春季大祭御教え*箱根光明台/熱海瑞雲郷/神様の御計画(御教え集8号 昭和27年3月24日)

 それから、今一番力を入れてやっているのは、箱根と熱海の地上天国ですがね。箱根の方は、大体この夏迄に神仙郷は完成する積りなんです。で、美術館とあとは公園に面した方の広い所を平らにして、平らに少し傾斜している位の具合で――この間も行って見ました――二、三日前ですがね。具合は良いです。何んでも、植木屋に聞いて見ると、モミジを三百本とか買ったそうです。みんな割合に大きいものです。成可なるべく低い、枝の張ったのと、注文して置きましたからね。で、必ず紅葉する物と言ってあります。紅葉が全部になったら、定めし壮観だろうと思います。先のモミジなんかを入れると三百五十本にはなるだろうと思います。やっぱり三百六十本になるだろうと思います。で、あそこの流れも、ずっと上の方迄石組をして、渓流の様に見せる。この渓流は、前の岩窟のと違って、柔らかい穏やかな形をとろうと思ってますがね。そうして、美術館の横手の方も、流れの両脇にモミジを植え様と思っている。それと、美術館が出来れば、まず完全なんですね。それから日光殿も、今拡張工事をしてます。之は思ったより拡く取れるんですね。今迄の約倍位ですね。ですから二千人は優に入れます。或いは詰めればもっと入れますね。大工なんか三千人は入ると言ってますが、そいつは一寸無理でしょうが、二千数百は入ります。庭の方迄立てばね。まあ、当分は大丈夫だろうと思います。それで箱根の方が一段落着くと、ケーブルを通り越した先に――之は知っている人もあるでしょうが、左側に大きな柔らかい、ホーロクを伏せた様な山があるんです。そこを三、四年前に手に入れてあるんです。丁度ケーブルから半町位ですから、非常に便利です。その山に将来本山を作る積りなんです。今の神仙郷は本山じゃないんで、地上天国の型なんです。模型なんです。それ迄本山の様な意味で、日光殿なんか使ってやってますが、本当はあそこは地上天国の模型という意味なんです。で、今言う山は、名前を「光明台」とつけますからね。

 光明台は大体一万坪あるんです。で、そこに宗教的の建物を作るんですがね。之は全部椅子席にして一万人入る積りですからね。無論鉄筋コンクリートで、大体形やそう言うものは出来てますがね。出来ていると言って、頭の中に出来てます。頭の中と言うのは始末が悪いので、見せる事が出来ない。之は日本一だろうと思います。今迄一番拡いのは、浅草の国際劇場ですがね。あれは五千人なんです。あれが一番拡いんですがね。それから名古屋のスポーツ会館と言った様なものは一万人位入りますが、之は競技を見る為で、普通言う会館とは違いますから、今度出来る――光明殿と言う名前になりますが、光明殿は日本一ですね。又、山が非常に具合が良いんですよ。之は神様が仕度してあるんだから、当たり前ですがね。それで、強羅の中央になっていてね。どっちかと言うと神仙郷は中央じゃないんです。光明台が強羅の中央になるんです。それから、高さも丁度良いし、周囲も良いですね。今度行けば解りますが、殆ど神秘的なものですね。そうして両側に谷があるんです。谷と谷の間をふっくらとして、之は訳ないんです。岩がないからね。後の方が杉林で、杉の森で囲われている。其処に白亜の殿堂を造ると、実に美観は満点だと思いますね。で、あそこに行くのに、丁度ケーブルが邪魔になる訳ですね。尤も、あのケーブルはずっと頂上迄行っていて、其間に道がないんですよ。ケーブルの上を越さなければならないですからね。それじゃ危なくて、第一自動車も通れないですからね。之は会社がやるべきだけれども、会社がやっぱり、金がないので、そこ迄は手が届かない。そこで今度、私の方の神仙郷から、光明台に行くのに、ケーブルの下をやろうと思う。まあトンネルですね。それをやろうと思った処が、割合に訳なくいくんです。と言うのは、ケーブルの向う側は非常に低くなっているんですね。私の方も低くなってケーブルは高くなってます。其下を潜るんだから、割合に簡単なんです。そこにもっていって、今度美術館が出来ると外人なんかも沢山来る。自動車の相当広い置場が必要なんですよ。どうしても、二、三十台位のを用意して置かなければならないですね。その土地が、今の神仙郷と公園と渋井さんの所と前に『栄光』新聞の取扱う所ですね。三尋木みひろぎさんが居た所ですね、その四つ角になっている、その公園の方になっている角は低い地所で、空いている。会社の地所ですが、私の方で会社に寄附しろと言った処が、そう言う訳にいかないのでお貸しすると言う事になった。処があそこは可成り低いですから、どうしても埋めなければならない。丁度良い事に、ヒョッコリとトンネルの土がね。やっぱり神様は抜目なく利用する。其処は公園の一角になるんですがね。公園なんかも、未だ未だ拡げれば良いんですがね。やっぱり会社の経済上とかで、そういかないですが、今度、こっちが利用出来るんです。

