやりましたが最高のレベルだと思います。今あれだけの設計をするのは恐らくないです。これが私が宗教の教祖でなければ、なぐられちゃいますよ――馬鹿にしているとね。まあ、実際を見れば分かりますからね。これはホラじゃないんですよ。そういうようなもので、その道理を押し進めていくと美術品ですね。あの良いものを見るんですね。名人の傑作品を見ると魂がそれにいきますから、目が高くなるんですね。目が高くなると、他のものにまでいきますから、批評眼が高くなるんですね。芸術品ばかりでなく、あらゆるものの批評眼が高くなるから、其人の智慧証覚ちえしょうかくが高くなるんです。智慧証覚というのは批評眼です。ものを見てそれが善いとか悪いとかね。本当だとか嘘だとか、その判別は批評眼によるんですからね。ですから人間は物を見た批評眼が一番大切ですね。だからああいった美術品の好きな――今の美術館はそういった価値はありますね。

この間私は上野に行って国際美術展の各国のを見ましたが、実にお話にならない。あれを良いとか悪いとか批評して新聞や雑誌に出てますが、あれは批評出来ないですね。もし批評するとすればぜろというんです。ひどいものです。ちょうど薬で病気を作っているのと同じです。それから、糞をかけて米を穫れないようにしているのとね。美術の方もそうなっているんですね。そこにいくと古美術のすぐれた高さというものは大したものです。現代人がつまらないものを大層に思うのは、批評眼がないからです。批評眼がないという事は、良いものを見ないからですね。その点においても私は美術館は大変な役目をすると思ってます。古い良いものを見ると、その人の頭が余程違って来ます。一番分り易いのは、ああいうものが好きな芸術家はみんな上になるんですからね。一番好きなのは吉川英治ですが、三十年位前から好きで持ってます。今もって好きで買ってますがね。それから大仏次郎おさらぎじろう、川端康成――とても好きなんです。それからあれはいつか来て見せてやりましたがね――高見順ですね。この頃だいぶ出世してきました。川端康成の弟子ですがね。だいぶ注目されてきました。油絵の方では梅原龍三郎うめはらりゅうざぶろうです。また馬鹿に好きなんです。ですからあの人の油絵は一番良いです。今度の美術館にもあの人の油絵の良い方のを一つか二つ出します。私は他の油絵を美術館には出す気にはならないですね。出す価値がないです。梅原龍三郎は他の者が持っていないものを持っているんです。ですから二、三日前に芸術家の会議で行きましたがね。やっぱりあの人の骨董好きですね。それが影響している訳ですね。それから吉川英治なんか宮本武蔵なんて傑作を作りましたが、あの中に光悦も入ってますが、それから沢庵和尚ですね。あの文芸作品で、あゝいう方面に関心を持ったという事はやはりそれだけ違っていた訳ですね。なかなか、話の方は切りがないからこのくらいにしておきます。

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