 話は違うが、強羅の公園も私の方でやらなければならない事になるですね。何しろ、御覧の通り汚たない――家で言えば、空き寺みたいなものですね。荒れ放題と言う訳ですね。いずれ公園も、極く西洋風の、ガーデン的な公園にしてやろうと思ってますがね。神仙郷の方がすっかり完成すると――、公園も手を入れれば、中々良いんですよ。噴水なんかもちゃんとすれば、良い噴水になりますよ。最初来た時は、水なんかも出て、良かったですよね。それから、空地なんかもありますからそれらの整地をして、花なんかも沢山植えるんです。大体美術館の方なんかは随分人が来ますからね。だから少し待つのは一時間位待つ事になりますね。それで、待ってる間公園を散歩させるんですね。特に強羅に遊びに来た人が、公園を見て美術館を見ると言うと、兎に角旅客が当てが出来ますからね。今の処は強羅に行っても何も見る所がないですからね。そうなると、強羅許りでなく、箱根に来た人はみんな見に行きますよ。兎に角箱根の一大楽園としての中心を作りたいと思ってます。之は、土台が出来ているので、別に骨が折れる事がないんです。

 箱根の方は大体、今言った様な計画で段々進んで行く積りですがね。で、今の一万坪の山ですね。其処から往来をへだててずっと下の方に、五千坪の地所を買ってありますが、此処をお祭とか何とか言う時に、信者さんの宿泊所ですね――そう言うものを作ろうと思ってます。之は、県別にするか会別にするかして、何軒も作る積りです。天理教でやってますが、私は行った訳じゃないが、話によると非常に具合が良いらしいですね。一々宿屋に泊まるんじゃ、金もかかるし、普通世間の人と一緒に泊まる事になりますから、どうも面白くないんです。信者は信者丈の、そう言った宿泊所でなければ面白くないんです。ちゃんとそう言った様に、神様が色んな土地や何か、必要丈は時期が来ると、ちゃんと手に入って来るんですよ。だから割合に楽ですね。こっちで気がつかない事が良くあるんですね。つまりどこそこに売物がある――売りたい。ははあ、そんな所にこっちは別に考えてもいないのに、そうして見ると神様の方に要り用があるのかと思って考えて見ると、成程そう言う方面に拡げて、そう言う風にしろと言う意味だと分かるんです。だから、実に面白いんですね。熱海なんかもそうですね。先にはあんな大きな規模じゃなかったんですがね。もっとずっと小さい予定だったんです。ですから、会館なんかも、美術館が建つ所にやるべく、あそこに石垣や何か作ったんです。そうすると、あの時の台風で山の縁の方がくずれちゃったんです。石垣と言った処で、天然石を組んだ所ですがね。それで私は、ははあ、此処に会館を建てちゃいけないんだなと、之は神様のお示しだと思いましたからね。色々その辺を見た結果、今の所ですね。晴々台ですね。あそこだと言う事になって、やって見ると、先の所よりずっと拡いんですからね。ははあ、成程、神様はもっと大きくやられると言うので、今の所をやったんですがね。その時は美術館と言う頭がなかったですが、段々進んで来ると、くずれた所は、あそこは美術館が良いと言う、そんな様な具合に、神様が計画してあるんですから、一寸――こっちの方で計画した事が、違えさせられると言う事があるんです。けれども無駄な事はない。やっぱり美術館の敷地になったんですからね。こっちがやっている事が神の大方針と違う事があるんですね。神様の方は無駄がないんです。実に、そう言う処は旨いんですよ。当たり前なんですがね。実に神様のるのは旨いんですよ。だから失敗はないんです。人間の目で失敗の様に見えますが、失敗じゃないんです。何となれば、失敗しなければ旨くいかないところがあるんです。それで失敗させられるんです。長い目で見ていれば失敗はないんです。あんな無駄なと思うが、時が経つと、必要な役であったと言う事が分かるんですね。

 それで、今度熱海の方を少し話しますけれども、之は誰方どなたもチョイチョイ見られるでしょうが、ツツジ山ですね。そう言う所も最初は小さくする積りだったのが、どうも面白くないので、段々大きくした。山の形状や何かも、植木屋や何かも、あんな物を拵えた事がないからね。うっかりすると、自分の思い通りにすると、私の考えに違う事がある。で、私が直させて山の高さ、ふくらみ、周囲ですね。それを直させたり変えたりしてやっていた処が、やっと形丈は出来上りましたがね。最初は二千本植える積りだったが、二千本じゃとても足りない。それで、六百本植えた。処がそれでも足りない。今度は千本買いましたがね。三千六百本ですがね。そうするとミロクになるんですよ。一山にツツジを三千六百本なんて言うのは断然日本一ですね。

他にありゃしないですね。之は二、三年経つと、すっかり土が見えなくなりますからね。それから花が咲いたら素晴しいものですね。日本中の一つの評判になりますね。そうして其上に展望台も造りますけれどもね。展望台は最初半円形にする積りだったんですが、土地が最初の予定より拡がりましたから、半円形より、小判を切った様な形になります。展望台が拡くなければね。そうして、硝子ガラスも曲線硝子――今硝子を曲線にするのは訳なく出来るんですからね。ですから、曲線硝子にして、細い金で継ぎ合わせてやる積りです。ニッケルの様――なジュラルミンですね。ああ言う物で、繋ごうと思う。之も随分色々研究したんですが、最初――若し風の為に割れたりするといけないと言うんで、幅三尺の積りでしたが、考えて見ると、風が幾ら当たっても、滑っちゃうと思うんです。平たいからね。六尺位にする積りです。硝子工業と言うのは非常に発達して、今硝子は長さ三十間迄出来るんですからね。之は、最近ロンドンのデパートで、何んでも三十間――じゃないが、十何間と言う一枚硝子でやったデパートのショーウインドウが出来たそうですがね。そんな様な具合で硝子でして、天井は真っ平らで、下を赤い絨毬じゅうたんで敷きつめちゃおうと思う。廻りが青い所に赤いのでね。そこから二、三間離れて――線をコンクリートで作って――四季の草花を作ろうと思う。それが展望台です。其四季の草花の先にツツジがいくんです。ツツジも低く刈り込ませる。そうして、会館も、大体この間技師に図面を引かせた処が、私の言った通り引かないので、どうもああいった商売人は、素人が何言うかと言う具合で、決してこっちの言う通りやらないものですよ。それが当たり前でしょうがね。素人と言うのが変わっているのかも知れないがね。で、私が――向うが商売人と言うが、こっちも商売人だと言った。私が説明しても分からないんですよ。終いに先生の方で画いて下さいませんかと言う。じゃよろしいと言うので、他の製図屋を呼んで画かせた。製図屋はお気に入る迄何回でもやりますと言うので、思う様に出来ると思いますがね。処が建築屋の方では、今方々でやっているのしか頭がないんですね。そんな訳で、間口二十一間、奥行三十間の六百三十坪ですがね。丁度――椅子で計って見ると二千人入って、その廻りに立たせると千人入って、三千人は入りますね。それからお祭りで多い時は、廻りのたたきの所――そこにぐるっと立たせると、二千人は立ちますから、五千人は収容出来ますね。その代わり外側は六尺幅にして、前の方は三間ですがね。横の方は一間のコンクリートの廊下――廻廊ですね。外側の廊下です。そこに、雨でも降った時に濡れるから、三尺出した。つまり九尺のひさしを作る積りですがね。硝子の廂です。硝子が結局五十一間です。網硝子ですね。真ん中の玄関の方は、今度図面が出来たら良く解りますがね。唯話丈じや、一寸解らない。ですから、雨が降っても、その廻りは濡れない様になりますからね。鉄の丸い細い柱で、それを支え様と思ってね。中なんかも中々難しいんですよ。と言うのは、劇場じゃない。舞台を作ると劇場らしくなる。宗教的なものですからね。そうかと言ってキリストの教会堂の様でも面白くない。勿論、寺院ではないしね。そこで私は古い所を取って、極く新しくしょうと思ってますからね。ですから、新しい形式を作る様なものですからね。中の天井なんかも色々考えて、大体案は出来ましたがね。こっちは余興の舞台にも使うんですからね。舞台であり、神床ですね。不断は拝むんですね。それが済むと舞台になるんですからね。そこのところの調和が、余程旨くやらなければならない。そうかと言うと、下の方はオーケストラがやる。オーケストラは六十人用意しますけれどもね。歌はヘンデルの「救世主メシヤ」をやる積りですからね。あれは、メシヤ教のためにヘンデルが作ってあったんです。ですから、あれは「救世主」メシヤと言うんですね。ですから、こっちがあれを使わなければいけないんですよ。ですから今あれをやっているのは、こっちで貸してある様なものです。まあ、神様が稽古させてあるんですね。大体そんな様な具合で、その展望台の後に直ぐくっついて、色々な部屋を作る積りで、それは色んな――みんなの会議室だとか、色々――お祭の時の仕度部屋だとか、余興の時の芸能人の仕度する所とか作って、二階に小さい展望台を造る。お供えみたいになるですね。其処は、私が行った時の休憩所になる。其処から会館迄トンネルになる。外から全然見えないで行ける。そうすれば、信者さんと一緒に行かない事になるし、天気の悪い時でも平気ですしね。約四十間以上ですね。あの地形が又旨く出来ているんですよ。とても――やっぱり神様ですね。巧妙にちゃんと用意してあるんですよ。未だ、色々な話はあります。美術館の話もしたいが、時間があまりないですから、この位にして置きますが、と言うのは、お祭り中は浄霊はしない積りだったんですが、昨日是非して貰いたいと、当てにしている人が沢山あると言うので、じゃ仕方がないので――どうも頼まれれば嫌と言う事は言えない性分ですからね。やっぱり、神様の慈悲と言う事もありますし、江戸つ子の義侠心ぎきょうしんと言うか。そんなものでね。ですから、之から浄霊しますからね。

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